第9話 迷子

 不思議な夢を見た。


 ユキともう一度、穏やかに話をしている夢だった。


 しかも、欲しかったあの笑顔……慈愛に満ちていて愛情が溢れているように見える笑顔を向けてもらいながら……。


 ああ、なんてあたたかくて素敵な笑みなんだ。


 でも、現実では二度とこの笑顔を見れないんだろうな。


 もし見られたとしても、ユキが違う誰かと……お友達や家族とお別れした後でしか得られないと諦めた、心から欲しかったもの。


 ユキは愛情に満ち溢れたような顔で嬉しそうに微笑みかけている。


 私はというと、学校の席に座りながらユキを見上げているようだ。


 一緒になって笑い、小さく身振り手振りを交えながら話している。


 ユキを初めて家まで送った日に耳にした漫画の話をしているのが、内容を断片的に拾うことで理解できた。


 なんて穏やかで眩しい一時なんだろう。


 水面に浮かび、木漏れ日を浴びながら揺られているような心地良さに身を委ねながら、夢のユキとの会話に耳をすました。


 夢の中だからなのか、目を閉じている感覚があるのに目は見えているし、顔も体も口も勝手に動いていて、魂が誰かに乗り移っているのかと思わされる。


 これは夢の中だよね?


 不思議な感覚に身を任せ、欲しかったユキの笑みに心から満たされながら、考え続けた。


 考えうる範疇だと、ユキのお友達に乗り移っている可能性が高いな。


 まさか……ね?


 少し悔しくて妬みそうな気持ちがありながらも、この人がいるお陰でユキとまた擬似的に話ができているのだと感謝したい気持ちもあった。


 良いなあ……。


 羨んでいるうちに、後悔する気持ちが少しずつ湧き上がってくる。


 でも、あの状態で関係を続けていても、恩義に感じられているだけで、ただの言いなり……奴隷と変わらないよ……。


 だって、ユキはまっすぐで正義感が強くて、律儀で、お礼はきちんとするし約束も守ろうとするような子だったもの。眩しいくらい立派な子。


 そんな子だったから、別に私のことが好きだったり、会いたくてきてくれてたわけじゃないんだよ……きっと。


 あのまま、たくさんお話をして、たくさん遊んで、少しずつ距離を詰めたかった後悔と、これからもう一度偶然を装ってばったり会えばやり直せるのではないかという希望が湧いてきて悩まされた。


 ユキのこと見習って、まっすぐ決めたことをこなしたい気持ちだってある。諦めるって決めたんだ。写真で見た氷像や雪像を見たくて北を目指すって決めたんだって。


 でも、もし生きて無事帰ることができたなら、すれ違うだけでも良いからもう一度会いたいと願ってしまう自分もいた。


 ほんの少しの間しか傍にいなかったのに、こんなにも好きになってしまうなんて。


 ユキの誠実でまっすぐで、嘘偽りない優しさに心を奪われてしまったんだなあ。


 初めてあんなに真剣に心配してもらえて、初めてあんなに優しくしてもらった。


 普通の人が見たら、自分の立てた音で耳を抑えながら苦しんでたら笑い者でしかない。普通の人が見たら、自分で自分の顔をお盆で叩いてそのまま動かなかったら馬鹿にしてくる。でも、ユキはどちらのときもそうはしなかった。


 そんなことでそこまで真剣に心配してくれるの?って、むしろこちらが心底驚かされるくらい真剣に心配してくれて……。


 幼い頃は人をすぐに好きになるようなやつだった私だが、好きなものがあまりに多くて、浮気だとかすぐ好きになるとか呆れられていたものだった。


 私というやつは、優しくされたらすぐに懐いてしまうし、仲良くしてもらえると知るや否やご機嫌で尻尾を振るようなやつだった。


 でも、ユキに対するこの気持ちはいつもと違う。


 笑ったり馬鹿にしないで、真剣に心配してもらえて、律儀で誠実な態度をとってもらえて……とても立派な人だと心から尊敬できる反面、心配で気になってたまらない危うさを秘めていて……。


