第十三章 交渉のテーブル

 鳥の木像に案内されるまま、二人は狭く薄暗い裏路地を歩き続ける。

 急階段を登り、欠けたヴィンテージタイルを二歩ほど進んだ頃。

 蔭っていた視界が、ようやく広がった。



 ――路地の先にあったのは、小さな広場だった。

 大通りの瀟洒な雰囲気とは違い、シックで落ち着いた建物に囲まれている。広場の中央あたりには円形の花壇があり、枯れた木の足元で小さな白花が首を垂れ下げていた。

 廃墟の出窓に並んだ鉢植えの中は朽ち果て、広場に面するガラス窓はほとんどが割れている。彫刻の施されたアーチ門も半ば崩れかけてたが、何者かの手によって補修されているようだ。

 広場を囲む建物の中には、食事処らしき場所も見て取れた。かつてここは、人々の憩いの場であったのかもしれない。


 二人をいざなった鳥の木像は、広場から延びる道の一つへ舞い込んだ。サクロヘニカの追跡魔法で顕現した魔力の糸も、同じ方向を指し示している。

「向こうみたいだね。行こう、フランマ」

「――いえ、その必要は無さそうです」

 サクロヘニカが一歩踏み出そうとするも、フランマはその場から動かない。不思議に思って振り返れば、彼は廃墟の上部を見上げていた。


「・・・・・・あら、気付かれちゃったのね」

 聞き覚えのある少女の声が、オルティカーナの沈黙を切り裂くように反響する。


 声のした方を見上げれば、そこには小柄な人影が佇んでいた。サクロヘニカと目が合うと、少女は愉しげな様子で広場へと飛び降りる。

 少女は軽やかに着地すると、ふわふわとした白い厚手の外套を深く羽織り直した。

 落葉色の髪はゆるく結ばれ、夜空の瞳は以前と変わらず不思議な煌めきを放っている。寒さのせいか、その頬や鼻尖は赤く染まっている。

 フランマとサクロヘニカを交互に見据えると、グロウナーシャはふっと息を吐いて目元を緩めた。

「いらっしゃい、お客さんたち。私に何の用かしら?」

「少し、君と話がしたくてね」

 努めて冷静にサクロヘニカが応えれば、少女は驚いたように目を見張った。真ん丸な瞳を瞬かせながら、サクロヘニカを見上げている。

「・・・・・・神獣さん、何だか雰囲気が変わった?大切な人でも亡くしたのかしら?」

「・・・・・・まぁ、そんなところだよ」

 鋭く心を突き刺した言葉に、サクロヘニカは答えを濁した。

 それを目敏く見抜いたグロウナーシャが追及しようと口を開きかけた時――二人の間に、あの木製の鳥が舞い降りた。

 朽葉色の木像は主張するように羽ばたき、やがて疲れたのかグロウナーシャの肩に落ち着いた。

 少女は目を細めて、肩に留まった木像の瞳をじぃっと覗き込む。

「・・・・・・いいわ。どんな事情であれ、あなたたちには私の力が必要なんでしょう?」

 一つ息を吐くと、グロウナーシャは木像を優しく撫でて眦を緩ませた。どうやら、深入りする気は失せたらしい。

「着いてきて。工房まで案内するわ」

 羊のようにふわふわした外套を翻して、彼女は路地裏へと歩き始める。

 閑静な小広場にコツンコツンと響く靴音は、まるで何かが始まる兆しのように感じられた。



 ――案内された先にあったのは、小広場の裏手にひっそりと構えられた小さな工房であった。

 艶やかな黒屋根に建付けられた看板には、赤い木の実を咥える小鳥の文様と『グリュッツェ工房』という文字が刻まれている。

 黒とグレーを基調に建てられた建物からは、こじんまりとしていながらも凛とした印象を受けた。

 正面の壁は吹き放たれ、屋内には作業机や石材が所狭しと並んでいる。その奥に備え付けられた大型炉は、静けさと共に淡い火光を纏っている。

 大型炉付近に置かれた木箱の中からはクォーツのような白銀色の鉱石が顔を覗かせ、外から差し込む朧気な光を反射している。隣のソードラックには研ぎ澄まされた刀剣や槍斧が立て掛けられ、鏡面のように磨かれた刃が冷気を放つ。

