第六章 埋もれた記録

 ――知慧の大図書館。

 天界における全ての知識と記録の叡智であり、ほんのひと握りの限られた者しか立ち入ることのできない神域でもある。


 そんな、学者や研究者などありとあらゆる知識人に崇拝される図書館の一室。ほとんどの本が抜け落ちた寂しげな本棚の下で、烏羽色からすばいろの何かが蠢いた。

 その周囲に散乱するのは、この世で最も信憑性があるとされる、原初の天使がしるした記録の数々。その烏羽色は、本の群れに押しつぶされるようにして埋もれている。

 ――不意に、廊下からその部屋へと近付く足音が聞こえ始めた。

 コツ、コツ、と規則的な音は部屋の前で立ち止まると、ゆっくりと扉が開かれる。


「・・・・・・サクロヘニカ、何をしてるんですか?」


 彼の声に応えるようにして、床に積もっていた本の山がバラバラと崩れ落ちる。

 その中心から、一人の人物が姿を現す。



 ――本の中に埋もれていたのはサクロヘニカだった。烏羽色の髪はぐちゃぐちゃになり、白のチュニックもシワだらけである。

 フランマはサクロヘニカのその様子を、冷めた瞳で見下ろしていた。

「ラフィイルが慌てた様子で俺のところに来たので何かと思えば・・・・・・何故こうなったんです?」

「調べ物をしようとしただけだよ」

 サクロヘニカは本の中から立ち上がると、傍に埋もれていたオーバーコートを引っ張り出して肩に掛けた。その表情に反省の色はなく、至って平然としている。

「それで、何か見つけられたんですか?」

「いいや、特に・・・・・・あ、本に埋もれると案外落ち着くってことは分かったかな」

「それは良かったです」

 フランマは手近な本を拾い上げていくと、早速部屋の片付けに取り掛かった。本の汚れを払い、それぞれの記された年代を視認して次々と本棚へと並べていく。ラフィイルもそれを手伝うようにふわりと床へ舞い降り、ゆっくりと本の整頓を始めた。

 事の発端であるサクロヘニカはというと、考え事をするかのようにその場に立ち尽くしている。

 書庫には、本を棚に戻していく音と、その動きに合わせた靴音。本を積み重ねるパタパタという音、そして窓の外で囀る鳥の声だけが微かに響く。


「――『オルティカーナ』の記録を探していたんですか?」

 沈黙を破るようにフランマが問えば、サクロヘニカは少し驚いた様子を見せた。

「・・・・・・なんだ、覚えていたんだね。調べている様子もないから忘れてるのかと思ってたよ」

 サクロヘニカは緩慢な動作で足元から本を拾い上げると、フランマに倣って手でホコリを払った。それを窓際にある机の上に据え置くと、怪訝そうな視線をフランマに向ける。

「それで、私が本の山に埋もれている間に、君はオルティカーナの記録を見つけたのかい?」

 フランマは横目でサクロヘニカを見遣ると、小さくため息をついた。鳩羽色はとばいろの羽が所在なさげに揺れる。

「いくつか終わらせなければいけない仕事があったんですよ。それから調べようと思っていましたが・・・・・・その前に貴方が本の山に埋もれるとは」

 フランマの言葉に、サクロヘニカは不平そうに眉をしかめる。次に腕を組みながら机にもたれかかり、不満の意を示した。

 ――しかしながら乱れた髪やシャツも相まって、心なしか捨てられて拗ねた猫に似ている。

 フランマはそれを顔に出さないよう、淡々と本の片付けを続けながらサクロヘニカを窘める。

「・・・・・・サクロヘニカ。この図書館の本を整頓しているのが誰か分かりますか?」

「フランマとラフィイルだ」

「その通りです」

 短く答えながらフランマは本棚の上段を見上げると、浮遊魔法を用いて残りの本を収納していく。流れるように弧を描きながら舞い上がった本たちは、瞬く間に本棚に納まっていった。

 サクロヘニカは何も言わず、しかし物言いたげな目でそれを眺めている。

 一通り片付けを終えたフランマは純白のケープを翻すと、サクロヘニカの方へと向き直った。その瞳には、先程よりも幾許か暖かさが戻っている。

「・・・・・・ここに保管されている途方もない数の記録の中から一つの記録を見つけ出すことは、容易いことではありません。ですから、そういう時は俺やラフィイルを頼ってください」