 気になってしかたがなかった。


 いつの間にか頭の中がユキのことばかりで溢れて、気を緩めるとすぐにユキのことを考えてしまう……。


 思いのままにユキのことが欲しくてたまらないけれど、そんなことしたらきっと傷つけてしまう。嫌な思いばかりさせてしまうからしちゃいけないと、自分の気持ちにブレーキをかけて耐えていた。


 夢でみているユキの笑顔を向けられているお友達らしき人が心底羨ましい。


 ヤキモチ妬いて仲を裂こうものなら、悲しませてしまうのなんてわかりきっている。


 だから、だから……!我慢して諦めてもう会わないようにと決めたのに。


 本当は話したくて、胸が苦しくて切なくて……。


 どれだけ苦しくても、どれだけ切なくても、ユキの素敵な笑顔を見ながら話している夢は……あたたかくて優しくて……切なすぎるほどに残酷だった。




 一筋の冷たい涙が、こめかみに向かって流れ落ちて目を覚ました。


 ついに……やっと夢が終わった。


 安堵と名残惜しさのどちらも孕んだため息をつき、いつも通りに起きようとしたけれど、家ではなく旅路の途中だったことを起きてから思い出した。


 そうだった。テントの中で寝たんだ。


 いつもと違う寝起きにどうするか考えていると、テントを張った場所と今いる場所が少し違うことに気がついた。


 なんか変だ。川のせせらぎが聞こえてくるぞ。暗かったとはいえ、人目につかない山の平地にテントを張ったはず。川がまわりにない平地だったのに。


 異変に気がつき、テントから顔を出そうとすると、影の精がタイミング良くテントに入ってこようとしていて、危うくぶつかるところだった。


「ごめん!ぶつかったり怪我したりしてないかい?」


 影の精が目をぎゅっと閉じて固まってしまっているのを見て、大慌てで声をかけた。


 影の精はゆっくり目を開け、にっこり笑ったあと、少し慌てたような身振り手振りで外を指差していた。


 やっぱり、外が変なのか。


 影の精に導かれるまま、テントから外を見てみると、私たちがテントを張った土地が丸々川に流されているではないか。


 こんな重たい土の固まり、よく沈まずに浮かんで流されたな。


 そんなことに感心している場合でもないのに、真っ先にでた感想がそれだった。


 状況は把握したけれど、ここからいったいどうしろと?


 まず持ち物の確認か。


 大変なことになっているはずなのに、いつもより落ち着いていられた。不思議と、こういう状況ほど落ち着いていられるものだからかな。


 慌てたところでどうしようもないからな。


 少し呑気かもしれないなんて考えが頭のすみに浮かびながら、淡々と荷物を確認していく。


 自転車よし、テントよし、かばんよし、影の精よし……。


 欠けている荷物も仲間もなにもなく、とりあえず一安心だ。


 さて、次は……。


 まず、今一緒に流されている土地から調べた。次に空を見て、周りを見て、少しずつ状況をより詳しく把握する。


 土地は木の根っこごと浮いて流されているらしいけれど、それでもやはり原理が理解できなかった。精霊もいるファンタジー世界だからなんでもありなのだろうか。


 次に、空はいつもとたいして変わらないようでいて、太陽がどこにも見当たらない。まわりの景色は童話の挿絵にあるような川と河岸だ。


 どんぶらこ、どんぶらこ。


 まるでどんぶらこと流されているような状況に苦笑しつつ、川に流されていく童話で浮かんできたのが四つほど。


 まず、「どんぶらこ」といえば桃太郎。


 次に、川を流れる話で頭に浮かんだのがうりこひめで、次が親指姫、最後に一寸法師だ。


 他にもなにかあったかな?


 寝ている間に違う世界に来ていたなんて、この世界ではよくあることだけれど、引きこもり生活をしていた身としては厄介きわまりないし当たり前でもなんでもない現象だ。


 ユキとまたやり直したいなんて思ってしまったから、試練として立ちはだかってきたのだろうか?


