第四章 夜市とヨタカ

 宝石店を後にしたサクロヘニカは、祭り騒ぎのバザールの中を悠々と歩いていた。

 今にも鼻歌を歌い始めそうなほどご機嫌なサクロヘニカに、フランマは若干呆れ顔をしている。

「サクロヘニカ、言っておきますがさっきのことは包み隠さず原初の天使様に報告しますよ」

「あぁ、分かってるさ。それに、どうせ先生には私から話すから安心してよ」

「それって・・・・・・」

 フランマには思い当たる節があったのか、訝しげな顔をしながらも口を閉ざした。そもそもサクロヘニカが不審な行動をとるのは何も初めてでは無い。考えても疲れるだけである。

「ほら、あの店も見に行こう。ちゃんとついてきて」

 サクロヘニカはそう言ってフランマの手を引いた。これではどちらが年上か分からないと思いつつも、フランマは大人しく着いていく。


 ――フランマの今回の旅の目的は、サクロヘニカに多様な世界を見せること。

 そのためならどこまでも付き合わねばならない。ならばいっそ、この迷い人を終点まで導いてみせよう。

 器用に人波を潜り抜けていくサクロヘニカの後ろ姿を見ながら、フランマは心の中で呟いた。



「・・・・・・さて、そろそろパンの材料を探そうか」

 気になる店に立ち寄りながら一通りバザールを周り終えた頃、サクロヘニカはそう言うと手近な食料品店でパンの材料を探し始めた。

 店主にパン作りに使える材料を聞き出し、気になるものを品定めしていく。

「うーん、どれがいいんだろうか。小麦粉に蜂蜜、フルーツも良いと思うんだけど・・・・・・」

 もういっそ全部買おうか、とサクロヘニカが言い出す前にフランマが先手を打つ。

「サクロヘニカ、一応伝えておきますが、先程の慧靄石けいもうせきで今回の旅費は使い尽くしました。足りない分は俺の手持ちから出しますが、上限は一ルブルまでですよ」

「・・・・・・なんだって?」

 一ルブル。どの程度の価値なのかいまいち分からないが、軽率に使うことは避けた方が良さそうだ。

 サクロヘニカは頭を悩ませながら、エイミの為に材料を選んでいった。



 ――慎重を喫しつつエイミへのお土産を選び終えた頃には、すっかり夕暮れ時になっていた。

 いくつかの店舗では売り物を片付け始め、回廊を行き交う人々の数も少し落ち着いている。かと思えば、バザールの外からは軽快な音楽と歓声が聞こえ始めた。

「どうやら、外で催し物が行われているようですね」

「催し物?もう日が暮れそうだけど」

「豊穣の国では、夕方が最も神聖な時間だと考えられています。確か、宮殿前の広場では盛大な夜市が開かれるそうですよ」

「へぇ、夜市か・・・・・・」

 サクロヘニカの目に探究心が宿る。顔に“見に行きたい”と書いてあるのが丸分かりだ。

「ひとまず、宿に荷物を置きましょう。夜市に向かうのはその後です」

「分かった、そうしよう」

 そう言うや否や、サクロヘニカは荷物を小脇に抱え直すと脇目も振らずに宿へ直帰した。

 こういう時だけはやけに素直なサクロヘニカに、フランマは思わず笑ってしまった。



 部屋に荷物を置いて宿を出ると、二人は広場に繋がる大通りへ向かった。

 黄昏時の空を見上げれば、夕焼けが見渡す限りを朱色に染め上げ、沈みゆく日が黄金色に輝いている。

 道端にはキャンドルが並べられ、建物を繋ぐように渡された飾り布に薄く光が反射していた。食事処は顔を赤くした人々で賑わい、酒瓶を掲げながら大笑いしている獣人たちの姿が見える。

