後悔と、つみと
「クソッ……クソッ! クソがァ!」
あのふざけた
手下の腰抜けどもは全員、化け物に怯えて足抜けしやがった。「これからは真っ当に生きます、探さないでください」だの「団長の弱さにウンザリした、雑魚の下では働きたくない」だの、せめて書き置きじゃなく、真っ向から口頭で言いやがれってんだ。
「今日も元気よの。ヌシの取り柄は、その果てなき
『
腰抜けどもがいなくても、先生さえいれば何とでもなる。
「先生ッ! 俺の頼りはもう、先生だけです! 仇を取ってくだせぇ!」
「……ハ。ヌシの復讐は、ヌシのもの。
「でも……!」
あの化け物は――『影踏み』は、おかしい。異常な能力で、
……そんなのは、ズルい。そんな卑怯な力さえあれば、どんな無理だって、簡単に通せるはずだ。ここにいる、先生のように。
「フン。
なんだかんだ言って、先生は俺たちの……いや、今はもう、俺だけの味方だ。先生こそが、俺の
----
先生に連れられて、街を歩く。以前、先生が奴と決闘をしたと聞く、ナギの街の
「あれ。あんたは『
「なに、
先生に促されて、矢面に立つ。……なんだよ、それ。聞いてねえぞ。
珍妙生物の、どこを見ているかも定かじゃない、とぼけた間抜け面が、俺を認識したらしい。何故か、背筋に寒気が走る。一瞬のことだった。
「ああ、なるほどね。ちょっと認識に
まるで他人事のように、珍妙生物は話す。その舐め腐った態度が気に入らない。
「ハ。
「ふん。なんとでも言いなよ、
先生も、珍妙生物も、俺のことは見てすらいない。
……俺を、軽視するな。
「なあ、あんた。改めて、名前を教えてくれよ。別に、今だって知りたいわけじゃないけど。教えてくれたら、代わりに一つだけ、おれもいいことを教えてあげるよ」
出来損ないの落書きみたいな、得体の知れない不気味な顔が、淡々とこちらを射抜くように見ていやがる。どこまでも薄気味悪い野郎だ。
……だが、何故かその言葉に逆らうことができず、名を名乗ってしまう。
「……『豪腕』のゴン・タックレイ」
「ありがとう。それじゃ、最後の警告だ。『
どこまでも淡々と語る、化け物の挑発の言葉に、体中の血が沸騰するのを感じる。
これだけ舐められて、黙っていられるわけがない。
「舐めるなァッ! この珍妙生物がッ!」
「あんたも大概、可哀想なやつだよね。せめて今回くらいは、ちゃんと手加減して戦ってやるよ。今回ばかりはちょっと同情もしちゃうしね」
珍妙生物の、偉そうな挑発は、一向に止まることはなく。
「だから、あんたは。おれを避け続けなきゃいけなかったって
俺が振り回す大斧を、当然のように紙一重の間合いで
----
みなさん、どうも。ナズナです。ここは悠久のナギの街、『
クラーケの街での大仕事を無事に終えて、さすがに色々あって疲れたから、ちょっと長めの休息を取ろうと、主に見習いが提案したので、しばらく冒険はお休み。
こういう穏やかな日も、たまにはいいもんだよね。
……そう思って、平穏に浸っていたら、
「ナズナァッ!」
バガァン! と音を立てて、乱暴に扉が開かれた。心核が跳ねる。
そういうの、やめてよ。ほんとに。
「わっ!? 何よ、いきなり! びっくりするでしょうが!」
飛び込んできたのは、お馴染み「あっかんべー」のひとだね。
もうこのひと個人を指して「あっかんべー」でもいい気がしてくる。何かある
でも、わたしは嫌いだよ。当たり前だよね。
それで、今日は何の用なの? さっさと伝えて、早く帰ってくんないかなぁ。
「今までのことは謝る! 欲しいんなら、この斧だってくれてやる! ……だから、あいつを止めてくれッ!」
そう言って、豪腕の二つ名の由来でもある『
……え、ちょっと待って。もしかして、求愛されてる? そんなの、困る。ごめんなさい、趣味じゃないの。お友達からも始めません。
……いや、うん。正気に戻ろう。そんな都合のいい話はない。
というか、求愛されてるんだとしたら、とてもじゃないけど受け入れられないし、どちらかというと都合が悪い、まである。「レアアイテムが欲しければ、その身体を差し出せ」だなんて、わたしに対しては最上級の嫌がらせだね。
……つまり、最低の
▶ そう 関係ないね
▷ 殺してでも 奪い取る!
