君に渡すラブレター

脊髄抜ヰ太郎

ラブレター

「これをモトユキ君に渡しといてくれないかな?」


 放課後、俺は帰宅しようとしていた矢先、幼馴染のミサトに手紙を押し付けられた。


「なんでだよ。自分でモッちゃんに私に行けばいいじゃん」

「私、これから部活だから」


 手紙をそのまま突き返すが、ミサトは両手を後ろに組んで受け取らない姿勢を見せた。

 ちなみにモッちゃんことモトユキは俺とミサトの共通の友達だ。


「だいたいなんだよこの手紙」

 俺は訝しむように親指と人差し指で手紙をつまみ上げた。

「ラブレターでも書いたのかよ」

「うん」

「え?」


 ポトっと、床に何かが落ちる音がした。

 どうやら予想外の反応に思わず手紙を落としてしまったらしい。我ながらドジをした。

 そうだ、きっと今のも聞き間違いのはずだ。

 手紙を拾い上げて、問い直す。


「ごめん、聞いてなかった。なんて言ったかもう一度はっきり言ってくれないか?」

「ラブレターを書いたの」

「マジに?」

「大マジ」


 聞き間違いじゃなかったのか……。


「で、そのラブレターを俺がモッちゃんに届けるのか?」

「うん、お願い」


 コイツ鬼畜か?

