後悔と、つみと

「クソッ……クソッ! クソがァ!」


 あのふざけたみための化け物のせいで、俺の『悪漢兵衛ローグライク』は、事実上解散となってしまった。

 手下の腰抜けどもは全員、化け物に怯えて足抜けしやがった。「これからは真っ当に生きます、探さないでください」だの「団長の弱さにウンザリした、雑魚の下では働きたくない」だの、せめて書き置きじゃなく、真っ向から口頭で言いやがれってんだ。


「今日も元気よの。ヌシの取り柄は、その果てなき敵愾心てきがいしんくらいか」


 『風食かざはみ』先生が、いつかのように気怠けだるげに、俺に声をかけてくれた。

 腰抜けどもがいなくても、先生さえいれば何とでもなる。


「先生ッ! 俺の頼りはもう、先生だけです! 仇を取ってくだせぇ!」

「……ハ。ヌシの復讐は、ヌシのもの。ワシには関係ないことよ。是が非でもしたいというなら、ヌシが意地でやり遂げるがよかろう」

「でも……!」


 あの化け物は――『影踏み』は、おかしい。異常な能力で、法則じょうしきを凌駕している。

 ……そんなのは、ズルい。そんな、どんな無理だって、簡単に通せるはずだ。ここにいる、先生のように。


「フン。最早もはや牙すら抜かれたか。つまらん奴だ。ならば、行くぞ」


 なんだかんだ言って、先生は俺たちの……いや、今はもう、俺だけの味方だ。先生こそが、俺の最後の拠り所ラストリゾートなんだ。


----


 先生に連れられて、街を歩く。以前、先生が奴と決闘をしたと聞く、ナギの街の酒場パブの前に、奴はいた。まるで、来るのを待っていたかのように。


「あれ。あんたは『風食みフェンドヴェイト』じゃん。今日はいったいなんの用かな」

「なに、此度こたびはただの挨拶よ。トレイシー、を探していたのであろう? ヌシらのをしてやろう。先日の詫びとでも思うがよい」


 先生に促されて、矢面に立つ。……なんだよ、それ。聞いてねえぞ。

 珍妙生物の、どこを見ているかも定かじゃない、とぼけた間抜け面が、俺を認識したらしい。何故か、背筋に寒気が走る。一瞬のことだった。


「ああ、なるほどね。ちょっと認識に齟齬そごがあるかな。おれは、別にそいつを探してはいないよ。目に付くようなら、そのたびに殺すってだけさ。まったく。あんたが連れてくるから、じゃんか。ほんと、酷いことするよなあ」


 まるで他人事のように、珍妙生物は話す。その舐め腐った態度が気に入らない。


「ハ。なことを言う。酷いことをするのはヌシであろう。ワシは、機を与えたのみ。あくまでも、ヌシが、ヌシ自身の意志をもって殺すのだ。ヌシの意思で止めることも、出来ぬわけでもあるまいに、それでもなお、他者に責任を転嫁するつもりか?」

「ふん。なんとでも言いなよ、武人バロン。これだから、矜持のない武人やつは嫌いなんだ。力を誇示して、どこまでも自分勝手でさ。見てるだけなら、勝手にしなよ。別に、面白くもなんともないだろうけどさ」


 先生も、珍妙生物も、俺のことは見てすらいない。

 ……俺を、軽視するな。


「なあ、あんた。改めて、名前を教えてくれよ。別に、今だって知りたいわけじゃないけど。教えてくれたら、代わりに一つだけ、おれもいいことを教えてあげるよ」


 出来損ないの落書きみたいな、得体の知れない不気味な顔が、淡々とこちらを射抜くように見ていやがる。どこまでも薄気味悪い野郎だ。

 ……だが、何故かその言葉に逆らうことができず、名を名乗ってしまう。


「……『豪腕』のゴン・タックレイ」

「ありがとう。それじゃ、警告だ。『悪漢兵衛ローグライク』のゴン・タックレイ。この次にあんたを見かけたら。おれは宣言通り、あんたがどこに隠れようとも、きっちり探し出して。あんたの存在イデアが擦り切れるまで殺し続けてやる。……おれは、それが必要にならないことを祈ってるよ」


 どこまでも淡々と語る、化け物の挑発の言葉に、体中の血が沸騰するのを感じる。

 これだけ舐められて、黙っていられるわけがない。


「舐めるなァッ! この珍妙生物がッ!」

「あんたも大概、だよね。せめて今回くらいは、ちゃんと手加減して戦ってやるよ。今回ばかりはちょっと同情もしちゃうしね」


 珍妙生物の、偉そうな挑発は、一向に止まることはなく。


「だから、あんたは。おれをって事実ことに。いい加減、今回で気付いてほしいな」


 俺が振り回す大斧を、当然のように紙一重の間合いでかわし続けながら、珍妙生物は、聞く意味もない戯言ざれごとを、どこまでも繰り返していた。


----


 みなさん、どうも。ナズナです。ここは悠久のナギの街、『浪漫の探求者ロマンチェイサー』の拠点。

 クラーケの街での大仕事を無事に終えて、さすがに色々あって疲れたから、ちょっと長めの休息を取ろうと、主に見習いが提案したので、しばらく冒険はお休み。


 こういう穏やかな日も、たまにはいいもんだよね。

 ……そう思って、平穏に浸っていたら、


「ナズナァッ!」


 バガァン! と音を立てて、乱暴に扉が開かれた。心核が跳ねる。

 そういうの、やめてよ。ほんとに。


「わっ!? 何よ、いきなり! びっくりするでしょうが!」


 飛び込んできたのは、お馴染み「あっかんべー」のひとだね。

 もうこのひと個人を指して「あっかんべー」でもいい気がしてくる。何かあるたびに毎度邪魔をしてくるんだけど、もしかしてこの人、わたしのことが好きなんじゃない?


 でも、わたしは嫌いだよ。当たり前だよね。

 それで、今日は何の用なの? さっさと伝えて、早く帰ってくんないかなぁ。


「今までのことは謝る! 欲しいんなら、この斧だってくれてやる! ……だから、あいつを止めてくれッ!」


 そう言って、豪腕の二つ名の由来でもある『豪腕王斧ハイプレッシャー』をわたしに差し出してきた。


 ……え、ちょっと待って。もしかして、求愛されてる? そんなの、困る。ごめんなさい、趣味じゃないの。お友達からも始めません。関係えん自体を終わらせましょう?


 ……いや、うん。正気に戻ろう。そんな都合のいい話はない。

 というか、求愛されてるんだとしたら、とてもじゃないけど受け入れられないし、どちらかというと都合が悪い、まである。「レアアイテムが欲しければ、その身体を差し出せ」だなんて、わたしに対しては最上級の嫌がらせだね。


 ……つまり、最低の下衆ゲスじゃん。そんなの、許せない!


 ▶ そう 関係ないね

 ▷ 殺してでも 奪い取る!

 ▷ 譲ってほしいな おねがい


 心の中に、そんな選択肢が現れたような気がした。


 ……待ちなさい、ナズナ。正気に戻りなさい。言われてもないことを、勝手に想像するのはよくない。求愛なんて、されてないから。

 ……えっと、なんだっけ。「あいつを止めてくれ」って言った?


「おい! 聞いてんのか!?」

「もう、うるさいなぁ。ちょっと考え事してて、反応が遅れただけよ。話が見えてこないんだけど、なんの話?」

「とぼけるなッ! あの珍妙生物に俺を襲わせてるのはお前だろ!?」


 珍妙生物かぁ。まぁ、トレイシーのことだろうけど、失礼だなぁ。

 不服は不服なんだけど、ひとまず、それはよくて。


「……いや、違うよ?」


 事実誤認だね。トレイシーの行動は、あくまでもトレイシーの意志によるものだから、わたしたちの意向は絡んでないし。


 見習いがどう思ってるかは知らないけど、わたし個人は正直、あんたたちには特に興味ないよ。あんたの持ってる『豪腕王斧ハイプレッシャー』の方は興味あるけどね。


「ふざけるなッ! じゃあなんであいつは何度もしつこく俺を殺すんだよ!?」

「なんで、って……」


 そんなの、直接本人に聞きなよ。

 トレイシーの今までの言動から推測するなら、たぶん本当に「ただ、そうすると決めた」からであって、それ以上でも以下でもないんじゃないかな。


「知らないよ。そんなことより、こんなところにいていいの? トレイシー、帰ってくるかもよ? わたしは別にいいんだけど」

「ナズナ、呼んだ? なんだ、もいるじゃん。やっほー」


 言ってたら、帰ってきたね。呼んではないよ。

 状況がややこしくなったと考えるか、状況整理の機会が得られたと考えるか、人によって判断の分かれるところだ。わたしとしては、穏便に済むならそれに越したことはないと思う。