「そんなの分かって・・・・・・うん?」

 説教されるものだと思い込んでいたサクロヘニカは、呆気にとられたように目を瞬いた。

「怒らないのかい?」

「貴方に非がある訳では無いですから」

 未だ呆然としているサクロヘニカに、フランマは穏やかに言葉を紡ぐ。その表情はどこか慈愛に満ちている。

「それに、図書館の奥深くは迷いやすいですから。俺が案内しますよ」


 ――あの冷淡で面倒事を嫌うフランマからの衝撃の発言に、サクロヘニカは目を見開く。そして少しの逡巡の末、気遣わしげに眉根を下げた。


「フランマ・・・・・・一体どうしたんだい?具合でも悪いのかい?」

「・・・・・・いたって健康ですよ」

 彼は腰に手を当てて呆れたようにため息をつくと、サクロヘニカの傍、窓際の机の上に残っている最後の一冊に視線を流した。

 革製の装丁が、窓から差し込む光を反射して艶やかに煌めいている。表紙から見るに、内容はおそらく歴史書だろう。

 フランマの視線の先に気付いたのか、サクロヘニカはおもむろにその本を拾い上げる。装丁をなぞるように手をかざすと、きまりが悪そうに唇を噛んだ。

「まぁ、その、本を散らかしたことは悪かったと思ってるよ。欲しい本があったから魔法で取り出そうとしたんだけど、ちょっと失敗してしまってね。君とラフィイルが来てくれて助かったよ」

 ――要するに『ありがとう』という意味だろう。素直じゃないところは誰に似たのか、原初の天使かはたまたフランマか。

「俺よりも、ラフィイルに感謝してください。ここまで俺を連れてきてくれたのは彼女ですから」

「あぁ、そうだね――って、ラフィイル?どこに行ったんだい?」

 部屋を見回すも、ラフィイルの姿が見えないことに気づく。

 本の整頓をする間、本と本棚とを行き来するようにふわふわと浮かんでいたはずのクラゲが、いつの間にか忽然と姿を消していた。

「どうしたんでしょう、突然居なくなるなんて」

「まぁ、何か用事でもあったんじゃないかい?」

 ラフィイルを気遣うようにしつつ、サクロヘニカは気を取り直したのか片手で服を整え始めた。フランマはサクロヘニカが小脇に抱えている本を仕舞うために浮遊魔法を使おうとした――が、それはサクロヘニカによって阻止された。

「待った、最後の一冊は私が片付けるよ」

 フランマを手で制すと、サクロヘニカは自信ありげに本棚を見上げる。

 本棚に浮かぶ最後の空白。それは最も上段の中央あたりにあった。

「大丈夫、今度は上手くやれるさ」

 サクロヘニカは本に手をかざし浮遊魔法をかける。

 ふわりと舞い上がった本は、しなやかな軌道を描きながら空白の前へ辿り着いくと、スムーズに隙間に納まった。

「どうだい?上手くできただろう」

「えぇ、そうですね・・・・・・」

 ――ガタン。

 変な音が聞こえた。本棚の方からだ。

 嫌な予感に二人は目を見合わせる。そして本棚へ視線を向ければ――グラリと本棚が揺れ、大量の本が雨雫のように降り注いでくる真っ最中であった――



「・・・・・・サクロヘニカ、無事です?」

「うん、なんとか」

 本を押し退けるようにして起き上がれば、部屋は目も当てられないほど悲惨な状態になっていた。幸い本棚ごと倒れ込んでくることは無かったものの、片付ける前よりも更に散らかっている。

「ごめん、フランマ。もうしない」

「えぇ、そうしてください」

 フランマは頭の上に被さっていた本を退かすと、ケープの裾をはらいながら起き上がった。

「サクロヘニカ、立てますか?」

「あぁ、ありが――」

 フランマが差し伸べた手を取ろうとしていたサクロヘニカの動きが、不意に止まる。その視線は扉の先、廊下に向けられている。

 フランマが視線を追えば、そこには一匹のクラゲがゆらゆらと揺れていた。

「ラフィイル?」

 名を呼ばれると、ラフィイルは返事をするように一回転した。そして、何かを伝えたそうに右往左往している。

 ラフィイルの言葉が分かるのは原初の天使だけである。そのためフランマとサクロヘニカは、一問一答で答えを導く必要があった。


「怒ってるのかい?」

 サクロヘニカが訊けば、ラフィイルは左右にゆらりと揺れた。

「何か見つけたんですか?」

 フランマが問えば、ラフィイルは綺麗な一回転をしてみせる。

「それは、私たちが必要とする何かかな?」

 サクロヘニカが訊くとラフィイルは一回転し、どこかに案内したいのかゆらりゆらりと漂った。

「・・・・・・もしかして、オルティカーナの記録を見つけたんですか?」

 応えるように、クラゲはいっそう大きな弧を描いて一回転する。どうやら当たりのようだ。

 フランマとサクロヘニカは顔を見合わせて頷くと、素早く本の中から立ち上がり、散らばった本を本棚の前に積み上げ、足早に部屋を後にした。



 ラフィイルに案内されて辿り着いたのは、本棚が星羅せいらする大広間の一角。二人の前に立つのは、所々にあしらわれた半円状のアーチが印象的な、チャコールブラウンの本棚だ。

