ホラーの短いお話

キャスバル

第1話 Yトンネル

 X町の外れ、このあたりまで来ると、だいぶ田舎だ。


 買い手のつかない空き地やこうさくほうとしか思えない田畑のあいだに、片側一車線の道路が走っている。となり町との境目には小さな丘が横たわっていた。

 心霊スポットで有名なYトンネルは、この丘を貫通している。トンネルの長さは三〇〇メートル弱。古びていて、な雰囲気のYトンネルは、夜間になると利用者が途絶えがちだった。


 今日は真夏日で、朝からずっと晴れている。あと二、三分で二十二時。夜になっても、うだるような暑さと快晴の空は相変わらずだが、周りには自分たち以外には誰もいない。さびしい場所だ。ユカリは不意にそう思った。


「この、うらさびしい感じ……」

 運転中のヨシオも同意見らしい。「絶対に〝本物〟だよな、ここ。雰囲気があるもん」


 中型SUVの後部座席の右手側、運転席の背後のシートにユカリは座っている。ヨシオのとなりの助手席にはミク。ミクのうしろの後部座席にはタカシが腰かけていた。


「ここさ、来るの二回目だし、わかるんだよね」

 トンネルの前で車を停車させると、ヨシオが断言した。「おれ、霊感あるから」

「霊感あるとかキモいんですけど」ミクが缶ビール片手に笑い飛ばした。「やめて」

「……ふたりって、付き合ってるんですか?」とたずねたのはタカシだ。

 実はユカリもさっきから気になっていた。


 ヨシオたちが前にここに来たとき――。一ヵ月ぐらい前までは、ミクはヨシオに敬語を使っていた。ミクもヨシオも大学二年生、学部も文学部で一緒。ただし、ヨシオは留年している。三年も。だから年齢的には先輩だ。オカルトサークルの部長でもあるヨシオに、ミクが砕けた調子で話しかけるようになった理由はやはり「付き合いはじめたから」だそうだ。にやけ面の彼氏がエンジンを切った指先で、彼女の頬をつついている。


「なんで切ってんの、エンジン」とミクがヨシオに抗議した。「エアコンないと死ぬし」

「トンネルのなかまで歩いて行くだろ、オバケ見に。おれたちオカルトサークルだよ」

「ガチなの、ヨシオだけだよ。新入生勧誘のときに『ただの飲み会サークルだから、ホラー苦手でも大丈夫です』って部長のあんたにだまされたこと、忘れてねえからな」


 頬をつつきつづけている恋人の指を、ミクはビール缶を持っていない右手の甲で弾いた。


「ガチのオカルトサークルだから、みんな辞めた。残ってやってるだけでも感謝な」

「へいへい」と応じているヨシオは、酒が入ると性格がきつくなる恋人のそういうところまで愛おしいらしい。シートベルトを外しながらヘラヘラしていた。

 うらやましいな。ユカリは素直にそう思った。こっちの頬までゆるくなってくる。

 自分も、タカシとこうなれたら――。


「こっちはさ、バイト終わりで疲れてんの。タカシもでしょ?」とミクが後部座席をふり返った。ミクとはバイト先が異なるものの、タカシも仕事終わりのようだ。

 タカシは、ミクやヨシオのようなようキャではない。だけどユカリは、そんな控えめな性格のタカシのほうがタイプだった。苦笑した顔がかわいいタカシが好き。


「いなかったし、幽霊」とぼやきながらも、お願いと両手を合わせている彼氏を見て、ミクはしぶしぶシートベルトを外しはじめた。「前に来たときは、いなかった」

「見たやつが何人もいるから。ネットにも書いてあったしな」

「ネットって……」とミクに鼻でわらわれても、ヨシオはめげない。

「このトンネルのなかで死んだ若い女の幽霊を見たやつが何人もいるのよ。前に来たときはトンネルのなかまでは入らなかった。今回は入る。おれらも見たいじゃん、幽霊」

「見たくねえし。だいたいキモいんだよ、このトンネルの怪談とかいうの」


 不快そうに眉根を寄せながら、ミクは缶ビールを目の前のホルダーに置いた。


「ここで死んだ女、ストーカーだよな。同じ大学の男にベタれして、追いかけ回したあげくに、夜中にこのトンネルのなかまで追いつめた。男をめにしかけた寸前に車が突っこんできて、ひき殺された。運転手は飲酒運転。がっつり酔ってて、前方不注意だっけ?」

「噂だとな」

 Yトンネルのほうを見つめながらヨシオが合いの手を入れる。「女の幽霊は男を手籠めにできなかった未練が強すぎて、化けて出るってよ」

「夜に……」ミクもトンネルのほうを見ていた。「ここらを通る男のなかで気に入ったのがいたら取りいて、にするんだろ。ぐちゃぐちゃって、キモ」

「男が逃げようとしたら『ダメ、逃がさないからね』って言うらしいぞ」

「ヨシオはイケメンだから注意しとけよな」


 ミクが笑ったので、ヨシオもがんした。


「ところで」破顔したまま、ヨシオがタカシにふり返った。「おまえさ、いつもより口数少なくない? 大丈夫かよ?」

「ああ……風邪気味、なんですかね? 急に体、だるくなってきて」


 ミクもふり返って心配そうにタカシを見ていた。ユカリもだ。


「このあと飲むけど、タカシはやめとくか?」とヨシオが訊いた。

「……ええ、肌寒いんで。トンネルにも、行かなくていいっすか?」

「いいよ、いいよ。むしろ連れてきてごめんな。すぐ帰るか?」


 本気で心配しはじめたヨシオに向かって、タカシは顔の前で右手を左右にふった。


「いえ、気をつかわれすぎるとストレスなんで、トンネルには行ってきてください」

「じゃ、早めに戻ってくるわ――ミク、急げよ」

「わたしも行きたくないし」とは言うものの、彼氏ひとりで行かせるのは心配なのだろう。ミクは渋面のまま結局ドアをあけて、ヨシオと一緒にトンネルのなかまで歩いていった。


 車内で……タカシとふたりきり。


「さっむ。夏でエアコン切ってんのに、なんでこんなに寒いんだろ?」

 独りごちたタカシのかわいい顔を、ユカリは凝視した。そっと、ぬっと、近寄りながら。

「やっぱ外……出ようかな」タカシの肩が震えはじめていた。「絶対にここ、変だよ」

 怖くなると、独り言が増える人がいる。タカシもそうらしい。


で車のなかとか……そっちのほうが怖いよな」


 ユカリは舌なめずりする。シートベルトを外したタカシが、ドアに手をかける寸前に抱きついた。ヨシオたちが前にここに来たときから、目をつけていたタカシに。

 え、なに? と言いたげなタカシの耳元まで顔を寄せて、ユカリはささいてあげた。


「ダメ、逃がさないからね」と。

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