 試練だと思い込めば俄然やる気がでるし、燃えてくるのを感じた。


 しかし、どう考えてもこの状況はただ運が悪いだけで、ユキのことを諦めろと言われているような気がしないでもない。


 もし後者だったとしても、良いのか悪いのか、ユキへの想いが潰えることはなかった。


 ユキにまた会いたい。


 諦めたはずなのに、身を引いたはずなのに、性懲りもなくそんな願いが溢れて止まらなかった。自分で決めたことなのに。


 自分の気持ちに嘘ついて蓋をしたから、気持ちがどんどん膨らむばかり。


 本当は大好きだ。好きで好きでたまらなくて、胸がこんなに苦しくなるほど愛してる。


 本当はもっと一緒にいたい。もう無理も無茶もしないような暮らしをさせたい。お友達がそんなに大事なら、三人で暮らすのも考えてしまうくらいには傍にいたい。


 傍にいられたらそれだけで十分幸せだけど、いつかお友達に向けているような微笑みが欲しいよ……。


 最初は愛してやまない気持ちに歯止めが利かなくて苦しかったのに、最後は切なさで胸が張り裂けそうだった。


 この世界から生きて帰って、ユキにもう一度会おう。


 もし帰れなかったら……縁がなかったってことにするよ……。


 生きて帰る自信がなかった。寝て起きたら見知らぬ土地で童話で読んだことあるような展開なんだぞ?どうやって帰れって?


 でも、帰るための目標はできた。できる限りのことをして頑張って帰りたい。


 そのためにはまず、ここがどの世界で、どのようにして迷い込んでしまったのかを知らねばならないだろう。


 決意と目標と次にすべきことを新たに定めた頃、いつの間にか、どこかに行っていた影の精が慌てた様子で戻ってきた。


 どうしたんだろう?


 影の精の身振り手振りに目を向け、何を伝えたがっているのか観察してみたけれど、なにがなんだかわからなかった。


 ひたすら両手を振って、困った顔をしながらこちらを見上げている。


 慌てて困っているのはわかるけど……。手を振っていることに意味があるのだろうか?


 両手を上にあげ、開いて閉じて振っているけど……これは何を意味しているのか。


 上……振る……。


 ふと空を見上げてみた。


 右にも左にも手を向けないで上にばかり振っている上に、影の精は私を見上げているようで実は空を見ているのかもしれない。


 ゆっくりと空を見上げてみると、影の精が伝えたかったことをしっかり読み取れたのだとすぐにわかった。


 空にぽっかり穴が開いていて、そこからいろいろなものが流れ星のようになってこの世界に降ってきていた。


 車に木、人に建物……本当に様々なもの。


 私たちもきっと、ああやって落ちてきたのだろう。だとすれば目指す場所はあの空にある穴か?ちょっと待って。ユキもこっちにきてたりしない?