▷ 譲ってほしいな おねがい
心の中に、そんな選択肢が現れたような気がした。
……待ちなさい、ナズナ。正気に戻りなさい。言われてもないことを、勝手に想像するのはよくない。求愛なんて、されてないから。
……えっと、なんだっけ。「あいつを止めてくれ」って言った?
「おい! 聞いてんのか!?」
「もう、うるさいなぁ。ちょっと考え事してて、反応が遅れただけよ。話が見えてこないんだけど、なんの話?」
「とぼけるなッ! あの珍妙生物に俺を襲わせてるのはお前だろ!?」
珍妙生物かぁ。まぁ、トレイシーのことだろうけど、失礼だなぁ。
不服は不服なんだけど、ひとまず、それはよくて。
「……いや、違うよ?」
事実誤認だね。トレイシーの行動は、あくまでもトレイシーの意志によるものだから、わたしたちの意向は絡んでないし。
見習いがどう思ってるかは知らないけど、わたし個人は正直、あんたたちには特に興味ないよ。あんたの持ってる『
「ふざけるなッ! じゃあなんであいつは何度もしつこく俺を殺すんだよ!?」
「なんで、って……」
そんなの、直接本人に聞きなよ。
トレイシーの今までの言動から推測するなら、たぶん本当に「ただ、そうすると決めた」からであって、それ以上でも以下でもないんじゃないかな。
「知らないよ。そんなことより、こんなところにいていいの? トレイシー、帰ってくるかもよ? わたしは別にいいんだけど」
「ナズナ、呼んだ? なんだ、ごんたくれもいるじゃん。やっほー」
言ってたら、帰ってきたね。呼んではないよ。
状況がややこしくなったと考えるか、状況整理の機会が得られたと考えるか、人によって判断の分かれるところだ。わたしとしては、穏便に済むならそれに越したことはないと思う。
だけど、もう。絶対に、そうはならない。
彼らは、既に出会ってしまったから。
「や、やめろッ! もう勘弁してくれ!」
「ん。勘弁するって、どういうこと?」
トレイシーは、わざとらしい態度で首を傾げている。だけど、その懇願の意味については、本当に理解できていないような、そんな感じがする。
「殺さないでほしい、ってことじゃない?」
「ふうん。まあ、今は殺さないよ。ナズナもいるし」
「わたしがいなかったら?」
「当然、殺すさ。殺さない理由がないからね」
当然、か。その姿勢は、およそ人らしいものではなかった。
一度やり通すと決めたことは、することに何ら利益が伴わなくても、ただひたすらにやり通す。どこまでも筋が通っていて――そのせいで、どうしようもなく歪んでいる。
「だよね。仮にだけど、もしわたしがやめてって言ったら、やめてくれる?」
「いいや。それでも、おれを止めるのかい。ナズナ」
いつかのように、あるいはいつものように。トレイシーは、真剣な目でわたしを見定めようとしている。
わたしが正義の味方で、秩序に属する聖人だったなら、『豪腕』に今までにされてきたことは、さっぱりと水に流して、トレイシーの過剰な報復を
だけど、わたしはただの、
だから、少し可哀想だなと思っても、それに対して、してあげられることがなくても。わたしは別に、それで構わないの。ごめんね。
「ううん。聞いてみただけ。……だってさ、豪腕さん。残念だけど、わたしじゃ力になれないや。力にはなれないから、『
ちょっと惜しいけど、対価として差し出されるものを、報いるつもりすらなく受け取る、というわけにはいかない。それは、わたしの意地だから。
「なるほど。そういう話があったんだね。……少しだけ、気が変わった。なあ、ごんたくれ。こんなところにのこのこと、無警戒にやってきた報いだ。今、この場から、無事に帰りたいなら。その『
『
ねぇ、トレイシー。それって強盗じゃない? どう考えても、今はトレイシーの方が悪者なんだけど。
「……わかった。要求を呑む。だから……絶対に、その約束だけは、守ってくれ……」
