第八章 ウエルネルタの最期


 サルベール歴一三九年。一月 六日。

 その日は突如として訪れた。

 金の紐が結ばれた白梟はくきょうが激しく書斎の窓を叩き、けたたましい鳴き声を上げた。

 彼の知らせを聞いた原初の天使は、すぐさま天界各地から白梟の使徒達を呼び寄せた。




 ――その時、サクロヘニカは図書館で本を探していた。

 新たな魔法についての知見を得るために本棚から本棚へと渡り歩き、関連する記録を読みつつ廊下を彷徨う。

 気になるページに目が止まれば、壁にもたれ掛かり読書に耽ける。彼女がページをめくる音だけが周囲に落ちる。


 そんな静まり返った廊下に、慌ただしい音が聞こえ始めた。

 物静かな図書館では物音が良く響く。サクロヘニカは本から顔を上げ、何事かと辺りを見回した。

 それから間もなく、半透明のクラゲが廊下の向こうから現れると、真っ直ぐにサクロヘニカの元へやって来た。

「何かあったのかい?」

 ラフィイルに問えば、彼女は何度も何度も一回転する。

「・・・・・・ひとまず、案内してくれるかな」

 サクロヘニカは目を細めると、読んでいた本を素早く閉じてラフィイルの後を追った。


 ラフィイルに案内された場所へ辿り着くと、丁度部屋の中から原初の天使が姿を現したところであった。

 美しい銀の刺繍が施された純白のコートに身を包み、その喉元には慧靄石けいもうせきを加工して作ったループタイが見える。髪は一寸の差異もなく整えられた、外出用の装いだ。

 その後ろからいくつかの荷を持ったフランマが歩み出る。その右肩辺り、穢れのない純白のケープの上には、白梟の使徒であることを示すフクロウの紋章が着けられていた。

「先生、フランマ、どこへ行くんだい?」

 サクロヘニカが二人へ駆け寄れば、いつもと変わらない様子で原初の天使が答えた。

「至急ウエルネルタに行かなくてはならなくなった。君には留守を預かっていてほしい」

「待った、一体何があったのか説明してくれるかい?」

 サクロヘニカは原初の天使の後ろ、フランマに目を向ける。彼の様子は、どこか憔悴しているように見えた。

 原初の天使は少し悩む素振りを見せたものの、やがて事態を説明した。

「・・・・・・ウエルネルタが何者かの襲撃を受け、甚大な被害を被った。多数の死者も出ているそうだ。痕跡が消えてしまう前にそれらを記録し、調査をしなければならない」

「・・・・・・襲撃だって?」

 襲撃と言われても、全くもってピンと来ない。しかし、死者が出ているというだけで、サクロヘニカの胸中はざわめいた。

「私も同行してもいいかい?」

「貴方は残ってください、サクロヘニカ」

「いいや、悪いけれど、ここで大人しく待てる自信は無いよ」

 頑なに留守を拒否するサクロヘニカに、フランマは険しい顔をする。箱庭にある記録の数々を守るためにも、一人はここに留まらなければならないのだ。

「ですが・・・・・・」

「フランマ」

 鋭い声色で、原初の天使がフランマを制した。彼は反射的に佇まいを整える。

「今回はサクロヘニカを同行させる。その間、君はここを守っていてくれるかい?」

「・・・・・・分かりました」

 フランマは唇を噛みながら応えた。その手に持っていた荷物をサクロヘニカに預け、フクロウの紋章をサクロヘニカのコートに付け替える。

「サクロヘニカ、軽率な行動は控えてください。主から離れないと誓ってください」

「分かった、誓うよ。だから君はここで休んでいて、酷い顔をしてる」

「・・・・・・はい」

 フランマが深く頷いたを確認して、原初の天使とサクロヘニカは足早に箱庭の正門へと向かった。


 図書館を出て庭園を進めば、門の前には六人ほど人の姿が見えた。

 その者たちは総じて純白のケープを身に纏い、フクロウの紋章を携えている。原初の天使に仕える、白梟の使徒たちだ。

 彼らはサクロヘニカを見ると、僅かに怪訝そうな顔をした。

「お待ちしておりました、原初の天使様。フランマ様はご一緒でないのですか?」

「フランマは体調が優れないようでね。代わりにサクロヘニカを同行させることにした」

「・・・・・・そうでしたか。かしこまりました」

 驚くほど素直に原初の天使の話を受け入れると、彼らはサクロヘニカへ丁寧に礼をした。その切り替えの速さに、サクロヘニカは少し面食らった。


 原初の天使はサクロヘニカと共に門の傍まで来ると、ふと、その手を地面にかざすような仕草を見せた。

 ――瞬間、周囲には魔力の激流が現れる。それはサクロヘニカ、そして白梟の使徒たちを飲み込むように大きな渦を描いていく。

 無数の魔法式が目の前でチカチカと弾ける。

 先生が魔法を使う姿は何度も目にしているが、このような強大な魔法は初めてだ。

 サクロヘニカは訳も分からず声を荒らげた。

「先生?これなんの魔法なんだい?」

「転移魔法だよ」

「転移魔法だって?!」

 平然と応える原初の天使に、サクロヘニカは思わず復唱した。

 転移魔法はその扱いの難しさから準禁忌魔法に指定されている。それを堂々と使うものだから、混乱するのも当然である。

「それって危険なんじゃ?いや先生の腕を疑ってる訳じゃないけど――」

「ウエルネルタの教会には、この転移魔法と相対する魔法が施されている。失敗することはまずないだろう」

 初耳だ。何故今さらそんな大事なことを。

 そんな文句を言う間もなく、サクロヘニカは瞬く間に皎然とした青白い光に包まれた。





 ・・・・・・魔力の激流が途切れたのを感じ、サクロヘニカはゆっくりと瞼を上げる。

 そこは確かに、ウエルネルタの教会だ。祭壇も、礼拝堂もある。サクロヘニカたちはその中心あたりに転移していた。


 ――しかしそこはサクロヘニカの知るそれとは、豹変していた。


 教会には鉄や鉛の匂いが充満していた。何かが焦げたような匂いも漂っている。

 礼拝堂に並んだベンチのあちらこちらには飛び散ったような血痕が散見され、厳かな雰囲気であったはずの教会はどこか殺伐としている。

 そしてサクロヘニカの眼前。礼拝堂の中央を通る通路。

 そこには血に塗れた人間が三人、折り重なるように倒れていた。

 思わずサクロヘニカが後退るように足を引けば、ちゃぷんと水音がした。足元には深紅の水たまりができている。


 原初の天使や白梟の使徒たちはその光景に動じることはなく、毅然とした態度を保っていた。

「・・・・・・行こう。生存者を見つけ次第保護し、余すことなく全てを記録するように」

「「はい」」

 彼女の一声で、白梟の使徒たちは瞬く間に離散し各々の責務を果たし始める。サクロヘニカはその様子を、しばし呆然と眺めていた。

「サクロヘニカ、私達も行こう」

「・・・・・・あぁ」

 サクロヘニカの様子を慎重に見極めるようにしながら、原初の天使は教会の外へと足を進めた。純白のコートに血が跳ねるのではないかと思ったが、不思議なことに一滴の汚れも付くことは無かった。


「・・・・・・これは、中々酷いね」

 教会を出たサクロヘニカが目にしたのは、どこもかしこも血に染ったウエルネルタだった。

 家の扉や窓は破壊され、木片が飛び散っている。人の死体が、まばらに横たわっている。

 街路の隅に放置されるようにして重ねられた死体からは赤黒い液体が流れ出し、道筋を辿るように坂を流れていく。

 窓を突き破るような形で絶命した遺体もあった。窓から逃げようとしたところに背中から刃物を突き立てられたようだ。

 原初の天使と共に、惨状を辿っていく。

 溢れんばかりの死の匂いが街を包み込んでいた。

 壁際で子供を庇うように死んでいる人間もいれば、頭の半分ほどを失った状態の死体もある。虚ろな眼球はなにを見るでもなく、茫然と天を仰いでいる。

 サクロヘニカは歩いた。靴の裏に血とも臓物ともとれるものがこびりついている気がしたが、一体なんの魔法を使ったのやら、どんな血溜まりを歩いたあとでもサクロヘニカの足跡は残っていなかった。

 サクロヘニカの先を往く原初の天使は、死体や街の様子を事細かに記録しつつも、必要とあれば遺体の状態を整えていった。死人の瞼を撫でる度、彼女の白い手袋は赤く汚れる。

「先生、手が汚れるよ」

「・・・・・・あぁ、そうかもしれないね」

 サクロヘニカは咄嗟に原初の天使の手を掴んだ。彼女の手が汚れることに嫌悪感を抱いたからだ。

 しかし原初の天使はそれを意に介する様子もなく、苦悶の表情を浮かべる者たちに安らかな寝顔を与えていった。


 やがて二人は広場に着いた。そこは、他の場所よりも死体が密集していた。ここに防衛線を築いたのか、テーブルや大きな板などが散乱している。

 ウエルネルタ自警団と思しき大柄な人物の死体も転がっていたが、目も当てられないほどめちゃくちゃに痛めつけられていた。

 ・・・・・・不意に、サクロヘニカは違和感を覚えた。

 その死体は他のものとは違い、明らかに打撲痕が多い。そして、その痕の形も大きさも酷くバラバラだ。

 サクロヘニカは死体の傍にしゃがみこみ、そっと手をかざした。掌に神経を集中させ、少しずつ魔力の痕跡を手繰り寄せていく。

 最初は何も感じなかったが、次第にうねるように荒ぶる魔力の跡を感じた。恐らく何者かが、激しく浮遊魔法を使ったようだ。

「先生、ここに魔法の跡がある。誰かが浮遊魔法を使ったみたいだ」

「そのようだね。所々に魔法の痕跡が見える。恐らく、襲撃者の中に魔法を使える者が居たのだろう」

 原初の天使は辺りを見回すと、冷たい双眸を細めた。その表情は、どこか暗愁あんしゅうとしている。

「魔法を使えない者が魔法を使える者に抗う術など無いに等しい。ここで起こったことは、一方的な蹂躙だったはずだ」

「・・・・・・あぁ、そうか。ウエルネルタで魔法が使えるのはムッシュだけだったね」

 しかしながら、彼は既に墓の下で眠っている。そのムッシュが不在となれば、魔法を使えない彼らには為す術もないだろう。

 ひとまずここで調査を行うこととなり、サクロヘニカは噴水の傍に荷物を下ろす。悲惨な死を遂げた者たちを目で追っていくうちに、サクロヘニカはある場所に気を引かれた。

 噴水の向こうに見える『夕暮れの雲』。その店の入口付近に、一人の女性が倒れている。

 サクロヘニカは無意識にそちらへ足を進めた。死体を踏みつけないように細い隙間を通り抜け、店の前へ辿り着く。

 その人は白金のような髪をした、可愛らしい女性だ。しかしその表情はどこか虚ろで、口から溢れ出した血が赤黒く固まり始めている。鋭利な刃物で喉を貫かれたようだ。

「・・・・・・シーチカ。君とは一度話をしてみたかったな」

 サクロヘニカは原初の天使の呼び掛けを聞かず、そのまま店内に踏み入った。

 店の中は酷く荒らされていた。陳列台は傷だらけで、パンはひとつも残っていない。

 エイミの姿が見当たらないことにサクロヘニカは胸騒ぎを覚えた。あんなに正義感が強く、シーチカを溺愛していたエイミの事だ。一人で逃げたとは到底思えない。

 不審に思いながらしばらく店の中を探せば、ようやくその姿を見付けた。

 それは、白雲麦袋の後ろ。床には見知った椅子が無造作に転がっている。

 エイミは床にうつ伏せになるようにして絶命していた。背中にはいくつかの切り傷と、何かに切り裂かれたような荒々しい傷が見て取れる。その中でより一層深く切り込まれた傷口は、見事に心臓を貫いていた。彼を殺した者は、とっくに人を殺し慣れているのだろう。

 床にできた血溜まりが白雲麦の袋に染み込んでいる。傍にはいくつか足跡も見られた。エイミを襲った者の足跡であろう。

 床中に赤い花弁が散らばっている。

 サクロヘニカは彼をゆっくりと起き上がらせ、腕に抱えた。

 濁った鉛色の瞳と、苦しげな口元。原初の天使の行いの意味が少し分かった。サクロヘニカは彼の瞼を撫で、安らかに眠らせてやった。

 ――カタン。

 すぐ傍で物音がした。サクロヘニカは咄嗟に辺りを見回すも、人の気配は無い。

「今のは・・・・・・」

 サクロヘニカは一度エイミを床に下ろそうとした――その時、血溜まりの中に四角い枠組みを見つけた。

 よく見れば、そこには床下収納があるようだった。先程の音はここからしたのかもしれない。

 エイミを少し離れた場所に横たわらせると、サクロヘニカは血溜まりの中に手を入れて取っ手を探す。

 不意に指に突っかかりが触れた。そのまま指を入れ込んで引き上げる。

 ――ポタポタ。カタン。

 血が滴る水音と、サクロヘニカが戸を開いた音が響く。

 収納庫の中は暗く、エイミのものと思しき血が大量に流れ込んでいる。そんな赤黒い視界の隅。調味料のストックに紛れて、見覚えるのある白金が目に留まる。

「・・・・・・へニカ?」

 ビクリとその人影が震える。その子はゆっくりと顔を上げて、サクロヘニカを見つめた。


 ――白金の髪と、鉛色の瞳。どれだけ血塗れになっていても分かった。

 エイミとシーチカの子だ。生きている。


 何が起こったのか理解していないような幼気な瞳に、サクロヘニカは頭を殴られたような心地がした。

「君、早くこっちへおいで。ここは危ない」

 すぐさま手を差し出し、子供を引き揚げる。へニカは抵抗することなく、サクロヘニカの腕の中に納まった。

 小さくて温かい。もしこの子も殺されていたらと思うと、心底ゾッとした。

 サクロヘニカは基本的に死に無頓着であるが、この時ばかりは冷や汗が頬を伝った。

「サクロヘニカ、何かあったのかい――」

 店の中の様子を確認しに来た原初の天使は、サクロヘニカの腕の中で目を瞬かせる子供の姿を見て言葉を失った。

 エイミの遺体を見遣りながらも二人の元へ駆け寄ると、純白のコートをその子の肩に掛けた。

「もう大丈夫だよ。私たちは敵じゃない」

 安心させるようにへニカを撫でる。赤く染っていた白手袋は外されている。

「サクロヘニカ、この子を教会まで連れていってくれるかい?できれば、街の惨状を見せないように配慮して欲しい」

「・・・・・・あぁ、分かった」

 サクロヘニカは茫然と応えた。原初の天使は、その様子を心配そうに見つめる。

「・・・・・・君も少し休んだ方がいい。顔色が悪いよ」

 原初の天使はサクロヘニカに気遣わしげな言葉を掛けると、そっとその場を離れた。サクロヘニカもそれに続いて、子供を抱きかかえたまま店を出る。

 少し赤色が滲んだコートをへニカに深く被せて、周りが見えないようにしておく。サクロヘニカの服にも赤が染み込んでいる。

 へニカは終始不思議そうにしていた。

 その純粋な瞳に、サクロヘニカは胸を抉られた。

「・・・・・・大丈夫さ。君は生き残った、強い子だ。これからはここではないどこかで暮らすといいよ」

 サクロヘニカは少女を撫でながら、教会へ続く長い坂道を重い足取りで歩いた。





 ――丘陵の街ウエルネルタ。

 雲の上の孤島と評されるその美しき街が、何者かからの襲撃を受け、壊滅的な被害を被った。

 あらゆる家財や食料が略奪され、非武装の住民が鏖殺された。多くの子供たちが攫われ、行方不明となった。


 ムッシュの死から、たった二日しか経っていなかった。





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【魔法】

 極微小な奇跡を起こすことができる、稀有な力。その代償として魔法の規模に見合った魔力を消費する。

 生まれつき魔法を使える者は限られており、未だ学問としての発展途中にある。

 その扱いの難しさや危険性によって、下位魔法/上位魔法/準禁忌魔法/禁忌魔法に分けられる。

 高度な魔法には高い技術と深い知識が求められる。

 新たな魔法を編み出すには、“真理”を追求する必要がある。


魔法式まほうしき

 一つあるいは複数の魔法の情報や仕組みが組み込まれた、特殊な文字式。

 魔導円環まどうえんかんの内側に魔法式を記すことで、複雑な原理の探求などを省き効率的に魔法を使うことができ、それらの特殊な紋様は魔導陣と呼ばれる。

 魔法式、及び魔導陣には『クレウスのいかり』と呼ばれる魔法錠が施されることが多く、解読には年月が掛かる。

 魔法式が記されている、もしくは魔法式が組み込まれている書物を魔導書まどうしょと言う。


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