 道を進むにつれて音楽隊の演奏がより鮮明に聞こえ始めた。期待感で胸が高鳴り、さらに足が早まっていく。


 広場には、案の定人集りができていた。

 群衆を掻き分けてその奥へと入り込めば、途端に眩い光がサクロヘニカの目を刺した。

 ――視界いっぱいに広がる、露天の数々。

 軒先に吊るされたランタンが煌々と輝き、夕暮れ空の黄金色に負けず劣らずの光を放っている。都へ来る途中に見かけた赤橙色の花が物惜しみせず飾られ、店先を華やかに彩っている。

 広場の最奥では豊穣の都を代表する楽団がしずく型の弦楽器を奏で、溢れ出る陽気な音楽に合わせて人々が舞い踊っていた。背後に聳える宮殿の厳かな雰囲気すら、音と光に飲み込まれていく。

 これこそが豊穣の祭典。収穫祭の花形なのだろう。

 跳ねるようなリズムで演奏される楽曲は、あまり音楽に触れてこなかったサクロヘニカですら心躍る心地がした。


「・・・・・・賑やかで楽しいね。こういうのも悪くない」

「えぇ、そうですね。折角ですし露店の方も見に行きましょうか?」

「そうだね、何か面白いものがあるかもしれない」

 賑やかな広場を横切り、二人は露店が集う夜市へと向かう。

 店に並ぶ品物はヴェストレ宮殿のお膝元とあってか、バザールとは打って変わって絢爛豪華だった。

 瀟洒な額縁に入れられた風景画や、緻密にデザインされた厚手のタペストリー。洗練された調度品に、各国から運び込まれた祝い酒。

 海洋の国から取り寄せた幻の盃を唄う店もあれば、大気の都の高級香辛料を掲げる店もある。

 ――そんな煌びやかな露店街の一角。広場の隅へ隠れるようにして構えられている店に、サクロヘニカは目を惹かれた。

「フランマ、あの店を見てもいいかい?」

「構いませんが・・・・・・何か気になることでも?」

「まだ確証はないけれど、微かに魔力の流れのようなものを感じるんだ」

 サクロヘニカは人混みから抜け出し、市場の外れへと向かった。

 歩を進めるにつれ、疑念は確信に変わる。フランマも何かを察知したようで、うっすらと警戒心を漂わせている。


 辿り着いた件の店は、一見すると地味な佇まいであった。

 店先には赤橙の花がひっそりと飾られ、古ぼけたランタンが物悲しく吊るされている。夜空色をしたリネンの布が目隠しのように垂れ下がり、外からでは中の様子が見えない。

 サクロヘニカとフランマは目を見合わせると、どちらともなく布の下をくぐった。


 その露店には、異様な雰囲気を醸し出す不思議な品物が並べられていた。

 陳列棚にはヒビ割れた大きな水鏡が立て掛けられ、その傍らには革製の鞄がいくつか積み重ねられている。

 水鏡の下段ではナイフケースに納められた数種類のナイフが物々しい雰囲気を醸し出し、指輪やブレスレットといった装飾品が木製のトレーの上にずらりと並んでいた。

陳列棚の下に敷かれた絨毯は星空の模様が描かれ、その端の方に黒いスツールがひっそりと置かれている。

 ――そんな一見関連性のないそれらには、一つだけ共通点があった。

 水鏡の中心や、鞄の留め具。ナイフの柄に、装飾品の宝石部分。

 通常なら装飾や刻印などがあしらわれるそこには、曖昧に魔力を醸し出す花紫色の宝石が埋め込まれていた。

「フランマ、これって・・・・・・」

「これは魔導品まどうひんですね。でも、何故こんな所に・・・・・・」

 魔導品とは、魔法を操ることができない者でも魔力を流し込むだけで魔法を発動させられるという非常に便利な道具である。

 それでいて、国の要人や富豪しか手にすることが出来ないほど高価な品物だ。

 だというのに店内に人の姿はなく、何故かスツールの上には黒褐色や薄茶色に着色された鳥の木像が鎮座している。幅広な黒い嘴と扁平なシルエットは、丸く積もった落ち葉を彷彿とさせた。