「はいよ。そんじゃ、これは貰っておくね。しかし、あんたもわからないやつだな。おれが約束を破ったことなんて、これまでに一度だってあったかい?」
返事が聞こえたかもわからないけど、『
意外だ。トレイシーの言う通り、最終的にはどちらにせよ殺される事実には変わりがないのに、それでも大事なものすら犠牲にして、今この瞬間、ただ無事に帰ることを選ぶだなんて。とても、合理的とは思えない。
「はい、ナズナ。これが欲しかったんだろ? ……これを見ても、まだ君にはわからないかもしれない。だけど、現実は本来、こうだ。いつ、どの瞬間に、何の取り返しが付かなくなるかなんて、誰にもわからない。……だから、その大斧を見るたびに、今日のことを思い出してほしい。おれとの約束だ」
『
「ねえ、ナズナ。君は今、破滅に向かったひとりの男の
あの日、『
その雰囲気に完全に呑まれてしまって。……わたしは、何も返事ができなかった。
----
あのおぞましい化け物から逃げて、隠れて、逃げ続けて。
それでも見つかって、殺されて、殺され続けて。
心は既に折れ――頼るものは、どこにもなく。
それでも最後に頼ったのは、忌々しい街の衛兵ども。
今まで隠し通していた、俺自身の罪の証拠をもって自首し、俺は自ら投獄された。
(ここなら、あいつも俺を殺せない)
これからずっと、
……俺はもう、これ以上は死にたくない。
永遠に苦しむなんて、嫌に決まっている。
「ゴン・タックレイ。面会の要求だ」
「……誰が来た?」
「……まぁ、よくわからん生物だ。意思疎通は問題なく出来るらしい。そいつはトレイシー・サークスと名乗っていたが……」
やっぱり、来やがった。だが、流石に看守の監視下で、堂々と俺を殺しはしないだろう。
……出来てたまるか。ここは、ここなら安全だ。
「やあ、ごんたくれ。見つけたよ。今回の隠れ場所は、随分とまた居心地の悪そうなところだねえ」
「……何の用だ、化け物」
「そんなことを、この
何ということもなさそうに、化け物は答えた。
「……だろうなァ! 分かってンよ、そんなことは! この監視下で! 殺せるもんなら、殺してみやがれってんだ! このクソッタレがッ!」
「こら! 落ち着け、ゴン・タックレイ!」
嫌だ、絶対に嫌だ。俺はもう、死にたくない。
守ってくれ、看守。
「なんだよ、いきなり。随分と物騒なことを言うじゃんか。まあ、思ったよりも元気そうだね。何よりだ。今日はただの様子見だったから、特に差し入れとかは持ってきてないんだ。気が利かなくて、ごめんね」
まるで、害意などないとでも言うように、とぼけた態度で化け物は返した。
さも善良ですと言わんばかりの、こいつの間抜けな
「要らねえよ! もう二度と、その
「あらら。随分と嫌われたもんだ。……そうだね、最後に顔を見れて、満足したよ。それじゃ、さようなら、ゴン・タックレイ。ありがとね、看守さん」
そう言い残して、化け物は帰っていく。
あっさりと諦めたらしい。拍子抜けだ。素直に安堵してしまう。
――どこに隠れようときっちり探し出して、擦り切れるまで殺し続けてやるよ――
ふと、あの化け物の言葉が思い出された。
あんなものに関わってしまった後悔と、そいつから逃げ切れた安堵が、やっと終わったことを噛み締めさせたのか。
……そんなわけがないと気付くのに、時間はかからなかった。
「かッ……は……」
突然、背中に鋭い痛みが走った。
この感覚には、嫌というほど覚えがある。……『影踏み』の化け物に、
……どうして、忘れてしまっていたのだろう。『影踏み』の化け物は、衆人環視の中ですら、
もう、逃げ場すらも、どこにもない。抵抗することすら出来ず、ただ殺され続けるしかないのを悟って、俺は果てのない絶望を感じながら、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます