第十八章 二つの傷跡と回想
「――エーアトベーレ」
指輪を見つめ、サクロヘニカが詠唱する。
魔力が揺らぎ、空間から溢れ出したように現れた影がその体を包み込む。一拍の間に影へ呑まれ、次の瞬間サクロヘニカは忽然と姿を消した。
・・・・・・その場に残された白い羽毛を静かに眺めると、フランマは纏っていた穏やかな雰囲気を霧散させた。
目を細めて、密かに隣へと視線を流す。
サクロヘニカを一人で行かせた理由。それは隣に佇む少女、グロウナーシャと対話するためでもある。
「・・・・・・それで、貴方は何がしたいんですか?」
沈黙の漂う部屋に、フランマの疑わしげな声が落ちる。
冷淡な言葉に臆することなく、グロウナーシャは不思議そうにフランマを見上げた。
「あら、何の話かしら?」
「その態度についてです」
腰に手を当てると、フランマは真っ直ぐにグロウナーシャを見詰めた。その群青色には“疑念”の文字がありありと浮かんでいる。
「貴方は、俺とサクロヘニカがシクラーデ鉱山へ立ち入ったことに気付いていますね?」
問えば、グロウナーシャは少し驚いたように眉を上げた後、目を狭めて妖艶に微笑んだ。
「・・・・・・えぇ、知っているわよ。採掘路の鉄扉を開けたことも、鉱夫の死体を運び出したことも。だって、あなたたちには見張りを付けていたもの」
「それは――あの木像ですね?」
フランマは窓の外に視線を馳せる。カーテンの隙間から覗く、雪色の街の中。石造りの塀の上に居座る灰色のそれは、ネズミの形をした木像である。
グロウナーシャは笑みを浮かべたまま、フランマの反応を試すようにわざとらしく首を傾げる。それを肯定と捉え、フランマはさらに詰問を続ける。
「貴方の監視の目については、俺の白梟が知らせてくれました。その上で不可解なことがあります。・・・・・・貴方がそのように蒙昧な振りをするのは何故です?何故、鉱山の話を避けるんですか?」
協力関係は始まったばかり。お互いの腹の中が知れない今、疑念を抱かせる行動は問題に繋がる。
無断でシクラーデ鉱山に立ち入り魔法鉱石の件を隠そうとした点において、フランマとサクロヘニカは既に疑念を抱かれて当然だろう。
然しながら、その件に深入りしないどころか話題を避けるということもまた不自然で、疑念を抱かざるを得ない行動である。
今後のためにも、ここは一度探りを入れるしかない。
フランマからの訝しげな視線に、グロウナーシャはため息を一つ零した。
「・・・・・・なにもおかしなことじゃないわ。ただ、変に事を荒らげたくなかっただけよ。あなたたちが鉱山へ立ち入ったことは知ってるけど、そこで何を見たかまでは知らないもの」
「それは本当ですか?」
なおも食い下がり、フランマは鋭い眼差しを向けた。群青色の瞳に影が落ち、さながら晦冥のような輝きが生まれる。
友好的とは思えない色の瞳に捉えられてもなお、グロウナーシャは一歩も引かない。動じることなく、余裕のある態度を崩さないまま返答する。
「どうして本当じゃないと思うの?」
「貴方は、俺たちに片付けを命じた後に鉱夫街へ向かいましたね。となれば、シクラーデ鉱山へ行くことも出来たはずです。フェルシカゴケの痕跡を探し、最深部まで辿り着く事も出来たでしょう。・・・・・・貴方は、シクラーデ鉱山の最果てを見ましたか?もしくは、そこに眠るものをとっくに知っていたのでしょうか」
まるで謎掛けのような、不明瞭で曖昧な質問。
しかしグロウナーシャはそれを責めることもなく、ただゆるやかに首を横に振った。
「いいえ。知らないわ。私は暗くて狭い場所が嫌いなの。だからこそ、あなたたちを試そうと思ったのよ?直接聞いても教えてくれそうに無かったもの」
「・・・・・・それに関しては、すみませんでした。ですが、あの場所に眠るものは――」
「別に気にしてないわ、そんなもの。そこに眠るのが古代の遺物でも魔法鉱石でも、あなたたちの好きにすればいい。私が知りたいのはただ・・・・・・鉱山の奥に、鉱夫以外の誰かが居たかどうかだけよ」
「・・・・・・誰か、ですか?」
想定外の話に、フランマは虚を衝かれたように目を瞬いた。
シクラーデ鉱山の奥深くで人探しなど、途方もない事である。殆どの通路が崩れて水没し、鉄扉は魔法で封じられていた。そこに生きた者が居るとは、到底思えないだろう。
少し考え込み、フランマは言葉を選ぶようにしながら口を開いた。
「俺もサクロヘニカも、全ての通路やその最奥までは確認していませんが・・・・・・何者かに封印魔法が施されている場所がありました。ですが、今もそこに人が居るかどうかは分かりません」
「封印魔法・・・・・・それって、これと同じものかしら」
グロウナーシャはおもむろに手を宙にかざすと、そこへ朧気な魔法式を浮かび上がらせる。
随分と古い形式で、複雑に入り組んだ構造の封印魔法のそれは――間違いなく、灰鉄の門に施されていたものと同じだ。
「えぇ、それと同じもので間違いありません。ですが、何故それを?」
「この魔法は私の師匠が考案した封印魔法よ。師匠以外に使いこなせる人は、少なくともあの頃は居なかった」
どこか遠くを見つめ、グロウナーシャは回想する。
「暗澹たる夜の時代、オルティカーナでは数え切れないほどの諍いがあったわ。師匠はその時にシクラーデ鉱山の中に姿を消してしまった。それからどうなったのかは、ずっと分からないまま。死んでるのか、生きてるのか。・・・・・・いえ、師匠は人間だから、とっくに寿命が来ているでしょうね」
独白のような、誰に向けられるでも無い言葉。
水彩画のように夜空の色が滲む。苦しげな表情に、フランマはすっかり敵意を喪失した。
密かに息を吐いて、食卓の方へ視線を流す。
「・・・・・・少し、座って話しましょう。先程は問い詰めてしまいすみませんでした」
「あら、同情してるの?」
「同情・・・・・・ではありませんね。どちらかと言えば共感でしょう」
鳩羽色の翼を竦め、フランマはグロウナーシャに席へ座るように促した。
二人は、静かに食卓へ座った。オイルランプの不安定な光が揺らぎ、それぞれの過去をうっすらと浮かび上がらせる。
先に口を開いたのは、グロウナーシャだった。
「・・・・・・じゃあ、オルティカーナの話でもしましょう。あの時代に何があったのか、きっと気になるでしょう?」
――それは、二○○年ほど前の物語。氷に閉ざされた都市で起きた、醜い争いの話である。
旧レンヌ歴 五六六年。暗澹たる夜の訪れは、唐突なものであった。
最初にそれに気付いたのは、夜明けを告げる鐘楼の番人だった。一向に太陽は登らず、鐘楼は鳴らない。
天変地異の訪れは、緩やかに人々の間へ知れ渡った。
「太陽が登らない・・・・・・どうして?」
「主神様はどうしたのでしょう。他の十二天神達は何と言っているのです?」
「大地の国へ向かって状況を確認しましょう」
人々は戸惑いながらも、最高神への信仰からか落ち着いていた。
しかし派遣された使節が持ち帰ったのは、最高神によって力を授けられた十二天神ですらその行方を知らないという情報。一週間も経てば、人の心には不安が募り始める。
「寒い・・・・・・燃料を集めないと」
「きっと明日は日が昇るわ。大丈夫よ」
「もっと寒くなったら?山羊も植物も死んじまうぞ」
領主の指示もあって、人々は生きるため協力を続けていた。神の加護を求めて他国へ逃げる者も居たが、街に残る者も多く居た。
――しかし一ヶ月が過ぎ、二ヶ月が過ぎる。
太陽は登らない。気温は下がり続け、猛雪がオルティカーナを襲った。
都市が氷に閉ざされたことに気付いたのは、それより少し後のこと。逃げたはずの避難民が、命からがらに戻ってきた。
「街道はもう通れない!辺境の街もとっくに全滅してる!」
人々はいよいよ、最悪の状況に置かれていることを自覚する。それからは、流れるように裏切りが始まった。
「共用燃料を盗んだのは誰だ!?このままじゃ全員凍え死ぬぞ」
「跳ね橋を上げろ!今の資源じゃ全員を賄うことは出来ない、農民たちには悪いが、外で生きてもらおう」
「食料は狩りで補うの?野草はいつまで残っているのかしら・・・・・・うちには子供がいるの。奪ってでも集めなきゃ」
城内と城外は隔絶され、それぞれの生存戦略が展開した。といっても、燃料の乏しい城外の市民はあっという間に居なくなった。寒さを凌げる建物も少なく、食料は城内の市民や領主に奪われていた。