 店先には瑞々しい白花が飾られ、よく手入れされていることが窺えた。


「・・・・・・ここが君の工房かい?思っていたより小さいんだね」

「私の師匠は、広い作業場よりも美味しいご飯の方が好きだったのよ」

 グロウナーシャは迷うことなく工房へ踏み入ると、小さなスツールを持って戻ってきた。

 腰ほどの高さの仕切り壁の前にスツールを並べ、そこに積もっていた土埃を払い除ける。

「どうぞ座ってて。わたしはお茶を入れてくるわ」

「ありがとうございます、グロウナーシャさん」

 フランマが礼をすれば、彼女は緩く微笑むと軽やかな足取りで工房の奥に姿を消した。これほど孤独な街で暮らしていたのなら、客人が来たことが嬉しいのかもしれない。

 サクロヘニカは傷だらけの椅子に腰掛け、店内を見渡した。

 壁棚や収納棚には色とりどりの鉱石類が並べられ、工房主の収集癖を窺わせる。整頓された工具や装飾品は磨き上げられていて、真新しそうなカラクリ機構が独りでに歯車を回している。

 工房内は綺麗に掃除されてはいるが、そこかしこに傷や欠けが目立っていた。暗澹の時代に、何かあったんだろうか。それとも・・・・・・。

 チラリとフランマの方を見れば、彼も同じように思案していた。ふいに目が合うと、彼は物憂げな顔をする。

「何か気付きましたか?」

「あぁ、あちこち傷だらけなのが少し気になってね」

「俺もです。ここへ来る途中にも暴動があったかのような大きな傷跡を見ましたし、城外には焼け落とされたような民家もありました。何らかの諍いがあったのは間違いないでしょうね」

 フランマは腰に隠したナイフを確かめるように手で触れると、探るような視線をサクロヘニカに送った。

「ところで、サクロヘニカ。グロウナーシャさんとどう交渉するつもりですか?」

「・・・・・・私のありのままの意見を伝えるまでさ。彼女にとって、そして私にとってメリットとなる共通点があるはずだからね」

 幸い、説得や交渉なら原初の天使に対して散々してきた。おかげで口論にも強くなった気がする。

 化石のように動じない彼女に比べたら、他の大多数なんて大したことは無い。


 交渉の手札をいくつか並べた頃、軽快な靴音を鳴らしてグロウナーシャが現れた。

 二人の前まで来ると、仕切り壁をテーブル代わりに色も形もバラバラなティーカップを並べる。もれなく一部が欠けているが、大丈夫だろうか。

 訝しげにカップを見つめるサクロヘニカに気付いたグロウナーシャは、肩をすくめてため息を零した。

「悪いけど、お菓子はないの。そもそもお茶だってあまり量はないのよ」

「いいや、大丈夫だよ。気にしないで」

 サクロヘニカの視線を、お菓子を欲しているのだと受け取ったようだ。そこまで甘味にこだわりがある訳じゃないので、やんわりと遠慮しておく。

 それを気にする素振りを見せながらもグロウナーシャは独特な形のティーポットを傾け、カップにお茶を注ぎ始める。途端に湯気が立ち上り、奇妙な匂いがした。

「さぁどうぞ。話は飲みながらにしましょう。変なものは入ってないから、安心して」

 仕切り壁の向かい側に座ったグロウナーシャは迷いなくカップを拾い上げ、お茶を口にする。

 後に続いてサクロヘニカがカップを手に取れば、湯気と共にやけに青黒い液体が揺れた。

 ・・・・・・これ、飲めるのだろうか?

 密かにフランマの方を窺うと、彼は不自然でないほどの一瞬の躊躇の後、静かにカップを傾けた。反応を見るに、飲めない訳では無いようだ。

 意を決して、カップに口を付ける。途端に水草のような匂いが広がったが、そのまま喉奥に流し込んだ。

 ――ザラザラした舌触りと、草の苦汁のような風味。飲み込んでもなお、泥土が舌の上に残っているような不快感がする。

「・・・・・・苦すぎないかい?」

 おもわず顔をしかめて、サクロヘニカは言葉を零した。

 フランマとグロウナーシャは平気そうに飲んでいるが、とてもこのままじゃ飲めそうにない。臭みはないが・・・・・・とにかく苦い。

 グロウナーシャはその様子を見ると、愉快そうに目を細めた。

「あら、神獣さんにはまだ早い味だったかしら」

「早いも何も・・・・・・君、普段からこれを飲んでるのかい?」

「えぇ、そうよ」

 平然としている姿に、サクロヘニカは若干の哀れみすら覚えた。

 その様子を見ていたフランマが、なんでもない口振りでとある歴史について語り始める。

「・・・・・・暗澹たる夜では、食料も娯楽品もまともにありませんでしたから、人々は体を温めるために色んな野草を煮出して飲んでいました。このくらいの苦さ、なんてことはありません」