「これも魔導品かい?」

「そうかもしれません。触らないようにしてくださいね」

 物珍しそうに店内を物色するサクロヘニカに、フランマが苦言を呈したその時。二人の背後から若々しい女性の声が響いた。

「おやおやこれは、珍しいお客さんが来たわね」

 何の気配もしなかった。驚いたサクロヘニカは、弾かれるように後ろを振り返る。

 目に入ったのは、夜空を思わせる黒い瞳をした少女だった。

 腰ほどまである薄茶色の髪は所々が黒褐色に染まり、スツールに鎮座する鳥の木像と心なしか似ている。

 少女はリネンの布を捲りながら店に入ると、サクロヘニカとフランマを品定めするように見比べた。

「いらっしゃい。私はこの店の店主、グロウナーシャ」

 そう言って少女は黒いカシュクールワンピースの裾を摘んで会釈した。豊穣の国の挨拶の仕方ではないことから、恐らく異邦人だ。

「初めましてグロウナーシャさん。突然お邪魔して申し訳ありません」

 フランマが胸に手を当てて会釈すると、少女は愉快そうな笑みを浮かべた。

「あなた、白梟はくきょうの使徒よね?バザールで噂になってたわよ――神獣を連れ歩いてる天使がいるって」

 その発言に、フランマの表情が強ばる。

「・・・・・・何故、そのことを?」

「あら、当てずっぽうだったけど当たりだったみたいね」

 少女はくすくすと笑うと、スツールの上から鳥の木像を拾い上げた。

「安心して。誰にも言わないし、あなたたちを脅すつもりもないから。それに私にも神獣の血が流れてるもの」

「貴方に、神獣の血が?」

 フランマは少女に訝しげな視線を向けた。すると不意に、あることに気付く。

よく目を凝らしてみれば、夜空のような瞳の奥に縦長の瞳孔が潜んでいた。

「もしかして貴方、竜族の末裔ですか?」

「当たり!」

 グロウナーシャはスツールに軽く腰掛けると、鳥の木像を膝の上に乗せた。ワンピースの裾をひらひら翻しながら、上機嫌に足を宙で遊ばせている。

「角も鱗もないし全然竜に見えないでしょう?でもこう見えても私、レンヌ歴生まれなの。暗澹たる夜も知ってるわ」

「・・・・・・へぇ、意外だ。じゃあ私よりも歳上なんだね」

 サクロヘニカが生まれたのは暗澹たる夜が明けた直後。わざと感心したように言えば、グロウナーシャは自慢げに胸を張った。

「私は夜の時代からずっと魔導品を創ってるの。気になることがあればなんでも聞いてちょうだい」

「本当かい?それじゃあ、遠慮なく」

 そう言うとサクロヘニカはおもむろにナイフを手に取る。ナイフの柄に嵌め込まれた宝石に指先を触れると、その奥深くを探るように感覚を研ぎ澄ませた。

 ――微かに、魔力の流れを感じる。

 いつか箱庭で目にした魔法鉱石とよく似ているが、それに比べると小柄で光沢がある。魔力の流れ方にもどこか違和感を覚えた。

「この宝石はなんだい?」

「それは魔導石まどうせきよ。市場には出回ってない特別な宝石なの」

「魔導石?」

 首を傾げるサクロヘニカに、少女は淡々と説明を続ける。

「魔力を含有した鉱石を魔法鉱石というでしょう?魔法鉱石は魔力を貯めることができて便利だけど、魔導品の部品にはあまり向いていないの」

 少女の言葉に、フランマは一瞬驚いた様子を見せた。

 通常、魔法鉱石とは魔導品を創るために必要不可欠な素材とされている。魔導品が著しく高価なのも、魔法鉱石そのものが貴重なため大地の国で厳しく管理されているからだ。

 それを知ってか知らずか、グロウナーシャはその構造を語り始める。

「この魔導石は魔法鉱石を精錬したもので、魔力を貯めるだけじゃなく増幅させることが出来る。少量の魔力で魔法を発動できるから長時間の使用にも向いてるし、魔力を注ぎ続けなくても直ぐに効果が切れたりしないの」

