序章

1;蒼天下の少年少女

 少年は家でニュースを観ていた。


【月嶋燐氏、またも詐欺集団を撲滅か】

【火災現場での救助活動、月嶋燐さん(12)に感謝状贈呈】    

【月嶋燐さん、凶悪指名手配犯を逮捕】


 流れるのはこんなニュースばかり。ほぼ毎日のように、月嶋つきしまりんという人物を讃える報道が流れてくる。


 多くの人にとってはつまらないかもしれない。人は身近でないものに興味を示さないことが多いから。

 しかし、この少年は嬉しそうに頬を緩ませていた。


 彼はまだ次の週に中学生になるくらいの年齢である。そもそもそんな歳の子供がニュース番組を見ているなんて、ませているなぁ、などと思う人がいるかもしれないが、ニュース自体を好き好んで観ているわけではない。むしろまったく好まない子である。


 月嶋燐という少女は、彼の幼馴染なのだ。だからよくニュースをみて、彼女の報道を見届ける。

 人は身近な人の活躍を嬉しく思うことが多いものだ。



 日々あちこちで起こる犯罪を、彼女はいくつも解決してきた。大人を軽く凌駕する身体能力と、とある秘めた力によって。


 そしていつしか、“英雄” と呼ばれるようになっていた。


 少年はそんなふうに讃えられたことがない。そもそもそれだけの功績を生むに足る能力がない。

 だから、彼はずっと彼女の背中をこうして眺めているだけだった。



 その少年——焔坂ほむらさかれんはテレビを消し、時計を見た。午後一時を指している。

 そろそろ準備しようと思い、立ち上がって自室へ向かった。

 今日は幼馴染──そう、燐と遊ぶ約束があるのだ。


 外へ出ると柔らかな陽気が出迎える。

 今日は快晴。暖かい日差しと涼しい風が心地よく肌を包む、絶好の外出日和というやつだ。


 澄んだ空の色を見ていると、どこか開放的な気分になれる。蓮は蒼天が好きだった。



「あーっ、蓮だー!」


 大声で呼ばれて、彼は振り向く。

 そこで彼の赤い双眸は一人の少女をとらえた。


「あれ? 月嶋じゃん」


 彼女こそが月嶋燐。蓮の幼馴染にして、英雄と崇められる少女。

 紺色の長髪を小さなサイドテールに結び、紫ベースのかわいらしい私服を着込んでいる。その首元には銀色のペンダントが提げられていた。


「どうしたんだよ、待ち合わせ場所ここじゃないだろ?」


 蓮は問うた。

 待ち合わせ場所が違うどころか、時間もまだ二十分くらいある。それなのに家の前に現れたものだからそりゃ不思議なものである。

 すると彼女はにぱっと満面の笑みを浮かべて言った。


「楽しみすぎて来ちゃった!」


 太陽のような笑顔である。何気なく見せるものであっても、老若男女問わず虜にならない者があるだろうかというくらい輝かしかった。

 蓮は思わず顔を赤らめてしまう。


 けれど燐はすかさず


「あ、照れた〜」


 と口の片端を上げて茶化すように言った。


「あっ、なんだよお前ぇ、そういういじり方やめろって言ってんだろー!」

「わーこっわ〜い、キレたー!」


 咄嗟に噛み付く蓮だが、燐はいたずらに目を細めながら身を丸めてさらに煽る。


「……こいつぜってぇぶっとばす」

「ぷっはーー! キミがわたしをぶっ飛ばすなんてーー! できるんですかーー!?」

「今日なんかいつもより数段ひでぇな!?」


 少しつぶやいただけで燐が大爆笑をはじめるものだから、蓮も不意に叫んでしまった。


 二人は毎回こんな感じである。

 ことあるごとに燐が蓮をいじって振り回すという流れがもはや定番となっていた。


 彼女は普段からお調子者だ。あまりに無邪気でいたずらっ子で、蓮はたびたび本当に英雄なのか疑ってしまうくらいには。

 だがここまで機嫌がいいのも珍しい。


 きっと嬉しいのだろうな、と蓮は思った。

 普段の彼女は任務ばかりでろくに遊ぶ暇がない。こうして二人で出かけるのだって数ヶ月ぶりだ。


 それでも蓮は彼女の素振りを面倒に感じていたが、暇にならないのでこれもこれでいいか、と考えることにした。


「はー面白かったー、そんじゃあカラオケでも行きますか!」


 そんなことを思っているうちに、燐はそそくさと駆け出していってしまった。


「え、おいおい待てよ!」


 蓮は彼女の背中を追いかける。


「おっそーい、はやくしないと置いてくぞー!」


 またもや煽り文句が飛んできて、蓮はイラッとして速度を上げる。そのときだった。


「うわ!?」


 道端にいたカラスを蹴りかけて、蓮は咄嗟に回避した。しかしその勢いで転びかけて、燐に抱き止められる。


「大丈夫!?」

「おう、ありがと」


 蓮は頭を撫でる。

 燐は心配そうに駆け寄り、彼の頭に手を当てた。出血がないことを確かめて、ほぅ、と息をつく。


「もう、ちゃんと前方注意しなきゃ。ヘンなヤツらに誘拐でもされても知らないんだから」


 すると彼女はふいっと前を向いてそんなことを言い出した。


「はいはい……んん? さっきまでの心配そうな顔はどうしたんだよ」

「ベー」


 いたずらに舌を出す燐に、蓮は怒るを通り越して呆れ返ってしまった。

 頭を抱える蓮を見て燐はニヤニヤと笑う。蓮はため息をついて、言い返すのをやめた。

 燐は彼の顔を覗き込むろ、つまらなさそうに眉をひそめる。


「ありゃ、なんにも言わなくなっちゃった」

「疲れた、もう帰ろうかな」


 すると燐が蒼白になってまくしたてた。


「ええ!? まだ着いてすらないじゃん、そりゃないって! いじりすぎちゃった、ねぇごめんってばぁ!」


 涙目になって縋りついてくる。その様子が可愛らしくて、蓮は不意に吹き出した。

 疲れるけれど、彼もなんだかんだ楽しんでいるのだ。


「ははっ、冗談だよ。さ、行こうぜ」

 

 燐はきょとんとして目を瞬かせる。それからぷくっと頬をふくらませて「いじわるー!」と怒りながら、蓮と並んで歩いていった。


***** 


「結局わたしの全勝でしたー!」

「……………」


 カラオケで何時間も潰したあと、蓮は高純度の負のオーラ、燐は高純度の正のオーラを放ちながら帰路についていた。


 燐はバレエダンサーのようにくるくるとに回り、「これでわたしの三二二連勝〜〜♪」と蓮に向かってドヤ顔をキメてみせる。蓮は半笑いで俯いていた。


 燐は歌が好きだ。誰に感化されたのか、音楽論を勉強して歌を研究するほど、趣味にしては大それたことをやっているくらい。


「まったく……月嶋……おれはいったい何ならおまえに勝てるんだ……」

「んー? 勉強は?」

「それですらほぼ五分だろ……」


 燐は完全無欠だった。

 英雄と呼ばれるわ、勉強はできるわ、人気者だわ、歌も上手いわ。 

 身近な人がそれだけの超人なものだから、蓮は彼女に何か勝ちたくてよく勝負をするが、だいたい完敗に終わる。


 別に蓮も勉強や運動などなどができないわけではなかった。友達も少なくはなかった。

 ただ、彼女という存在には遠く及ばない。


 名の通り彼女は “月” のような存在である。いつだってそばにいるし、手を伸ばせば届きそうなのに、届くことは決してないのだ。


 だから小さなことでも彼女を超えて、少しでもその背中に近づきたいという思いは確かににあった。それでも彼女の背中を遠くから眺めるだけにしかなりやしない。



「んじゃ、私はここで。変なのに捕まらないようにしろよ〜」


 いつもの分かれ道にさしかかって、燐は煽るように言って手を振った。


「捕まるかよ。じゃあな」


 蓮が手を振り返すと、燐は笑って駆け出して行った。揺れたペンダントが夕日に照らされキラリと光る。

 

 その背中は少しだけ丸く、思いのほか小さなものに見えた気がした。



 蓮は残りの道を一人で歩く。

 もう既に薄暗い。すっかり遅くなってしまったと思い、歩みを早めた、その時。


 ガバァッという音とともに、視界が黒一色に染まり、体が空中に浮いた。

 続いて、手足に冷たい何かが巻き付く感覚。そこからさらにそのままどこかへ投げ入れられたのか、鈍い衝撃が体を伝う。


「いって! な、なに、は?」


 こもった声を張り上げる。

 あまりにいきなりすぎる出来事に、頭が凍りついた。思考が追いつかないまま汗は噴水のように吹き出し心臓は爆ぜるように暴れだす。


 だが、それでも何をされたのかは理解することができた。手足は縛られている。そして暗闇に放られた。つまり——


 ——自分は誘拐された。


 奇しくも、燐のおふざけ忠告の通りになってしまったのだと。

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