「そうだったのかい?」

 訊き返せば、グロウナーシャは深く頷いた。次いで、わざとらしく大きなため息をつく。

「その通り。暗澹たる夜では何かを口にできるだけで恵まれてたの。特に窮地に立たされた地域では、死んだ子供や配偶者の骨を煮て何度もスープを作ってたらしいわね。まぁ、美味しくなんてないでしょうけど――」


 突然の爆弾発言に、サクロヘニカはカップを手にしたままピシリと固まった。

 起こり得ないと分かっていながらも、妻の亡骸でスープを作る友人・・・・・・エイミの姿を想起してしまったのだ。

 シーチカやへニカ、そしてエイミ。もし暗澹たる夜が再び訪れたなら、彼らはどうしていただろう。


 顔色を悪くしたサクロヘニカに気付き、フランマはグロウナーシャへ怪訝な眼差しを向ける。

「そういった冗談は、サクロヘニカの前ではやめてください。悪影響です」

「あらごめんなさい。つい」

 衝撃から立ち直れないサクロヘニカを気遣い、フランマは穏やかに声を掛ける。

「サクロヘニカ、今のは彼女なりのジョークでしょう。少なくとも、俺の知る限りそのような事は起きていません」

「・・・・・・大丈夫、少し驚いただけだよ」

 心配そうに見つめられ、サクロヘニカは所在なさげに目を逸らした。その様子を盗み見るグロウナーシャは、やはり愉しそうだ。

 湯気の揺れるカップを置くと、少女は場違いに明るい声を上げた。

「そういえば神獣さん。お茶が口に合わないのなら、砂糖を入れてみる?少しだけならあると思うの」

 ・・・・・・この流れ。果たして、それは善意による提案だろうか。

 しかし、出されたお茶を残すのは失礼に当たると先生に口酸っぱく言われてきた。

 一先ずそれに乗ることにする。

「いいのかい?なら、貰おうかな」

「じゃあ、あそこのツバメに頼んでちょうだい」

「・・・・・・うん?」

 突如飛び出した『ツバメ』という単語に眉を顰めると、グロウナーシャは一つの壁棚を指差した。その指先を追いかければ、置物に紛れるように座る小鳥を視界に捉える。

 白黒の体に、赤い頬。恐らくあれが、少女の言うツバメだろう。しかし、身動ぎ一つしていない。

 目を凝らせば、どうやらそれは木像のようだった。薄らと魔法式のようなものも感じ取れる。

 サクロヘニカは疑わしげに、半ば閉じた目でグロウナーシャを見遣る。

「それで、どう頼めば?」

「『お砂糖をとってきて』って言えばとってきてくれるわ」

「・・・・・・ええと、お砂糖を取ってきてもらえるかな」

 戸惑いながら問いかければ、途端にツバメが動き始めた。壁棚の端まで飛び跳ねてくると、細長い翼で風を切るように薄暗い街へ飛び去っていく。

 やがて、ものの一分ほどで戻ってくると、ツバメはサクロヘニカの目の前に舞い降りた。その嘴には一欠片の砂糖がある。

 サクロヘニカは、先程とは打って変わって好奇心に満ちた瞳でツバメを眺めた。

「へぇ、凄いね。これも魔導品かい?」

「ええ、そうよ。加工途中に余った魔導石の欠片で作ったの。気晴らしにね」

「君の技術には感服するよ・・・・・・おや?」

 瞳に嵌め込まれた魔導石を興味深く観察していると、視線を受けたツバメがおもむろにカップへ近付いた。

 砂糖を入れてくれるのか――と思いきや、ツバメの木像は盛大に的を外し、砂糖の欠片はソーサーに転がり落ちた。

 カラン、と虫の鳴き声のような微音が鳴る。

 サクロヘニカは口元に手をやり、「ふむ・・・・・・」と思案顔をした。

「どうやら、改良の余地がありそうだね」

「言ったでしょう?余った欠片で作ったって。大したものは作れないわよ」

 サクロヘニカが砂糖の欠片を拾ってカップに入れ直せば、ツバメは満足したかのように飛んで行った。

 少し甘くなったであろうお茶に口をつけ、一息つく。

 今一度カップを傾けてやや苦いそれを嚥下している最中、にわかにグロウナーシャの言葉が降り注ぐ。