「・・・・・・精錬、ですか?魔法鉱石は純度が高すぎると、少量の魔力でも砕けてしまうはずですが」

 不審がっているフランマとは対照的に、グロウナーシャは得意げな表情を浮かべている。片手で鳥の木像を優しく撫でながら、もう片方の指先で絵を描くように宙をなぞる。

「私の師匠が考案した精錬方法があるの。それなら魔法鉱石が砕けることもないし、小さな断片でも充分に効果を発揮できる」

 ――にわかには信じ難い話だった。

 魔導品の弱点である長時間使用の弊害や魔法鉱石の扱いの難しさを無くせるというのなら、それは画期的な発明である。

「でも、その割には随分と寂れた店じゃないかい?」

 揺さぶりをかけるようにサクロヘニカが問う。

 随分と失礼な物言いだが、グロウナーシャは肩を竦めるだけで怒り出すことは無かった。

「私だってもっと魔導石を普及させたいと思ってるわ。でも知ってるでしょう?そもそも魔法鉱石が高すぎるの」

 ほら見て、とグロウナーシャは水鏡を指差す。ヒビが入ったそれは、どこかの遺跡から拾ってきたかのようにボロボロだ。恐らく、水を貯めても流れ出てしまうだろう。

 グロウナーシャによると大地の国から魔法鉱石を取り寄せるために材料費のほとんどを使ってしまい、魔導品の基礎となる部分まで手が回らないのだと言う。


 ――グロウナーシャは頬に手を添えて憂いを含んだため息をつくと、不意にサクロヘニカをじっと見据えた。

 そこには先程までの親しみやすいオーラが抜け落ちている。


 店内の空気が一変したように感じ、サクロヘニカは警戒するようにグロウナーシャを見据えた。

 しかし少女が動じる様子はない。

「ねぇ、神獣さん。私たち、いい協力関係を築けると思わない?」

「・・・・・・は?」

 あまりに突飛な発言に、間の抜けた声が出る。

 妖しげに少女が目を細めると、夜空に浮かぶ縦長の瞳孔がじわりと丸く拡がった。

「あなたは魔法を世に普及させたいと思ってる。そして私は魔導品をより多くの人に使ってもらいたい。これってすごい偶然じゃないかしら」

「・・・・・・なぜ、私が魔法を普及させようとしてると思ったんだい?」

「さぁ、なぜでしょう」

 不敵な笑みを浮かべた少女は、スツールから立ち上がると鳥の木像をサクロヘニカの眼前に突き付けた。

「もし私と協力する気になったら、この子を連れて『オルティカーナ』に来てちょうだい。私の工房を案内してあげる」

 サクロヘニカが口を開く前に、少女は木像を押し付けるとそのままの勢いでフランマとサクロヘニカを店の外へ押し出した。

 竜族が秘める怪力に為す術もなく、二人は店の外に追い出される。

「ちょっと待って、グロウナーシャ!」

 咄嗟にサクロヘニカがリネンの布を払い除けて少女の姿を探すも――驚いたことに店内は跡形もなく空っぽになっていた。魔導品どころか、花やランタン、スツールまでもが消え去っている。

 夕暮れ時は終わりを告げ、夜空には薄ぼんやりと星が浮かび上がっていく。



 サクロヘニカの手中にある木像だけが、グロウナーシャの存在を証明する唯一のものとなった。





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【魔法鉱石】

 魔力を含有した岩石を細心の注意を払いつつ製錬した鉱石。

 主な原産地は大地の国で、貴重な資源として厳しく管理されている。

 魔力を保持する性質を持ち、魔導品の制作に必要不可欠とされている。

 純度が高すぎると魔力に対して過敏になり、少しの魔力で簡単に砕けてしまう。


【竜族】

 神獣の血を引く者とその末裔を指す。

 程度は違えど生まれつき竜の特徴となる角や鱗などを持ち、秀でた怪力と魔法の才を秘めている。

 長寿で穏やかな気性の者が多く、無類の酒好きとしても知られている。

 天界全土で稀に見かけられるが、大抵は海洋の国で暮らしている。


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