 仮にも自分に好意を抱いてる男に対する頼み事とは思えない。

 と、いってもミサトの知るところではないが……。


「……はぁ」


 俺はミサトに聞こえないくらいのため息を吐いて、ミサトに向き直る。


「……分かった。モッちゃんに届けるよ」


 そう返事をすると、ミサトは満足気に頷いて、部活へと向かった。

 取り残された俺は、ミサトの姿を見送った後、手に持った手紙に目を落とした。

 そして、ゆっくりと深呼吸をして……。


「終わった……俺の青春……」


 小さくボヤいた。

 中身……何が書いてあるのかな。

 いっそ、開けて……いやいや、ダメだ。この手紙はミサトが俺を信用して託したモノだから……。

 そうやって逡巡していると、ふとある事を思い出した。


「あれ? あいつ、前にモッちゃんに告白されたって言ってたよな。今日、返事をするって言ってたけど……」


 そこで気づく。

 そうか、モッちゃんがミサトに告白した。そして、その返事がこの手紙だとして……ミサトは手紙をラブレターと呼んだ。

 つまりは……。


「告白はオッケー……ってことか」


 図らずも手紙の内容が分かってしまった。


「余計凹むわ……」


 俺は手紙をモッちゃんに届けるべく、力無く歩き出した。


***


 我ながら、こういうのもなんだが……。

 俺の幼馴染は可愛い。

 人見知りで引っ込み思案なところもあるが、勤勉で、どんな行事ごとも真面目に取り組む姿も最高に素敵だ。

 周りに振りまく笑顔なんて特に可愛い。

 そんな幼馴染のミサトが、ある日、男子に告白された。

 その男子は俺とミサトの共通の友人で、何度も遊んだこともある人間だ。

 モッちゃんがミサトに気があることは何となく分かっていた。

 分かっていたが……まさか先を越されるとは思わなかった。

 夕暮れ、誰もいない廊下に一人黄昏れて、俺はその時を待った。

 窓から差し込んだ西日に照らされた一室のドアが開いた。


「あれ? 帰ってなかったんだ」


 部室から出てきたミサトは少し驚いた顔でこちらを見た。


「まあ……帰っても暇だし、図書室で本読んで時間潰してたんだ」

「そうなんだ。じゃ、一緒に帰る?」

「いいのか? モッちゃんと帰らなくて」

「モトユキ君は先に帰ってるでしょ」

「そうか、んじゃ帰ろう」


 モッちゃんと帰らなくて……なんて聞いておきながら、本当は期待してた。一緒に帰れることを。

 俺たちは学校を後にし、帰り道を並んで歩く。

 ミサトの家の方が先に着くから、それまでに聞いておかなければ。


「手紙、ちゃんと渡してくれた?」

「あ、ああ、もちろん」


 こちらから聞く前に、先を越されてしまった。

 しかし、これはチャンスだ。

 あの手紙の内容について聞くチャンス……。

 確定させておきたい。あの手紙に書かれた告白の返事を……。


「なあ、この前モッちゃんに告白された……んだよな?」

「うん、された」

「返事……今日するはずじゃ?」

「ん……したよ」

「そうか……みんな気になってたよ。お前モテるし、モッちゃんもいいやつだから、きっと良いカップルになるってさ」

「そうだったんだ。だから今日はみんなよそよそしかったんだ」


 確かに今日は空気が少し硬かった。

 みんな、なんて返事をするのか気になっていたんだろう。

 カップル誕生の瞬間を目撃すべく、二人の動向を見張っていたやつもいたし。

 それを見越して、俺を経由して手紙をモッちゃんに渡したんだろう。


「俺も嬉しいよ。二人が付き合って」


 もちろん嘘だ。嬉しいわけない。

 俺もミサトが好きだったんだから。

 隣を歩くミサトをそっと横目で覗いた。

 きっと、優しい顔をしているんだろう。

 いつもみたいに、いや、いつも以上に優しく嬉しそうに笑っているんだろう。

 そんなふうに考えていると、ミサトと目が合った。

 俺は初めて見た。

 子供っぽく笑う彼女の顔を。

 そして、聞いた。

 ほころんだ口元から溢れる、イタズラっぽい声を。


「断ったよ」

「……え?」


 一瞬、思考が停止した。

 全身の血流が止まって、身体が冷たくなった。

 そして再び血は巡り、脳は駆動して状況を把握し出す。

 俺が彼女の言葉を飲み込む前に、ミサトは言葉を繰り返す。


「断った」

「断ったって……告白を?! モッちゃんの!?」

「うん」

「なんでっ……だって、手紙……えぇ?」


 何度も何度も頭の中を整理しようとするが、できない。辻褄が合わないことだらけだ。


「手紙……モッちゃんに渡した手紙! あれは告白に対する返事が書いてあったんだろ?」

「そうだよ。お断りの返事をね」

「じゃあ、ラブレターってのはなんだよ……。お断りの手紙なら、そんなふうに言わないだろ……。あれは嘘だったのか?」

「嘘じゃないよ。あれはちゃんとしたラブレター」


 意味が分からない。ラブレターじゃないだろ。

 ミサトはイタズラっぽい微笑みを変え、遠い目をして言葉を紡ぐ。


「私……他に好きな人がいるから」

「っ……そう、だったのか……」

 知らなかった……あんなに近くにいたのに……。

「だから、モトユキ君とは付き合えないって、そう手紙に書いたの」

「そう……」

「知りたい? 私の好きな人」

「いや……」


 聞きたくない。そんなこと。


「君になら特別に教えてあげてもいいけど?」


 やめてくれ。聞きたくないって。


「私の好きな人はね……」

「いいって、言わなくても」


 ミサトの言葉を遮って、俺は足を速める。

 もうすぐ着く。ミサトの家に。

 それですべて終わりだ。

 今日の出来事も。ミサトの好きな男も聞かなくて済む。

 ミサトの好きな人を聞かないまま、とうとうミサトの家の前まで来た。


「んじゃ、俺はこれで」

「待ってよ」


 ミサトは駆け寄り、俺の袖を引っ張る。


「何だよ。まだ何かあるのか?」

「手紙の内容……まだ言ってない」

「言わんでいい」


 俺の静止を無視して、ミサトは続ける。


「手紙にはお断りの返事と一緒に、私の好きな人も書いた」

「じゃあ、モッちゃんは知ってるんだな。お前の好きな人ってのは」

「うん」

「俺だけ除け者か」

「だから、今言おうとしてるじゃん」

「……」


 知りたくは……ない。

 けれど、俺だけ知らないのも、それはそれで嫌だ……。

 覚悟を決めて、俺はミサトに向き直る。


「手紙には、返事の続きにこう書いた。私には好きな人がいます。それはーー……」

「……っ」


 唾を飲み込む。しかし、喉の渇きは増すばかり。

 聞いたら最後、俺は引き返せない。

 俺は……果たして出来るのか……。

 彼女の恋を応援することが……。


「それは……」


 何でもいい……今はただこの時間が過ぎてくれればっ……。


「それはね……

ーーこの手紙をあなたに渡した人です

って……」

「…………………………手紙を……渡した……人?」


 手紙……手紙を渡した……。

 モッちゃんに……渡した……。

 誰が?

 誰がって……それは……。


「俺が……モッちゃんに……手紙を渡した……え?」


 ミサトは俯いたまま黙って、耳を紅葉に染めていた。


「お前の好きな人ってのは……俺……なのか?」


 ミサトは小さく頷いた。

 手紙は……みんなから向けられる好奇の目を避けるために俺を経由したんじゃない。


「だから、君に渡したんだよ?」


 ミサトの瞳がまっすぐ俺を捉えた。


「あの手紙はモトユキ君への返事。それと同時に、君へのラブレターだったんだ……」

「マジに?」

「大マジ」


 夕暮れはすでに夜へと変わり始め、俺たちを暗く覆う。互いの姿ははっきりと見えなくなっていた。

 今はそれが救いだ。

 きっと、今の俺の顔は酷いものになっているから。


「……返事」

「んえ?」


 乾き切った口から間抜けな声が出た。

 返事……そうだ。俺は受け取ったんだ。彼女からのラブレターを……。


「あ……えっ……と……そのっ……」


 必死で言葉を探ろうと口を動かすが、定まらない。

 俺は喋っているのか……?

 耳鳴りが酷くて聞こえない……。

 そんな中でも、彼女の声だけははっきりと聞こえた。


「付き合う……? 私たち……」

「………………ああ……そうだな……」


 連られるがまま、俺は返事をした。

 俺たちは付き合った。恋人同士になったんだ。

 肌寒い夜の下。なのに俺の熱は高まったままだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

君に渡すラブレター 脊髄抜ヰ太郎 @Sekizui-Nuitarou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