第十章 魔法が使えない
強盗共を乱雑に縛り上げ、フランマが馬車の方へ向かったのを見送ると、サクロヘニカは服に着いた土埃を払い落とした。
左肩がジクジクと傷んでいるが、大した怪我では無いだろう。
治癒魔法を使えば、少し痛みが和らいだ。
「・・・・・・それにしても、面白い作戦だったな」
口元を緩めながら、誰に聞かせるでもなく呟く。
その作戦とは野営地に向かう途中、フランマが考案したものだった。
――「俺はあえて下位魔法だけを使います。相手に後手を取っていくので、サクロヘニカはそれを上位魔法で補助してください。そうすれば敵は俺ではなく貴方を狙うようになります。そして敵の注意が貴方に向いているうちに、俺が仕留めます」
フランマの提示した作戦は、自らを犠牲にして敵の油断を誘うという彼らしいものだった。
確かに相手の魔法使いに逃走を図られるよりは、油断させて手早く捕まえた方が楽だろう。
「へぇ、面白そうな作戦だ。それでいこう」
そう答えれば、フランマは自らの純白のケープをサクロヘニカに羽織らせた。その際フクロウの紋章も付け替えることで、サクロヘニカが白梟の使徒だと思い込ませるつもりらしい。
「君、意外と狡猾だね?」
「合理的だと言ってください」
愉快そうなフランマを横目で見ながら、サクロヘニカは初めての作戦行動に気もそぞろであった。誰かと連携するなど初めてであるし全く勝手が分からないが、原初の天使に啖呵をきったからには失敗できない。
やがて野営地に辿り着きその様子を観察してみれば、子供の乗った檻車には爆破魔法が仕掛けられていた。
こうなれば、サクロヘニカが如何に注意を逸らすかが問われる局面となる。
――しかしいざ未知の魔法を目の前にすると、それらの責任感などよりも僅かに興味が勝ってしまった。
フランマには悪いと思いつつ敵の魔法に被弾し、その仕組みを紐解こうとする。
突然魔法が発動して肩が切り裂かれた時は驚いたが、痛みよりも魔法式への興味の方が強かった。フランマが交戦している最中、サクロヘニカは密かに魔法を解読していたのだ。
そういう訳で、サクロヘニカは魔法式を完全に己が物とし、解除も発動も自由自在となった。
「・・・・・・私もこの魔法を使ってみたいけれど、先生が怒るだろうか」
思案しながら独り言を零したその時。ふいに『ドンッ』と鈍い音がした。
馬車の方からだ。子供たちのどよめきも聞こえる。
不審に思い、サクロヘニカは早足でそちらへ向かった。
馬車の影から檻車の方を覗き込めば、そこにはフランマと数人の子供たちが居た。その数歩先では、見覚えのある赤毛の少女が転倒したのか尻餅を着いている。確か、ムッシュが倒れたその日に医務室に居た一人だ。
フランマは子供たちに囲まれながら、少女を突き飛ばすような形で地面に座り込んでいる。
「フランマ?どうしたんだい?」
サクロヘニカが問いかけた瞬間。
フランマの体がぐらりと傾いた。
手を伸ばすも間に合わず、彼はそのまま地面に倒れ込む。すぐさま駆け寄ったサクロヘニカは、彼を起こそうとその体に触れる。
――グチャ。触れた場所から、生暖かい妙な感触がした。
手を離して確認すれば、その正体は深紅の液体。暗くて見えていなかったが、フランマの腹部からは血が溢れ出していた。切れ味の良い刃物で真っ直ぐ貫かれたような傷口だ。
苦しげな声が聞こえる。彼は傷口を庇うように抑え、治癒魔法を施そうとしていた。
「フランマ、まさか刺されたのかい?」
フランマは僅かに頷いた。サクロヘニカも治療を手伝おうと手を差当てる。
「――そんなことしても意味ないわよ!!!」
それを見ていた赤毛の少女が、声を荒らげた。
サクロヘニカが視線を向ければ、彼女は笑っていた。その手元には血で染ったナイフが握られている。返り血と興奮で頬が赤く色付いている。
「君がやったんだね?」
「ええそうよ。ムッシュさんを殺したのだって私だもの。それに、このナイフは特別なの。魔法を使えなくなるのよ!」
早口で捲し立てる少女は、酷く高揚していた。このままでは周りに危険が及ぶだろう。野放しにはできない。
サクロヘニカは鎖で瞬く間に少女を縛り上げる。手からナイフが零れ落ち、カランと乾いた音が響いた。
「――フランマお兄ちゃんっ!!!!」
張り裂けんばかりの悲鳴が聞こえた。サクロヘニカが手元に視線を戻せば、フランマから流れ出たとめどない血が地面に染み込み、鮮やかな水溜まりをつくっていた。顔から血の気が失せている。
「・・・・・・サクロヘニカ、すみません」
「大丈夫、すぐに治すよ」
声を掛け、フランマを腕の中に抱えるようにして支える。
傷口は酷く抉られ、臓物のようなものも見て取れた。
なんてことは無い。ただの外傷だ。
ムッシュの体を蝕んだようなものでも、先程サクロヘニカに埋め込まれた魔法のようなものでもない。