 目的地として定めた後、ユキがこちらにきてないか心配になった瞬間に穴は塞がった。


 塞がった後は絵にかいたような空が広がるばかりで、そこには最初から穴なんてなかったかのよう。


 影の精がしょんぼりしたような目でこちらを見ている。


「とんでもない場所だね。ユキさんが巻き込まれてないと良いんだけど……一緒に頑張って帰ろうね」


 影の精は困った顔をしていたけれど、一緒に帰ろうと言った途端ににっこりと笑いながら元気よく頷いた。


 まずはユキの安否を……。


 端末を手に連絡を取ろうとしたけれど、ユキの記憶を寝かしつけた時に連絡先も消してしまったのを忘れていた。


 そうだ……もう連絡は取らないって決めて……。


 ユキがこちらにきているかどうか心配でならないのに、確認することすらできない。自業自得なんだけどさ。


 魔法が使えるのかどうかは、太陽も月も星すら見つからないからわからない。


 困った。


 夜になるまで待つしかないのかな。


 弱気になりつつあったけれど、私の性格上、弱気になりきって終わるわけがなかった。


 いや、夜まで到底待てないし動けるうちに動いて調べられるだけ調べたい。


 影の精は心配そうとも不安そうとも捉えられる表情で周りをキョロキョロしている。


「影ちゃんや。ちょっとお願いしたいことあるんだけどいいかな?」


 影の精は顔を輝かせながら勢いよく頷いている。


「川の土手っていうのかな?この向こう側がどうなってるか、わかるかい?わからないなら、見てもらうことはできるかな?」


 影の精は胸を叩きながら表情を引き締め、すうーっと影を伸ばしながら飛んでいき、すぐに戻ってきた。


 影の精が、絵を描きたいように見えるジェスチャーをしているけれど、残念ながら紙もペンもない。


 地面に絵を描いてもらうにしても、硬いものが必要だ。


 なにもなくて困っていたけれど、硬い物でピンとくるものがポケットにあるのを思い出した。


 石の精と『帰り道』で歩いているときに拾ったあの石だ。


「これで地面に描けるかい?」


 影の精は嬉しそうに頷きながら石を受け取ると、一生懸命地面に絵を描き始めた。


 影の精が描いた絵によると、土手の向こうには童話や日本昔話にあるような村が広がっているらしい。


 童話の世界に入り込んでしまった前提で推測すると、親指姫の可能性は除外できる。考えられるのは一寸法師と桃太郎とうりこひめか。


 それにしても、そろそろ後ろか前あたりに桃かうり、お椀が見えてもおかしくないのではないか?もしや、私たちが代替として流れているのか?


 様々な可能性に考えを巡らせているうちに、いつの間にか夜になっていた。


 月も星も瞬かない不気味な夜だ。


 魔法を使えないことが確定してしまった。太陽も見つからなかったし、これは困ったぞ。


 いざというときの切り札が切れない。非常にまずい。


 かなり焦りながら空を見上げていると、影の精が心配そうに寄り添ってくれた。


 影の精は私の魔法の原理を知っているから、空を見て不安になったようだ。


「影ちゃん。きっとなんとかなるよ。魔法が使えないときのための備えが全くないわけじゃないし、君が傍にいてくれて心強く思ってるよ。とりあえず今日はこのまま流されているしかないみたいだから、もしものための備えをしないとね」


 影の精は心配そうにしながらゆっくり頷いた。


 にしても、童話の主人公たちってどれくらいの時間流されてたんだろうな?一日のうちに流れつかなかったのだとしたら相当不安だったのでは?桃太郎やうりこひめのように。赤ちゃんの状態かつ、野菜果物の中にいたわけじゃない一寸法師……一体何者なんだ?


 そんなことを考えながら、夜の見張り番をする順をじゃんけんで決めた。もしなにかあっても二人とも寝てて対応できないことがないようにするための見張り番だ。


 じゃんけんの結果、先に私が見張りをし、影の精がその間寝る。そのあとは交代ばんこだ。


 この結果に、影の精が文句を言いたそうにしながら抗議してきた。


「不服なの?」


 聞いてみると、影の精は地面に石でガリガリと文字を綴り「じゃんけん強すぎて不公平だ」と書いていて思わず笑わされた。


「それじゃあ……代わりになる決め方を提案してもらわないとね?」


 影の精は不服そうな顔のまま、代案を出せなくて諦めたようだ。


 地面に何か書こうともせず、チラチラとこちらを振り返りながらテントの中へ入っていってしまった。


 ちょっと意地悪だったかな?


 影の精を怒らせた気がして申し訳なく思いながらも、交代の時間まで頑張って起きながら見張る工夫をしつつユキのことを考えた。


 ユキさん……無事だと良いな。


 見張りをしている間、気を緩めているつもりはなかったけれど、ユキのことばかりが頭に浮かんでしまい、思わず目が潤んでしまったりもした。


 人を好きになるのがこんなにも苦しくて辛いことだと思わなかった。


 いつの間にか影の精と交代する時間になっていて、慌てて目元を拭って元気そうな笑顔を見せた。


「影ちゃんよく眠れたかい?」


 影の精は眠そうな顔をしながらも、笑いながら頷いて見せ、胸を叩いて任せろとアピールしていた。


「もし辛かったら遠慮なく言うんだよ?寝てても叩き起こしていいからね。機嫌よく起きれないかもしれないけどさ」


 影の精は微笑みながら二度頷き、テントに行くまで手を振ってくれた。


 さすがに寝る時は何も考えずに寝たかったけれど、ユキのことが頭に浮かんでずっとぐるぐる回った。


 ユキのことも心配だけど、自分たちのこともちゃんと考えないと。


 なかなか寝付けない苦しみの中、目を閉じているといつの間にか眠りに落ちていた。


 深くて辛くて苦しい夢の幕開けとも知らずに。

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