最後の手紙は、ポストに眠る
るいす
第1話:ポストの中の手紙
鍵を開けると、ひんやりとした空気がひかりの顔を撫でた。数ヶ月ぶりの祖母の家。葬儀のあとに数日泊まったきりで、それ以来ずっと空き家になっていた。
部屋の中は、祖母がいたころと何も変わっていない。畳の匂いも、ちゃぶ台の上に置かれたままの湯呑みも、壁にかかった古いカレンダーも、そのまま時間が止まっている。
「帰ってきたよ、おばあちゃん」
思わず声が漏れた。返事があるわけでもないのに、そう言わずにはいられなかった。
ひかりは東京での仕事をしばらく休み、この家の整理をするために戻ってきた。遺品整理も、家の処分の相談も、やらなければならないことは山ほどある。けれど今日はまだ、何もする気になれなかった。
庭に出て、雑草に覆われた地面をぼんやりと眺めていると、ふと目に入ったのは、赤いポストだった。
祖母が昔、郵便局で働いていたこともあり、庭の一角には使われなくなった古いポストが置かれていた。今では錆びつき、誰も見向きもしない飾りのようなものだ。
「……あれ?」
なんとなくポストに近づくと、投函口の中に白い封筒が見えた。ひかりは思わず手を伸ばし、それを取り出す。
手紙は、一見してごく普通のものだった。けれど、宛名を見て、ひかりは息をのんだ。
——「安西カツエ様」
祖母の名前だった。
消印はない。切手も貼られていない。手渡しにしても、それなら玄関に置けばいい。それなのに、わざわざこの古びたポストに入れられていたというのか。
差出人欄には「Y.K」とだけ、筆記体で書かれていた。
気味が悪い、とまでは思わなかった。むしろ、どこか懐かしいような、不思議な胸騒ぎを覚えながら、ひかりはそっと封を切った。
『元気ですか? そちらの暮らしにも慣れましたか。
春になったら、またあの場所で会えるでしょうか。
ずっと、あの赤いポストのことを覚えています。
あなたの返事を、まだ待っていたいのです。
—— Y.K』
たったそれだけの内容だった。けれど、まるで会話の続きのように、自然に書かれている。
「……何これ、おばあちゃん、誰かと手紙のやりとりしてたの?」
祖母は晩年、手紙を書くのが趣味だった。けれど生前に「文通相手がいる」と聞いたことはない。ましてや、こんな形で手紙が届くなんて。
何かの悪戯? それとも——。
手紙の紙質は新しく、最近書かれたものであることは間違いなかった。筆跡も、達筆で丁寧だ。いたずらにしては手が込んでいる。
ひかりは手紙を読み返しながら、ゆっくりとベンチに腰を下ろした。空は少し曇っていて、春先の風が少し冷たい。
ふと、祖母が生前よく言っていた言葉を思い出す。
——「人の気持ちは、言葉にしなきゃ届かない。でも、言葉にしたって、すぐに届くとは限らないんだよ」
それは、昔話のように語られた人生の教訓で、当時のひかりにはピンとこなかった。けれど今は、少しだけその意味がわかる気がした。
その日、ひかりはポストをそっと閉じ、手紙を持ったまま家に戻った。テーブルの上にそれを置くと、不思議な感覚が胸の中に残った。
まるで、祖母がまだどこかで誰かを待っているような——そんな気配が、そこにあった。
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