 だけど、もう。絶対に、そうはならない。

 彼らは、既に出会ってしまったから。


「や、やめろッ! もう勘弁してくれ!」

「ん。勘弁するって、どういうこと?」


 トレイシーは、わざとらしい態度で首を傾げている。だけど、その懇願の意味については、ような、そんな感じがする。


「殺さないでほしい、ってことじゃない?」

「ふうん。まあ、今は殺さないよ。ナズナもいるし」

「わたしがいなかったら?」

「当然、殺すさ。からね」


 当然、か。その姿勢は、およそ人らしいものではなかった。


 一度やり通すと決めたことは、することに何ら利益が伴わなくても、ただひたすらにやり通す。どこまでも筋が通っていて――そのせいで、どうしようもなく歪んでいる。


「だよね。仮にだけど、もしわたしがやめてって言ったら、やめてくれる?」

「いいや。それでも、おれを止めるのかい。ナズナ」


 いつかのように、あるいはいつものように。トレイシーは、真剣な目でわたしを見定めようとしている。


 わたしが正義の味方で、秩序に属する聖人だったなら、『豪腕』に今までにされてきたことは、さっぱりと水に流して、トレイシーの過剰な報復をいさめ、この凶行を止めたのかもしれない。きっと、そうするべきだったのだろう。


 だけど、わたしはただの、浪漫の探求者ロマンチェイサー。決して、救世の勇者ヒロインなんかじゃない。


 だから、少し可哀想だなと思っても、それに対して、してあげられることがなくても。わたしは別に、の。ごめんね。


「ううん。聞いてみただけ。……だってさ、豪腕さん。残念だけど、わたしじゃ力になれないや。力にはなれないから、『豪腕王斧ハイプレッシャー』も別にくれなくていいよ」


 ちょっと惜しいけど、対価として差し出されるものを、報いるつもりすらなく受け取る、というわけにはいかない。それは、わたしの意地だから。


「なるほど。そういう話があったんだね。……少しだけ、気が変わった。なあ、ごんたくれ。こんなところにのこのこと、無警戒にやってきた報いだ。今、この場から、無事に帰りたいなら。その『豪腕王斧ハイプレッシャー』を置いていきな。そしたらおまけで、よ。もちろん、最終的にはまた殺すから、結果はあんまり変わらない。意地を通して、それを渡さずに殺されるか、いくらかの猶予のために、その誇りを捨てるか。どっちでもいいよ。好きに選びな」


 『探索者の短剣ダウザー』を向けながら、トレイシーは言った。

 ねぇ、トレイシー。それって強盗じゃない? どう考えても、今はトレイシーの方が悪者なんだけど。


「……わかった。要求を呑む。だから……絶対に、その約束だけは、守ってくれ……」

「はいよ。そんじゃ、これは貰っておくね。しかし、あんたもわからないやつだな。おれが約束を破ったことなんて、これまでに一度だってあったかい?」


 返事が聞こえたかもわからないけど、『豪腕王斧ハイプレッシャー』を置いて、彼は帰っていった。


 意外だ。トレイシーの言う通り、最終的には事実には変わりがないのに、それでも大事なものすら犠牲にして、今この瞬間、ただ無事に帰ることを選ぶだなんて。とても、合理的とは思えない。


「はい、ナズナ。これが欲しかったんだろ? ……これを見ても、まだ君にはわからないかもしれない。だけど、現実は本来、だ。いつ、どの瞬間に、何の取り返しが付かなくなるかなんて、誰にもわからない。……だから、その大斧を見るたびに、今日のことを思い出してほしい。おれとの約束だ」