しかし、城内も同じ末路を辿ることは明白だった。
「食料を寄越せ!!」
「領主が占領してるんだ!屋敷を落として処刑しろ!」
領主とその家族は、暴徒と化した市民に殺された。
「クソっ、いつまで冷え込むんだ・・・・・・鉱山で石炭を集めるぞ、人を集めろ!」
「いや、ダメだ。あちこち凍りついているし・・・・・・寒さで力が入らねぇ」
「じゃあどうするんだ?」
「魔導品を使うしかないだろう」
次に略奪の対象となったのは、魔導品を製造する工房だった。
職人は暖と明かりを取るための魔導品を懸命に創っていたが、市民たちにそれを理解されることは無かった。
「自分たちばっかり楽しやがって、魔法鉱石を独占するな!」
「こいつらが無駄に燃料を使ってるんだろう。もう殺してしまえばいい!」
「・・・・・・そういえばお前ら、シクラーデ鉱山の奥にある禁忌の扉を覚えてるか?」
鉱夫たちの中に伝わる掟。そのひとつが、灰鉄の門に関することだった。
その奥には、国を揺るがす秘密がある。それを手にすれば、この状況を打開出来るかもしれない。
しかし、その場所を知る領主は既に死んでいる。他にそこを知っているとすれば、領主にとって信頼の置ける誰かだ。
暴徒たちは、思考を巡らせた。
――寒い、寒い日。グロウナーシャは大型炉の傍で、震える手を温めていた。
「・・・・・・グロウナーシャ!こっちを手伝って!」
澄み切った声が、工房に響く。必死に寒さを堪えて、グロウナーシャは工房の作業机へ向かった。
そこに居る女性は寒さの割には随分と軽装で、歯を食いしばりながら魔導品の部品を組み上げていた。その手には血が滲み、随分と顔色が悪い。
震えるグロウナーシャを見ると、彼女の師ラヴィーナは苦しげに顔を歪ませた。
「グロウナーシャ、あんたが寒さに弱いことは知ってる。だけどアタシたちが創らないと、皆凍え死ぬんだ」
「分かってるわ・・・・・・」
グロウナーシャは弱々しく応えて、再び魔導品製作に取り掛かった。力の入らない体を叱責し、街の皆のために腕を振るう。
――グリュッツェ工房は、オルティカーナの希望の星のような場所であった。ラヴィーナの創る魔導品は画期的で魔力消費も少ない。気難しい領主にも贔屓にされる、とびきりのお墨付きだ。
亡き領主に報いるためにも、彼女はより一層働いていた。
しかしそれが、不味かったのかもしれない。
その日、突然工房に一人の子供が駆け込んできた。それは近くの工房で手伝いをしている少年、サインだ。
必死の形相で半ば転がり込むように二人の前へ飛び込むと、声変わりの終わっていない甲高い声を上げる。
「ラヴィーナ先生!まずいよ、あちこちの工房が襲われてるんだ、早く逃げないと!」
「襲われてる?誰に?」
「鉱夫たちだよ!」
サインの目には、ありありと絶望が滲んでいた。
「誰かが、シクラーデ鉱山の奥にある灰鉄の門を知ってる職人を探し回ってるんだ。領主様と関係のあった者なら場所を知ってるはずだって・・・・・・僕のところの工房はもうぐちゃぐちゃにされちゃった。師匠も、・・・・・・」
そこまで言うと、サインは喉に言葉をつかえさせた。眩い青色の瞳から、ぼろぼろと涙が溢れ始める。
サインはその場に座り込むと、顔を覆い隠しながら泣きじゃくった。ラヴィーナは、そんな彼を強く抱き締める。
「事情は分かった。あんたはグロウナーシャと一緒に逃げるんだ。だけど、アタシは最後まで残る。ここに残って、魔導品を創る」
「なっ・・・・・・?!」
グロウナーシャは、捨てられた犬のような気分になった。その突き放すような言葉に、かつての孤独な境遇を想起する。
孤立していたグロウナーシャを救ってくれたのは、ラヴィーナただ一人。そんな師匠を一人置いていくなど、考えられない。
「何を言ってるの、師匠も一緒に・・・・・・」
「いいや、アタシは行かない。あんたたちは早く行くんだ――もう時間が無い!」
ラヴィーナが叫ぶと同時――小広間へ続く路地の方から、複数の大きな足音が迫ってきた。石壁が削れる不快な音が響く。刃物か何かが、狭い路地に擦れているかのように。
「グロウナーシャ、早く!」
「私も残るわ!サイン、あなたはブランストさんの所へ!」
グロウナーシャは座り込んだ少年を無理やり立たせ、向かいの民家へと強く押し出す。当然のことに一瞬唖然としながらも、サインは弾かれたようにブランストの家へ駆け込んだ。それに安心すると同時に、何かがグロウナーシャの胸ぐらを掴む。
それは、ラヴィーナ師匠だ。その顔に浮かぶ顔は、これまで見たどの表情よりも焦燥していた。
「何やってんだ、あんたは逃げないと――」
その言葉が、それ以上続くことは無かった。小広間には既に、暴徒が押し寄せていたのだ。
ツルハシや斧、ロープ。それを振り上げる、草臥れた外套に窶れた顔の大男たち。
捕まる。それを覚悟した瞬間・・・・・・声を荒らげて、一人の大柄な男が暴徒を退けるべく工房の前に立ち塞がった。
鮮やかなオレンジの短髪が揺れる。その手に握られているのは、使い古されたノコギリ。その人物は大きく手を広げ、グロウナーシャたちを庇った。
「ブランストさん!」
「お前らは逃げろ!魔導品職人が居なくなれば、街は終いだ!」
大きなノコギリを暴徒に突きつけ、ブランストは怒声を上げる。
「鉱夫ども正気に戻れ!それ以上ラヴィーナたちに近づいたら――」
――その瞬間のことを、グロウナーシャは良く覚えていない。
ただ、真っ赤な鮮血が宙を舞ったことだけは分かった。
大きな体が後ろに倒れ込む。時間の流れが遅くなったように、研ぎ澄まされた感覚と裏腹に身体は全く動かなかった。
「・・・・・・グロウナーシャ!こっちだ!」
ラヴィーナの澄んだ声で、グロウナーシャはようやく意識を取り戻した。咄嗟に、その声の方へ駆け出す。
それは大型炉の裏、鉱山へ繋がる地下道への扉の前からだった。ラヴィーナは重い扉を開き、グロウナーシャに奥へ行くよう合図する。
「早く入れ、この奥に籠城する!」
「っ、分かった!」
促されるまま地下道に転がり込む。冷たい石壁と先程の情景に身震いしながらも、グロウナーシャは幾分か冷静さを取り戻す。その時、重い音を立てて扉が閉まったのが分かった。
良かった、間に合った。
そう思って振り返ったグロウナーシャは・・・・・・自分がたった一人で地下道に閉じ込められたことに、遅れて気付いた。
「師匠・・・・・・?」
「グロウナーシャ、アンタはここに居るんだ。朝が来るまで、出てくるんじゃないよ」
場違いな、穏やかな声色だった。
しかし直後に響いたのは、罵声と荒々しい物音。それだけで、ラヴィーナが捕らえられたのが分かった。
朧気に、ラヴィーナをシクラーデ鉱山に連れていくという声が聞こえた。どこかへ引き摺られていくように、物音が遠ざかる。
「師匠!行かないで・・・・・・!!」
グロウナーシャは必死に扉を押した。もはや寒さなど感じなかった。しかし竜族の怪力を以てしても、扉は開かない。
それはラヴィーナの手によって、封印魔法が施されていたからだ。
やがて、外からの音は何一つ聞こえなくなった。グロウナーシャは、狭く冷たい地下道に一人取り残された。
・・・・・・寒い。痛い。怖い。
肺が凍るような寒さ。魔法で体を温めようとしても、凍傷になりかけた身体ではもう手の施しようがない。
地下道に蹲り、グロウナーシャは嗚咽した。
起き上がることも出来ず、ただ、恨んだ。
身勝手な領主も、盲目な暴徒も、何の救いもない世界も、自分を見捨てた師匠も。
ただ、迫り来る死を感じた。
耳鳴りと、肌を伝う涙の冷気。止めようもないほどに震える体が、絶望する思考すらも揺さぶる。
体が凍てつき、視覚も聴覚も感じなくなっていく。重い瞼と意識が闇に飲まれそうになる。
感覚が薄れていく。
ただ、ある穏やかな日を思い出しながら・・・・・・グロウナーシャは意識を手放した。
――時は流れ、サルベール歴一年。
地下道に取り残された一人の少女の瞼が、微かに震えた。
濡れた衣服が体にまとわりつく。
どこかから流れ込むのは、待ち望まれた雪解け水と、陽光。
そして、どこかから伝わってくる熱気。
目を覚ました時、グロウナーシャは何が起きているのか分からなかった。
眠る前、私は何をしていただろう。これは夢・・・・・・ここは、どこだっけ?
長い夢を見ていた感覚に陥る。
ゆっくりと、体を起こす。真っ暗な視界には、一筋だけ光が差し込んでいた。
本能的な衝動に突き動かされ、半ば這うようにして光の元へ向かう。
そこにあったのは、少しだけ開いた地下道の扉だ。そこで初めて、グロウナーシャは気が付いた。
「・・・・・・夜明けが、きたの?」
封印魔法の事など忘れ、力を振り絞って扉を押し開く。その時は気付かなかったが、ラヴィーナの魔法は既に消えていた。
――外は、悲惨な有様だった。小広間には武器と血が散乱して、半ば雪に埋もれたブランスト一家とサインの死体があった。
懐かしい街並みは凍てついていて、遠く聳えるシクラーデ鉱山だけが変わらずに影を纏っている。
グロウナーシャは、ただただ空を見上げていた。
そこには、確かに太陽があった。
シクラーデ鉱山の背後から差し込む後光が、オルティカーナを照らしていた。
暗澹たる時代は、終わりを迎えていた。
それが一一七年にも及ぶ暗闇だったとは、その時のグロウナーシャに知る由もなかった。
グロウナーシャが生き延びた理由。
それは、竜族に残った冬眠の性質と、適切な温度に保たれ続けた地下道。そして日の出と同時に何者かによって灯された大型炉の放つ、暖かな温度だった。
誰に仕組まれたものなのかは、分からない。どうして大型炉の火がついたのか、扉の封印が解けたのか。
それでも生き延びた事だけが、グロウナーシャの知り得る中で最も確かな事実だった。
「・・・・・・その後、師匠のことを探したけど――どこにも見つからなかったわ。採掘路に師匠の封印魔法が残されてることには気付いたけど、私には開けられなかった。それからはオルティカーナを出て違う街に向かったわ。ずっとここに残ったところで、食べ物も何も無いもの。街に転がっていた死体の山を掃除したのは、また少し後のことよ」
「・・・・・・そうでしたか。それは、災難でしたね」
悲壮な面持ちで瞼を伏せるフランマに、グロウナーシャはにこりと微笑みかけた。
「災難なんて、そう珍しい事じゃないわ。あなただってそうでしょう?」
グロウナーシャは先程よりも清々しい表情でフランマを見つめていた。今度はこちらが話すように、暗に促している。
心にもやがかかるのを感じつつ、フランマはそっと過去を回想した。
物心ついた頃から太陽は無く、知っていたのは寒い夜と飢え、そして母の手の温かさだけだった。
「・・・・・・俺はただ、母と旅をしていただけです。父の事は知りませんし、母からも何も聞きませんでした」
脳裏に刻まれた深い記憶の上層を、少しだけ掬って差し出していく。 あくまで、自分の心が傷つかない程度に。
「俺は、幼い頃から精霊の姿を見ることが出来ました。とはいえ他の導き手と比べれば、随分と感覚が劣っていましたが・・・・・・暗闇に迷った人々を手助けし、多くの村に明かりを灯して回りました。その感謝の証として受け取った食料を少しずつ食べ、旅を続ける毎日です。残念ながら吹雪によって、母とはぐれてしまいましたが」
・・・・・・それ以上、言葉が続くことはなかった。追及しようとグロウナーシャが口を開く前に、フランマは席から立ち上がる。
「わだかまりも解けたことですし、鉱夫達を埋葬しに行きましょう。寒さが嫌でしたら、墓地の場所を教えてくだされば俺一人で行きますよ」
「いえ、私も行くわ。もしかしたら師匠に関係するものが見つかるかもしれないもの」
次いでグロウナーシャも席から立った。二人はそれぞれの外套を深く被り、二重扉から白銀の街へ踏み出した。
粉雪の降り注ぐ、静まり返った採掘場。
積雪を掻き分けて坂道を上がれば、いくつかの小屋と鉄扉が佇む広場へと辿り着いた。
シクラーデ鉱山の黒々しい岩肌が、周囲の深雪によってさらに際立っている。銀色の鉄扉はまたも霜に覆われ始め、放っておけば凍てつきそうな様相になっている。