腹部に手を当てる。そっと魔力を流し込む。
「・・・・・・あれ?」
サクロヘニカは確かに治癒魔法を使っている。しかし、傷が癒える兆しはない。
注ぎ込んだ魔力がそのまま流れ出ていくような感覚がする。
ハッとして赤毛の少女が持っていたナイフを見る。
そこには、花紫色の宝石――いつかの夜市で見た魔導石が埋め込まれていた。
浮遊魔法でそのナイフを手元へ滑り込ませる。
宝石に触れて確認してみれば、そこには確かに魔力の流れを阻害させる強力な魔法が施されていた。
魔力の流れが阻害されれば、魔法式の解読はできない。
魔法式が解読できなければ、この魔法を破壊できない。
――つまり魔法が使えない。
「クソ・・・・・・っ」
悪態をつき、ナイフを破壊魔法で粉々にする。しかしそれでフランマに掛けられたものが消える訳じゃない。
「フランマ、しっかりするんだ。きっと時間が経てば魔法が薄れるだろう。それまで耐えてくれ」
とはいえいつ薄れるのかは分からない。傷口を抑えて圧迫するが、既に大量の血が流れ出している。
サクロヘニカは、魔法以外で人を救う方法を知らない。その様子を見兼ねたのか、フランマは痛みに耐え、口を開いた。
「・・・・・・白梟が、騎士団にこの場所を・・・報せに向かっています。俺は大丈夫ですから、あなたは子供たちを守っていてください・・・・・・」
フランマは息も絶え絶えに呟くと、やがて気を失ったのか固く目を閉ざして動かなくなった。
サクロヘニカは、周囲の音が聞こえなくなった心地がした。
「フランマ、待ってくれ、起きるんだ」
咄嗟に肩を揺さぶる。
彼の首が、がくりと頽れた。手足の力が弛緩している。
「・・・・・・フランマ?」
口元を確かめる。微かに呼吸をしている。
まだ、辛うじて生きている。でも、いつまで持つか分からない。
「君が居なくなったら先生が悲しんでしまう。戻ってきてくれ」
声を掛けるが、反応はない。
脈打つように流れ出ていた血の勢いが、次第に弱まる。
――この泡沫の命を救うにはどうすればいい。
サクロヘニカは頭を回転させる。ここで彼を死なせる訳にはいかない。先生に『フランマを守るように』と言われたのだから。
サクロヘニカは知り得る全ての魔法を片っ端から試した。
どの系統の治癒魔法も、再生魔法も停止魔法も効果は見られない。
水脈を生み出して血液を押し戻そうとしても、瞬く間に霧散する。血液を凝固させようとしても完全には固まらず、物理的に圧迫する以上の最善策は見つからない。
視界が赤く染っていく。冬だと言うのに、手先が生暖かい。
フランマの白梟が助けを連れてくるのを待ったとしても、果たしてその時彼は生きているだろうか。
しかし魔法以外の方法で血を止めようにも、もうこれが精一杯だ。
絶え間なく回転する頭の隅を、原初の天使の顔が過ぎった。どうしてこんな時に彼女を思い出すのだろう。
――そういえばウエルネルタの教会で、彼女はサクロヘニカを冷たい目で見据えながら。『私は手助けしよう』と言っていたっけ。
「・・・・・・なるほど、先生に助けを求めるのが最善策ってことかな」
サクロヘニカは片腕でフランマを支えると、血濡れた手をそっと地面にかざした。
瞬間、暴風雨のような魔力の激流が現れる。
それはサクロヘニカとフランマ、そして子供たちを包み込んでいく。
無数の魔法式が目の前でチカチカと弾ける。サクロヘニカはその一つ一つに目を光らせ、解れがないか用心深く確認する。皓然とした青白い光が差し込んでくる。
「罪人たちには悪いが、ここでしばらく凍えていてもらおう」
彼らを縛り上げる魔力の鎖が消えないよう、地面に魔法式を埋め込んでおく。そのうち騎士団が来るのだから、凍死するなんてことにはならないだろう。
準備は整った。あとは成功すればいいだけだ。
祈るように目を閉じ、サクロヘニカは転移魔法を発動した。
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【フランマ・シェイベル】
白梟の使徒として知慧の箱庭の管理を担い、後のサクロヘニカ・サルベールと共に魔法の国を築いた賢人の一人。
暗澹たる夜の中期に生まれ肉親や師範との死別を経験するも、導き手として数多の功績を挙げたことで原初の天使の目に留まり、側仕えとなる。
類まれなる忠誠心と気高さを持ち、最期の時まで原初の天使の為に尽くしていたという。享年二二一歳。
【禁忌魔法】
天界において最上級の禁忌とされ、許可なく使用や研究を行えば即刻死刑に処される禁断の学問。
主に最高神、及び全ての生命/時空/魂を冒涜する魔法が該当する。
最も罪が重いとされるのは、新たな生物の錬金/時間遡行/死者の蘇生や魂への干渉など。
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