34;悪Q連へ潜入せよ
全体会議が終わったあと、杏奈は流されるままに小会議室の前へやってきた。
コンコン、と扉を軽くノックして、開ける。
「失礼します、実働部隊の結城です」
「おお、おつかれさま」
奥から男の澄んだ声が聞こえた。馴染みのある、されど朝露のように透き通っていて優しく耳をくすぐるような声である。
「お疲れ様です龍崎先輩。それで、お話というのは?」
「まぁまぁ。まずはそこにでも座ってくれ」
声の主は龍崎玄人。実働部隊の隊長である。
奥へと歩を進めながら問いかける杏奈に、彼は軽く微笑んだ。その笑顔が今日も眩しい。杏奈の表情は気付かぬうちに緩んでいた。
「は、はい。では失礼します……って、わっ!」
椅子に腰掛け、右をチラ見した杏奈が仰天して椅子をガタッと揺らした。その様子を見た玄人が苦笑いをする。
彼女の隣には、東雲班の南祥太郎が座っていた。正面をじっと見たまま何かの式典みたいな正しい姿勢で何も言わずに鎮座している。
「き……気づかなかった……気配が完全になかった……」
杏奈は目をひん剥いたままおそるおそる椅子の位置を直した。主力たる杏奈に存在を気づかせないとはさすが隠密行動のプロである。
「あっははは。じゃ、説明はじめてもいいかい」
「あっ、ハイ!」
軽く笑い飛ばした玄人に、杏奈は虚を突かれたようにバッと顔を上げて返事した。対して南は無表情のまま小さくうなずく。
「よし……じゃあ始めようか。手始めに、昨日仙石組からウチの上層部に入った情報を共有しておきます」
玄人は真剣な面持ちになり、話し始める。先ほどまでの朗らかな雰囲気とは一転、鋭くなった声色に杏奈は固唾を飲んだ。
「来週月曜、悪Q連が麻薬の受け取りを行うことがわかりました。それに関して司令部の皆さんと決めた作戦を話しておこうと思います」
杏奈は息を詰めた。捜査が始まって数日か経っていない。彼女はこんなにも早く実行犯の取り引きの場を押さえられるとは思わなかったため、驚愕の色を隠せない。南の表情は石像かと思うほどに変わらなかったが。
「この作戦は結城さんと南さんの二人だけで行ってもらいます。まずは結城さんが取り引き現場に直行、取り引きを止めにかかってください。何人か殺してもらっても構わないです。けど、遅れて南さんが駆けつけてからが本番」
玄人は静かに南を見据えた。杏奈も南の方をチラリと見て、はて、と首を傾げる。
「南さんは、結城さんと交戦してください。そして結城さんはわざと負けて、撤退をお願いします」
「へ????」
唐突な依頼に、杏奈は素っ頓狂な声をあげた。豆鉄砲を喰らった鳩みたいな顔をしている。
「ど、どうするんですか、そんなことして……」
そう言いながら、杏奈はなんかちょっと口が開いている南を
「まさか、それで……」
杏奈が玄人の方をもう一度向くと、彼は満足げにうなずいた。
「そう。それで南さんには悪Q連に信用してもらって、潜入していただきます」
「やっぱり……」
杏奈は口角を上げて、背もたれに寄りかかった。南は一層大きく口を開けてぽかーんとしている。その様子がおかしかったのか、玄人も少しはにかんだ。
「びっくりしてますね、南さん。でもあなたが適任だ。潜入に成功すれば悪Q連のアジトや小林組の情報がいろいろわかると思いますから、一気に状況が好転するはず」
そう言って玄人は、また表情を真剣なものに戻す。
「それに、現場に行けば悪Q連の取引相手がわかる。その組織の情報が一番大事だ。連中がどこから薬物を入手しているのか、それがわかれば今後の方針もうまく立てやすい」
南は口を閉じて頷いた。しかし杏奈は顎に拳を添えてなにやら思案している。
「どうしたの?」
「あ、いえ……なんで私なのかなって。こういうのは東雲班が担当するって最初にあったじゃないですか」
彼女は前のめりになって、解せないといった視線とともにもっともな疑問をぶつけた。玄人は右手を額に当て、「あっ」と声を漏らす。
「その説明を忘れてた。……あのね、作戦の方法上敵側の誰と戦うとなっても勝てるように主力を連れていきたかったんだけど、東雲班だと今、蓮は垣本戦でちょっとケガしたじゃない。あと東雲くんは正直強すぎて割に合わない……顔も割れてるし、あの子を追い払ったってなると逆に怪しまれるかもしれないからさ」
玄人は粛々と説明する。
理にかなった内容ではある。杏奈は手を組んで背もたれに寄りかかった。
「はぁ……確かに、なんか納得はできちゃいますね」
しかし彼女は、まだ訝しげに目を細めている。それから一拍置いて、再び「あの」と玄人に声をかけた
「いくら南さんが私を追い払ったからといって、悪Q連からすればどこの誰かもわからないでしょうし、そんな受け入れてもらえますかね?」
優しく聞いた玄人に、杏奈はいかにも納得していないように渋面を作った。その様子に玄人は南の方を見やる。すると南は玄人と目を合わせて、大きく頷いた。その頷きは杏奈の問いに賛同するものではない。長年一緒に仕事をしてきた玄人には、彼が「大丈夫だ」と言っていることが一目でわかった。
「安心しな結城さん。彼、昔あのSnow Lordにも潜入できてるくらいだから」
「えっちょっ、なんですかその伝説めいた話!?」
杏奈はギョッとしてまた椅子をガタつかせた。玄人はきょとんと不思議そうな顔をする。
「あれ、育成期間とかに聞いてない?」
「聞いてないです……」
「あー、そうなんだ」
うなだれる杏奈を見ながら、玄人は指を顎に添えた。そして南の方を見る。南は自信満々に目を輝かせていた。その目を見て、玄人はニッと笑う。
「そう、だから大丈夫。ほら、南さん本人も自信ありだ」
杏奈は南の顔を見た。さっきまで無表情だったのに今はずいぶんキラキラしているので、彼女はうわぁ、と体をのけぞらせる。その途端に南の顔色が薄くなった気がした。
「あ……なんかごめんなさい……。あ、あと龍崎先輩!」
申し訳なくなってしまった杏奈が気まずさを振り解くように再び玄人の方に向き直る。玄人は「どうした?」と優しく返事をした。
「この作戦だと、せっかく敵の取り引き現場がわかったのに取り引きの阻止はできませんよね?今回は泳がせるんですか?」
その質問を聞いて、玄人はなんだそんなことか、と一笑に付した。
「大丈夫。あいつらはトラックで薬を輸送するってわかってるから、輸送中のを俺らが追うよ。もし追いつけないやつがあったとしても——我らが会長が、撃ち落としてくれる」
心配する杏奈と異なり、玄人の目は自信に満ちていた。
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