「――それにしても、まだこの街に砂糖があったなんてね。あの子、一体どこから盗ってきたのかしら」

「・・・・・・ん?」

 意図か汲み取れず、サクロヘニカは困惑を露わにする。飄々とした少女は、独白のように言葉を綴っていく。

「このカップもティーポットも、全部廃墟から集めたものなのよ?あのツバメは、頼んだものを探し出してくれる特別な魔導品なの」

「つまり、これらは盗品ということかい?」

 サクロヘニカが問えば、少女はどこか悲しげに目を伏せて空のカップを置いた。

 花草の模様が描かれた欠けたカップが、悲愴な雰囲気を醸し出している。

「こんな場所では日々を暮らすので精一杯なのよ。軽蔑したかしら?」

「・・・・・・まさか、そんなこと思わないよ」

 人の物を盗めば、それは罪となる。他人の財産を奪う行為に良い思い出はない。ただしグロウナーシャのそれは、私欲に塗れた強奪よりも切実なもののようだった。

 とはいえサクロヘニカはあまり法に詳しくない。そして、人の行為における善悪の区別が未だについていない。

 言葉に詰まるサクロヘニカに、フランマが助け舟を出した。

「・・・・・・無断で持ち去ってはいますが、今や所有者の居ない品ならば咎める者は居ないでしょう。今後トラブルが起こった時には俺が仲裁します。ですが、これからは極力控えてください」

「あら、心強いわね」

 暗澹たる夜の時代に齎された悲劇の数々は、今や数え出してもキリがない。グロウナーシャの境遇に共感する二人の顔を交互に見つめると、彼女はやけに満足気に笑んだ。

 ――何か、嫌な予感がする。

「じゃあ、みんな共犯ね」

「・・・・・・共犯?」

「えぇ、そうよ」

 グロウナーシャは、仰々しく工房を見渡す。視界に映る品の数々に思いを馳せるように、目を細めている。

「あの壁掛けも槍斧も、炉の燃料もそうね。それから保存食に、魔導品の基礎。どれもこの辺りをねぐらにしようとしてた山賊から奪い取った物なの。・・・・・・だから、あなたたちにそれを咎められたらどうしようかと思った」

「・・・・・・なるほど」

 山賊から奪い取った品。

 それは思いっきり強奪ではあるが、相手が相手なので咎められないのだろうか。

 フランマに目配せすれば、彼は困ったように眉根を下げて首を振った。

 この少女、思っていたより逞しいようだ。

「・・・・・・まぁ、どうであれ私が君を咎めることは無いよ。君とは協力関係を築きたいんだ」

 足を組み、サクロヘニカは真っ直ぐにグロウナーシャを見据えた。グロウナーシャはテーブル代わりの腰壁に頬杖をつき、妖艶な夜空の瞳をにこめている。

「面白そうね。どんな話か聞かせてくれる?」

「もちろん」

 サクロヘニカはラヴェンダーの瞳を細める。ここから先は、慎重に言葉を交わさなければならない。



 ――歴史的な分岐点を迎えることとなる交渉のテーブルに、二人の偉大な魔法使いが対面した。



 交渉の口火を切ったのは、サクロヘニカだった。

 凛とした口調で、大まかな事情を述べていく。

「率直に伝えるけれど、私が君を尋ねたのはひとえに君の持つ精錬技術と魔導石を必要としているからだ。それに、私は君のように精巧で効率的な魔導品は作れないからね」

「ま、そうでしょうね」

 夜空の奥は深淵のように見通せない。サクロヘニカは彼女の真意を探るように、深淵の瞳を鋭く見つめる。

 サクロヘニカは彼女の興味を惹くための手札を切る。

「私は予てより疑問に思っていたことがあってね。何故この世界において、魔法という奇跡と神秘に満ちた学問が浸透していないのかずっと分からなかったんだ」

 欠けたカップに視線を移しながら、過去の残影に思いを馳せる。

「ただある時、密かに大切に想っていたものが魔法によって蹂躙され、跡形もなく消えてしまってね。それで気付いたよ。魔法とは凶器だ――単なる奇跡じゃない。もしなんの礎もないまま魔法学が更なる進歩を遂げれば、天界はどうなると思う?」

 問かければ、グロウナーシャは軽く考え込む素振りを見せた。

「・・・・・・そうね。人々の暮らしは豊かになるでしょうけど、同時に深い影が付き纏うようになる。魔法による格差が生まれれば魔法を持たざる者は淘汰されるかもしれないし、強力な魔法兵器が生まれれば既存の機構を使うより遥かに多くの命を容易く殺せるようになる」

 グロウナーシャは細い瞳孔を丸めて答えた。

 彼女の機嫌を損ねないように、サクロヘニカはあえて明るい口振りでそれを肯定する。

「あぁ、私もその通りだと思うよ。優れた力は、往々にして暴力を生む。魔法を持つ者が持たざる者を淘汰し、さらに持つ者同士では争いが起きる。魔法技術の発展は一度始まれば留まるところを知らず、民衆たちは己が優位に立つため、貪欲にその力を欲するようになるだろう。魔法学とは、篝火の下で密かに息を潜めておくべき学問なのかもしれない」

 ウエルネルタの悲劇も、その一部分を覗かせていた。残忍な魔法使いは一方的に弱者を淘汰することができ、無垢な弱者は抵抗の術もなく歴史の粉塵と化す。

 魔法はどこまでも発展していく。魔法の知識が普及するほど、豊かな生活の裏に暗雲が立ち込めていく。

 人を殺す魔法なんて、いとも容易く編み出せるようになる。愉悦のために獲物を甚振るような獣たちも現れるだろう。

 それを思えば、今の暮らしがもっとも穏やかなのかもしれない。魔法によって命を奪われることはあれど、目を瞑ってしまえばそれだけだ。

 人々に禁断の果実を口にさせるよりも、遥かに理想的だ。

 ――しかし。


「・・・・・・それでも私は魔法を研究する。その幻想性によって、全ての理想を実現するために。そのために払う犠牲など、心底興味が無いからね」


 ラヴェンダーの瞳に仄暗い光芒が灯る。

 不敵に微笑んでいるが、その目元は笑っていない。

 狂気に触れたかのような雰囲気を纏う姿に、グロウナーシャは眉を寄せた。フランマも警戒するように空気を張り詰めさせている。

 熱く冷たい演説は続く。


「私は世界に火を放つ。種の垣根を越えた凶器を撒き散らす。魔法という名の燃え滾る業火が森羅万象を焼き尽くした時、どのような景色が広がるのか気になるだろう?」


 魔法によって全てが焼き尽くされた時、世界はどうなるのか。

 暗澹と混沌に呑まれるかもしれない。この世の真実が露になるかもしれない。

 魔法は業火。誰もがこぞって手を伸ばす、禁断の果実。それを渇望する人々の欲望を薪に、さらなる焔を立ち上らせる。

 だが、それをするには――必要な犠牲が多すぎる。


 サクロヘニカは、一つ息をついた。ゆっくりと目を閉じ、やがて瞼を持ち上げる。

 暗闇を引き裂き、夜明けの光を浴びるように。

「・・・・・・もちろんそれが叶うならそうするのだけれど、生憎私には怖い先生がいてね。そんなことをすれば、津波のごとく怒られてしまう」

 渦巻いていた狂気が鳴りを潜め、肌が粟立つような空気の震えが沈黙する。グロウナーシャとフランマは、鷲掴まれていた心臓からようやく手を離されたような感覚に陥った。

 神獣の放つ威圧感とは、一介の生命にとって抗い難い恐怖を感じさせるものだ。

 しかし知ってか知らずか、サクロヘニカはすっかり普段の調子を取り戻していた。

 グロウナーシャを指し示すように、手を伸べる。

「そこで、君にしか出来ない頼みがあってね。この世に魔導品を普及させるために、君の力が必要なんだ」

「・・・・・・どうして、あなたの目的のために魔導品が必要なの?」

 グロウナーシャの瞳は友好的な色を失いつつある。

 だとしても、サクロヘニカは簡単に引き下がりはしない。

「私は、いずれ必ず魔法という名の火炎を世に放つ。先駆者が死のうとその遺志が後世に継がれるように、知識を手に入れた探求者たちが更なる魔法を編み出すと信じている。でも・・・・・・それは今じゃないんだ」

 サクロヘニカは、街を呑み込むように高く聳える鉱山を見つめた。

 シクラーデ鉱山はオルティカーナの発展に貢献し、そして人々の豊かな文明を築いてきた。

 だけど、現実は単純ではない。シクラーデにも闇の側面はあるはずだ。

 じわりと瞳孔を広げて、呆然と鉱山を見つめる。未来を見定めるように、その危険性を計るように。

 手札を切る。

「・・・・・・まず、手始めに魔導品を天界に浸透させる。それは魔法学の種火となり、抑止力にもなるからだ。業火が暴走する前に、人々に予め魔法に抗う術を与えておく」

 そう。これは、あくまで下準備に過ぎない。

「私たちで魔導品という名の“煉瓦”を積み上げ、巨大な暖炉を造る。十分な燃料と薪を用意して――魔法という名の火を放つんだ」


 ――魔法学のいしずえを築く。そうすることで、魔法学の発展のために不要な犠牲を払わずに済む。

 闇雲に野に火を放つのではなく、暖炉の中で知識という炎を飼い慣らす。

 火災が起きた時は消化する他ないが、少なくとも漏れ出た炎が世界を焼き尽くすことは無いだろう。

 これはサクロヘニカの思い描く限り、もっとも先生に怒られない方法だった。


「・・・・・・へぇ?面白い考え方ね」

 グロウナーシャが軽く目を見開く。頬杖をつきつつ足を遊ばせている姿を見るに、興味をそそられているのだろう。

 新たな手札を並べる。

「魔導品といっても、好き勝手に創り出す訳じゃない。他者を傷付けるものや秩序を崩すものは却下。私たちが創るのは、あくまで自己防衛のための魔法たちだ」

 サクロヘニカは、サドルバッグから持ち出していた魔導書を机上に据え置いた。そのうちの一枚のページから、羊皮紙を抜き取る。

「志向を凝らして、新たな防衛魔法を編み出したんだ。範囲は狭いけれど、一人や二人なら如何なる危険からも身を守ることが出来て発動も容易。改良すれば、街一つ程度は守れるようになるかもしれない」

 さり気なく羊皮紙をグロウナーシャに差し出す。

 彼女が受け取ったのを確認し、サクロヘニカは改めて今回の旅の目的を告げた。

「しかしこの魔法を魔導品に落とし込むためには、魔法鉱石じゃ無理があってね。高価である上に、消費魔力が人間の許容するそれを上回ってしまう。・・・・・・そこで、君に助けを請いに来たのさ。君の持つ魔導石なら、その二つの問題を解決できる」

 魔法鉱石を精錬することで生み出せる、魔導石。

 少量で効果を発揮でき、軽くて魔力消費も少ない。使用者への負担を考慮するならばこれ以上の媒体は見つからないだろう。

 羊皮紙を見つめるグロウナーシャの様子を静かに窺う。もし断られた時は、別の方法を探さなければならない。

 控えに残された手札を慎重に見極める。


 ・・・・・・しかしその懸念は、杞憂となる。


 魔法式をひと通り読み終えると、グロウナーシャは目を輝かせた。その瞳に宿っているものの正体は、一目瞭然だ。

「いいわ、創ってあげる。これは私にしか――グリュッツェ工房でしか創れない」

 夜空の瞳に星明が灯る。

 深淵の双眸が、満点の星空のように煌めいている。

「あなたに協力しましょう。ただし、いくつかの条件を飲んでもらうわ」

「構わない。聞かせてくれ」

 サクロヘニカが頷くと、少女は宙をなぞるように指を立てた。

「まず一つ目。私の創る魔導品を世に出したいのなら、私と魔導石、そしてグリュッツェ工房が誇る精錬技術を守ってちょうだい。あなたの言う“暖炉”を弊害なく築くためには、私の持つ秘術を奪われてはいけないもの」

「と、言うと?」

 サクロヘニカの問いかけるような眼差しに、グロウナーシャは頬に手を当てて憂いありげな表情を見せる。

「今あるどれよりも優れた、特別な魔導品と魔導石。そしてそれを成り立たせる唯一の精錬技術。――その存在が世に知れ渡れば、他者を圧倒できる力を己が物にしようと企む悪獣が現れるでしょう。でも、魔導石によって殺戮兵器が作られるのなんて、私も師匠も望んでいないの。だから、無闇矢鱈にこの精錬技術を周知されるわけにはいかない。秘術を求めて賊が押し寄せるだとか拷問に掛けられるだとか、そんなのごめんだわ」

 彼女の言い分は、尤もだった。精錬技術どころか命まで狙われかねないというのならば、サクロヘニカにはそれを守る義務がある。

 彼女の立場は、殊の外難しいところにあるようだ。

「・・・・・・なるほど。尽力するよ」

「そうしてくれると助かるわ」

 サクロヘニカが頷けば、彼女はもう一本の指を立てた。

「二つ目に、私を支援すること。依頼だけして放ったらかしなんて許さないわ。依頼料は要らないけど、材料費と生活費は援助してちょうだい?あと、魔導品の売上の半分は貰うわ」

「分かった。それで構わないよ」

 潔く譲歩すれば、グロウナーシャは満足気な表情を浮かべた。

 夜空の煌めきを狭めてサクロヘニカを見つめると、不意に椅子から立ち上がって手を差し出す。

 安堵にも取れる声色には、微かながら震えが混じっていた。

「・・・・・・私はずっと、重い秘密を一人で抱え込んできた。でもそれも、もうお終いね。・・・・・・神獣さん、私の協力者になってくれる?私は魔導品を、もっともっと創りたいの」

 グロウナーシャは、どこか縋るような眼差しでサクロヘニカを見下ろしている。差し出した手が所在なさげに震えているのが見て取れる。

 サクロヘニカは密かに微笑んだ。


 ――見つけた。彼女にとって、そして私にとってメリットとなる共通点。

 魔導品の製作と、魔法学の繁栄。

 魔法革命のピースは今、揃った。


 椅子から立ち上がり、グロウナーシャの差し出した手を取る。二回りは小さな手から、冬の冷気を切り裂くような温もりを感じた。

 もう手札は必要ない。ただ真摯な面持ちで、目の前の少女を見据える。

「任せて、グロウナーシャ。必ず守り通すよ。君も、技術も、工房も、オルティカーナも」

「・・・・・・あら、あなたって傲慢なのね」

「そうかもしれない。しかし学者とは、往々にしてそういうものだろう?」

 薄く微笑んで、傲慢に言葉を続ける。

「君の全てを、私が囲おう。例え世界が敵に回ろうとも――私は壊れない。」

 震える手を一層強く握りしめれば、グロウナーシャは虚を突かれたように目を見張った後、満ち足りたように微笑んだ。

 交渉は、成立した。





 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


【大地の都/ディアメルク・クラウン】

 大地の国の北東、スロトロワ州に位置し、厳然たる山岳に囲まれた丘陵の上に広がる天界屈指の大都市。その特殊な地形ゆえ『神の掌上』とも呼ばれる。

 皇帝の管轄地とされ、他の貴族家や行政は原則として介入できない。皇帝直属の常備兵である帝都親衛隊が駐屯し、領内防衛や治安維持を行う。

 絢爛豪華な鉱石/工芸品の一大産地であり、最高級品として市場では不動の地位を築いている。

 優秀な職人や鉱夫が数多く暮らし、人頭税の減税など一般市民よりも優れた待遇を受けている。

 多様な種族や民族、身分の者が生活しているが、中でも竜族に限定された法律が数多く存在する。


【大地の神/ロイゲンティオ・カルセドニ・スロトロワ】

 由緒正しきスロトロワ家の現当主にして、大地の国を統治する皇帝。十二天神としての側面も持ち、天界を管理する権能の一端を担っている。

 独善主義で、目的の為ならば手段を問わず障壁を破壊する冷酷な性格。無敗の武神としても知られ、大規模な大戦を幾度も経験している。

 即位して以降、次々と新たな法律を制定し独裁体制を築いた。

 民の自由を奪いながらも豊かな生活を約束し、強固な経済基盤と国軍を以てして大国を支配している。


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