 『豪腕王斧ハイプレッシャー』をこちらに渡して、トレイシーは去っていくゴン・タックレイの方を向いてしまった。その表情は、うかがい知れない。


「ねえ、ナズナ。君は今、破滅に向かったひとりの男の末路つみを。その一端を、見た。……そのきっかけには、必ずしもとがが伴う、なんて――決して、よ」


 あの日、『休憩地点セーブポイント』で聞いたのと同じ、真剣な声で、トレイシーは言った。

 その雰囲気に完全に呑まれてしまって。……わたしは、何も返事ができなかった。


----


 あのおぞましい化け物から逃げて、隠れて、逃げ続けて。

 それでも見つかって、殺されて、殺され続けて。

 心は既に折れ――頼るものは、どこにもなく。


 それでも最後に頼ったのは、忌々しい街の衛兵ども。

 今まで隠し通していた、俺自身の罪の証拠をもって自首し、俺は自ら投獄された。


(ここなら、あいつも俺を殺せない)


 これからずっと、みじめに身を縮こまらせることになろうとも。

 ……俺はもう、これ以上は死にたくない。


 なんて、嫌に決まっている。


「ゴン・タックレイ。面会の要求だ」

「……誰が来た?」

「……まぁ、よくわからん生物だ。意思疎通は問題なく出来るらしい。そいつはトレイシー・サークスと名乗っていたが……」


 やっぱり、来やがった。だが、流石に看守の監視下で、堂々と俺を殺しはしないだろう。

 ……出来てたまるか。ここは、ここなら安全だ。


「やあ、ごんたくれ。見つけたよ。今回の隠れ場所は、随分とまた居心地の悪そうなところだねえ」

「……何の用だ、化け物」

「そんなことを、このに及んでまだ聞くのかい。もちろん、に決まってるじゃないか」


 何ということもなさそうに、化け物は答えた。


「……だろうなァ! 分かってンよ、そんなことは! この監視下で! 殺せるもんなら、殺してみやがれってんだ! このクソッタレがッ!」

「こら! 落ち着け、ゴン・タックレイ!」


 嫌だ、絶対に嫌だ。俺はもう、死にたくない。

 守ってくれ、看守。


「なんだよ、いきなり。随分と物騒なことを言うじゃんか。まあ、思ったよりも元気そうだね。何よりだ。今日はただの様子見だったから、特に差し入れとかは持ってきてないんだ。気が利かなくて、ごめんね」


 まるで、害意などないとでも言うように、とぼけた態度で化け物は返した。

 さも善良ですと言わんばかりの、こいつの間抜けなつらの下に、異常な執念が潜んでいるのは、わかっている。


「要らねえよ! もう二度と、そのツラ見せるんじゃねえぞッ!」

「あらら。随分と嫌われたもんだ。……そうだね、最後に顔を見れて、満足したよ。それじゃ、、ゴン・タックレイ。ありがとね、看守さん」


 そう言い残して、化け物は帰っていく。

 あっさりと諦めたらしい。拍子抜けだ。素直に安堵してしまう。


 ――どこに隠れようときっちり探し出して、擦り切れるまで殺し続けてやるよ――


 ふと、あの化け物の言葉が思い出された。

 あんなものに関わってしまった後悔と、そいつから逃げ切れた安堵が、やっと終わったことを噛み締めさせたのか。


 ……と気付くのに、時間はかからなかった。


「かッ……は……」


 突然、背中に鋭い痛みが走った。

 この感覚には、嫌というほど覚えがある。……『影踏み』の化け物に、うしろを踏まれた時の、死に至る傷の痛み。体温が失われていくのを感じながら、自分の胸のあたりを確認すると、心核を貫く、虚ろの黒い刃が飛び出していた。もう、何度見たかもわからない、あの黒い刃が。


 ……どうして、忘れてしまっていたのだろう。『影踏み』の化け物は、衆人環視の中ですら、容易たやすく俺の仲間を殺したじゃないか。

 最期さいごの力を振り絞って、後ろを振り返る。そこには……何もなかった。なんの痕跡もなく、俺を貫いた黒い刃すら、既に幻のように虚ろにけて――


 もう、逃げ場すらも、どこにもない。抵抗することすら出来ず、ただ殺され続けるしかないのを悟って、俺は果てのない絶望を感じながら、くらい死の闇に落ちていった。

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