揃って白靄の息を吐く二人は、会話もないままに足を進めた。建ち並ぶ小屋の中から特に状態の良いものを選び取って扉を開ければ、そこには先日見たままの光景が残されていた。
フランマその側へしゃがみ、彼らの顔を静かに見つめる。
「・・・・・・彼らが、鉄扉のすぐ近くで亡くなっていた者たちです」
「えぇ、見れば分かるわ」
普段の掴み所のない笑みはすっかり無くなり、グロウナーシャは冷たい眼差しで遺体を見下ろした。
その真意を探る気にはなれず、フランマは布越しに一人の人物に触れ、浮遊魔法を施した。ゆらりと体を揺らし、死人が空へ浮かび上がる。
この光景を見慣れることは無いが、フランマにとって死者を埋葬することなどなにも初めてではなかった。
気使うように、グロウナーシャへ振り返る。
「数人ずつ運び出しましょう。墓地まで案内して貰えますか?」
小屋の入口で佇んでいたグロウナーシャは、静かに頷いた。
「安心して、墓地はここからそう遠くないから。だけど・・・・・・ごめんなさい、私は・・・・・・その人たちを運ぶのは、手伝えない」
視線を逸らし、グロウナーシャは自らの服を強く握り締める。口元は固く引き結ばれ、顔色も悪い。
フランマは短く了承して、同じように四人の鉱夫を運び出した。グロウナーシャの先導によってシクラーデ鉱山の北西にある墓地へ向かう。
素性の計り知れないと思っていた少女の後ろ姿は、当初思っていたよりも、随分と小さくて弱々しかった。
――数刻後。フランマは広く空虚な墓地の中で、そっと黙祷を捧げていた。
鉱山に取り残されていた彼らは土と雪の下に弔われ、簡易的なお香が焚かれている。フランマは白花を小さく紐で結って、石材で組み上げた簡単な墓石の前に供えた。
薄灰色の墓石に刻まれた文字はグロウナーシャが教えてくれた死者たちの名だ。その末尾に記された無難な墓碑文は、ただ死者への敬意だけを表している。
フランマは音もなく墓地の中から立ち上がり、離れた場所で木像を撫でるグロウナーシャの方を振り向いた。
「・・・・・・これで埋葬し終えましたね。墓地まで案内していただきありがとうごさいました、グロウナーシャさん」
「別に大した事じゃないわ。結局師匠に関する情報も見付からなかったし、もうここに用はないわね」
投げやりな態度を取り繕うこともなく、グロウナーシャは墓地に背を向けて城内へ戻っていく。ここは彼女にとって、良い思いのする場所では無いのだろう。
小さな背中が、闇色の街並みへと消えゆく。
フランマは少し考え込むと、少女とは違う方向へと足を進めた。
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【宝石商 イリーナ・セルヴェ】
天界各地に名を馳せる『セルヴェ宝飾店』の店主であり、豊穣の都でも特に格式高い宝飾商の一人。
軍部や貴族の間でも通用するほどの信頼を築いており、現在では都でも珍しい『王族貴族御用達の宝飾商』として知られている。
宝石そのものの金銭的価値よりも、そこに込められた想いや機能美に価値を見出している。
魔導品のように“意味を宿す装飾”に強い興味を示している。
【魔導品ギルド/オルド・マギカ】
魔導品の鑑定や職人の保護、流通する市場の監督や危険な魔導品の取り締まりなどを行うギルド。
魔導品の売買には原則、ギルドへの申請や登録が必要とし、上位評議会にて新たな魔導品の等級や扱いについてを決定している。
主に貴族への販売を常とし、軍事転用や商業運用に関しての交渉や仲介も行う。
市場価値を保つ為、どのような魔導品においても低価格で販売することは極めて少ない。
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想花の物語 tofu @tofu_161
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