ぜんぶ、僕の計算通り

第1話

この世の終わりを迎えたような、一日の始まりだった。

「先輩、浮気されてますよ」

 後輩くんが見せてくれたスマホの動画。

 あっくんと入社したばかりの営業事務が、いちゃいちゃしている。

 細くて白い指先がスーツの背中にまわる。くすくす笑いながら見つめ合う。唇を重ねたところで、動画から目をそらした。

 限界だ。見れたもんじゃない。

 すぐに、あっくんにたずねた。言い訳をするのかと思ったら、とびだしたのは「別れよう」の一言だけ。

 映画を観て、ごはんを食べて、同じ時間を過ごした。ケンカひとつしたことがない。

 なのに、こんなことってある?

 あなたにとっては、それだけなのかもしれない。でも、彼氏と彼女だよ。同僚や友達じゃない。私たち好きで付き合っていたんじゃないの?

 はじまりは、ひとめぼれだった。

 振り向いてもらうために、たくさんアピールをした。

 料理の腕をみがき、おしゃれやメイクの勉強に励んだ。続かないダイエットも、恋のためなら頑張れた。

 告白してOKをもらえたときは嬉しかった。はじめてのデート、手を繋いだこと、今でもしっかりおぼえてる。

 なのに、ぜんぶなしになった。

 足元がふわふわする。ずっと夢の中にいるようだ。実は浮気はウソで、あっくんは今まで通り笑ってくれる。そんな気がする。

 心の傷をごまかしながらスマホをみる。ラインのアカウント、ブロックされてる。はは、笑えないのに笑える。

 心と体がつながらない。ばらばらになりそうだ。

 こういう日は肉を焼くに限る。

 カルビ、ハラミ、タン。白米は大盛で、キンキンに冷えたビールも忘れずに。

 一通り注文を済ませると、隣に座る後輩くんにメニューを渡す。後輩くんは私が心配らしい。一人で帰宅させたら、よからぬ行動を起こしそうだと言われた。

 ご心配なく。悲劇のヒロイン気質は持ち合わせていない。だからといってポジティブでもない。

 ほどほどにメンタルが弱っているから、肉を焼くんだ。

 脂の溶ける音、肉が焦げる香り。

 口の中でカルビがとろける。美味しいは味方だ。沈んだ心を軽くしてくれる。

 後輩くんは注文した肉に手を出さず、網の上を見つめている。

「食べないの?」

「臭いがつきそうだなと思って」

「いまさら。わざと制服に臭いをつけてるの。明日は臭いまま出社して、浮気女と一緒にいるあいつに言うの。一緒に行った焼き肉屋、覚えてる? って。少しは当てつけになるでしょ」

「いや、ならないですよ。臭いをつけたまま出社すれば、品のない女性だと思われるから、止めたほうがいいですよ」

 品は最初からない。努力してもムダだった。だからかわいい営業事務に浮気されたんだ。

 私はビールを一気飲みすると、後輩くんをにらむ。

「そもそも、あなたが動画を撮らなきゃよかったの。なにも知らなければ、私は仲良く付き合えた。営業事務の子とは遊びで、結婚できたかもしれない」

「営業事務の子が本命になってフラれるかもしれませんよ。浮気されたまま結婚するリスクもありますしね。バレてよかったんですよ」

「他人事だからそう言えるんだよ」

「うーん。そうでもないんですけどね」

 浮気されても結婚ができる。死ぬまで浮気に気づかなければ、素敵な結婚生活をおくれるのかもしれない。なんて。

 考えると頭が重くなる。私だけが好きみたいだ。

「先輩って、来週ペアリングを買う予定がありましたよね。先輩の実家へ初めて遊びに行く予定もあった。だから、このタイミングで浮気が発覚してよかったんです。失恋の傷が深くなるところでしたよ」

 確かにそうだ。結婚を意識してから浮気が発覚したら、今以上に心が荒れるに違いない。

「先輩は彼氏の様子がおかしいと思わなかったんですか? 残業ばかり、終電逃してネカフェに泊まる、会えない時間が増えたら、普通は疑いますよね?」

「友達にも言われた。私って、気づかないんだよね。だから浮気されるんだろうけど」

 話しながら違和感がふくらむ。

 後輩くんは事情を知りすぎている。まさかあっくんと通じているのか。

「なんでそんなに詳しいの? あいつから聞いたとか?」

「部署が違うからありえませんよ」

「ならどうして」

「知りたいですか?」

 後輩くんの声が小さくなり、手招きされる。

 まわりに聞かれるとマズイ内容なのか。緊張しながら後輩くんに近づくと、キスをされた。

 えっ。今、なにが起こったの?

 後輩くんは真顔のまま、肉を焼き始める。

「はあ、お腹すいた。ようやく食べられます。初めてのキスが肉の味だと困りますからね。あっ、先輩の唇はどんな味でも最高ですよ。僕の問題っていうか」

「い、いや、そうじゃなくて。いま、なに……」

「動揺しすぎでしょ。先輩は鈍いから、こうでもしないと僕の気持ちは伝わらないと思って。まあ、行動が読みやすくて情報収集は簡単でした。そこは助かりました」

 後輩くんは手際よく肉を取り分け、ほほ笑んだ。

「ほら、よく焼けてますよ。一緒に食べましょう。浮気されても大丈夫です。僕がいますから」

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