 ラフィイルは本棚の前まで来ると、ふわりと舞うようにとある本の前へと漂っていった。

 サクロヘニカの目線の高さくらいにあるそれは、赤銅色の装丁と鉱石を思わせる文様がしたためられた小綺麗な本である。

「案内してくれてありがとう、ラフィイル。早速調べてみるよ」

 ラフィイルに礼を言い、サクロヘニカはその本を手に取った。ずっしりといていて、少し重い。

「ここではなんですし、どこかで座りながら見ましょうか」

「そうだね」

 二人は本棚の間を通り抜け、壁際に置かれていた木製のベンチに腰掛ける。そして探るように本を開いた。

【オルティカーナ領、もとい城塞都市オルナについて】

 という見出しから始まった本の内容は、オルティカーナの所在や歴史までが事細かに記載されていた。



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【オルティカーナ領、もとい城塞都市オルナについて】


 オルティカーナ領とは大地の国に隣接する領土であり、かつて人間が主権を握り統治していた小国である。

 オルティカーナの都としてシクラーデ鉱山を背に築かれた城塞都市オルナは、類まれな鍛造の技術により英華を極めた。

 城内には鍛冶屋が立ち並び、良質な武器や防具が数多く生産された。

 シクラーデ鉱山には少量ながらも魔法鉱石が産出された記録が残っており、一部の工房では魔導品の生産も行われた。

 それらは大地の国との公契約によって委託輸出され、一級品として高い評価を得ている。


 レンヌ歴五六六年。

 暗澹たる夜の訪れにより、城塞都市オルナは氷に閉ざされた。

 その際、都で起こっていた事象の一部については現在も調査中である。

 サルベール歴一年。

 氷が溶け落ちたオルナに生存者は発見されず、鉱山は浸水し、再興の兆しもなく亡国となった。

 サルベール歴七年より、一時的に大地の国が管轄している。


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 記録の導入部分を読み上げると、フランマは顔を曇らせた。

「これは・・・・・・」

「なんというか、訳ありな場所だね」

 オルティカーナ――もとい、旧オルティカーナ領。氷に埋もれて滅んだ、人間の国。

 記録を見るに現在は廃屋と幽霊城しか無さそうであるが、果たしてグロウナーシャはそこで何をしているのだろう。


「・・・・・・暗澹たる夜によって滅んでしまった国は数多くあります。オルティカーナも、その一つだったようですね」

 フランマは本のページを次々とめくり分厚い本の内容に瞬く間に目を通していくと、やがてパタリと本を閉じて立ち上がった。

「この本にはオルティカーナの成り立ちや歴史、文化などが記されていますが、領地や城内の見取図のようなものは見当たりません。恐らくこの本があった場所の近くにあるでしょうから、探してきます」

「本当かい?それじゃあよろしく頼むよ」

 フランマの速読技術に感心しながらそう答えれば、彼は足早に本棚の奥へと姿を消した。ラフィイルもそれに付き添うように行ってしまったので、残されたサクロヘニカはただ待つしかない。


 緻密に並べられた記録の数々を眺めながら、その一冊一冊が秘める長い歴史に思いを馳せる。

「・・・・・・氷に閉ざされた亡国か。暗澹たる夜というのは、私が思っているより恐ろしいものだったのかもしれないね」

 そう呟いたサクロヘニカの声は、誰に届くこともなくその足元へ落ち、塵となって消えた。





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【大図書館の蔵書】

 知慧の大図書館に収蔵されている本には、原初の天使により施された厳重な保護魔法がかけられている。また、装丁に金属の留め具をしつらえることで本が開くことのないよう固定しているものもある。

 これにより貴重な記録の紛失/欠損/損壊を防ぎ、経年劣化などによって過去の記録が色褪せないように工夫が凝らされている。

 重大な機密事項が記されたものや禁断の知慧が記された本には、認識を阻害し解読を困難にする魔法が施されている。


【銀の毒】

 強い毒性を持つ、人体に対して極めて有害な毒物。

 無味無臭かつ無色であるため、食事などに混入しても気付きにくい。

 少量を長期間に渡り摂取すると慢性的な中毒症状が現れ、皮膚の病変や悪性腫瘍などが発生し最終的に死に至る。

 銀食器に触れると黒く変色する。


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