第51話 再生(完)

 退屈な夜会を途中で抜けて、馬車が来るのも待たず、私は寮に向かって歩いていた。

 アルヴェスト王国の王子として顔を出さないわけにはいかないとわかっていても、香水と酒の匂いに苦しくなり、悪酔いしてしまいそうだ。

 王侯貴族の夜会は、どこも代り映えしない。

 アルヴェストには匹敵しないが、フォーシュリンドでも数多く出席して、同じ感想を抱いた。


 学校の正門を通り、中庭を抜けていくと、噴水の傍に人影が見えた。

 遠目でも私には誰であるのかすぐにわかる。

 明かりに照らされて輝く金の髪。風にさらさらと揺れる前髪。私はあの手触りを知っている。

 8頭身はあろうかというスタイルの良さも、端正な横顔の美しさも、本人は自覚していない。

 学院の制服に着られている感はないにしても、ウェストの辺りにはまだ余裕があり、細身のシルエットにそそられる。

 あの腰を抱き寄せてキスをしたいと、私は足を速めた。


「おかえりなさい」


 私に気付くと、パッと花が開いたように明るい笑みを見せた。

 この優しく美しい笑みを自分に向けたいと願う者は、どれほどいるのだろう。

 少なくとも、ファルコ・クラッセの面々は全員、そう思っているはずだ。


「ただいま」


 私の言葉に、クリスティアンははにかんだ。

 ここでキスをしてしまうのは容易いが、できればゆっくり部屋で愉しみたい。

 私は、クリスティアンの手を取って、指を組み合わせた。

 そのまま軽く引いて歩き出したところで、噴水の向こうにいたイェレミーに目が留まった。

 だが、一人ではない。しかも、相手は──。


「あ、イェ……っぶ」


 呼びかけたクリスティアンの口を、私は手で塞ぐ。

 イェレミーは、こちらに気付くことなく相手の首筋に腕を絡め、顔の角度を変えた。

 濃厚なキスを仕掛けている相手は、ほんの数瞬躊躇った後に、イェレミーの背中を抱いた。


 親愛のキスとは違う。

 それは、クリスティアンにもわかったらしい。


 ファルコ・クラッセの担任と生徒の、往来での激しいキス。

 公になれば、大問題となる。

 イェレミーがこんな愚かな真似をするとは思わなかったが、人のことは言えない。


「見なかったことにする」

「……はい、僕もそうします」


 人の色恋には、下手に関わらないに限る。

 最近では、アインハルトとベアトリスも二人でいることが多くなっている。

 もともと婚約している二人だ。私がクリスティアンと恋人になったように、誰にも先のことはわからない。


 ──「悪かった。お前の立場を理解できていなかった」


 私が帰ってきた時に、アインハルトはそう謝った。

 まだ15歳という若さだ。彼もこれから変わっていく。

 いつか、両国の未来について話す日も来る。

 彼が次代の王になれば、我が兄と対峙することになるのだろう。

 一筋縄ではいかない相手に苦労しそうだが、アインハルトならきっとやり遂げる。

 私はその一助になれるよう、研鑽を積むだけだ。


 ジラソーレ寮の入り口に着くと、クリスティアンはそっと手を放した。

 そして、私の顔を見上げて、他人行儀な挨拶をする。


「おやすみなさい、デュークさん」


 二人でいるとき以外は敬称を付け、後輩である立場を貫こうとする。

 気にしなくていいと何度も言ったが、人前だと抵抗があるらしい。

 私は、部屋に帰って行こうとするクリスティアンの腕を再び取って、自分へと引き寄せた。


「来ないのか?」

「……もう、遅い時間なので」


 確かに遅い時間だ。

 寮に消灯時間はないが、大体の寮生は眠りにつく頃合いだ。

 私は、クリスティアンの頬に触れ、輪郭をなぞった。


「遅い時間だから、来るのではないのか?」


 途端に顔を赤くし、俯いた。

 恋人関係になった後も、クリスティアンは恥じらいを見せる。

 私に抱かれることがそんなに恥ずかしいのか。


 答えないクリスティアンの手を引くと、抗うことなく歩き出した。

 私は、階段を上がって、三階にある自室へ連れて行く。


 部屋に入ってドアを閉め、私はクリスティアンの腰に腕を回す。

 抱き寄せて顔を近付けると、気配に気付いたのか、顔を上げて私を見る。

 間近からその瞳を見返すと、緑の瞳が揺れる。

 美しい瞳だ。夏の草原のような優しい色合いに、目と心を奪われる。

 クリスティアンの方でも私の目に見入り、恍惚とした表情を浮かべている。

 

 私がじっと動かずにいると、胸元に手を置いて、彼我の距離を詰める。

 目を伏せて顔を傾け、自ら私にキスをしてきた。

 小さな唇が唇に重なり、押し当てられる。だが、それだけだ。

 遠慮しているのか。まさかまだ、キスの仕方がわからないわけではないはずだ。

 腰を抱く手に力を込めて引き寄せ、私はキスを深くする。


「んん……ん……っふ……ぁ」


 びくりと身体を震わせ、私の舌を受け入れた。

 口腔内を舌で弄ると、吐息が鼻に抜け、甘い声が耳朶をくすぐる。

 初めてキスを交わした時よりも、ずっと快感を得るようになっている。

 蕩けるような顔をし、やがてキスに応え始めた。

 私の胸元に縋り、舌に舌を絡め、時に押し当ててくる。

 甘美なキスは私を滾らせ、息を乱していく。

 キスを解く頃には、クリスティアンは一人では立っていられなくなっていて、私はその背中を抱きながらベッドへ連れて行った。


 制服のネクタイを解き、ボタンを外して前をはだける。

 制服は少し硬い素材の布地のため、脱がすのに一苦労だ。

 その間、クリスティアンはうっとりとした表情で私を見上げ、赤い唇を戦慄かせる。


 早く全裸にして、その滑らかな肌にもキスをしたい。

 身体中に触って、淫らに乱れる様を堪能したい。


 逸る気持ちを抑えながら、ズボンと下着も脱がせていく。

 だんだんと露わになる美しい姿態に胸を焦がし、中に入って一つになる瞬間を思い描く。


「デューク……」


 どこか夢心地に私の名前を呼ぶクリスティアンに目をやると、私の手に手を重ねてきた。

 快感に蕩け切った顔をして名前を呼び、私にキスを強請ってくる。

 苦しい息の中、唇を重ね、抱き締め合う。

 ひとつになる悦びに浸り、私たちはそのまましばらく離れなかった。



 幸せな一時に身を委ねていると、胸元に頭を寄せてクリスティアンは言った。


「進級する前に、もう一度アルヴェストに行って、今度こそ王に会いたいです」

「会ったら幻滅するかもしれない」


 父は今、女性と二人でつつましく暮らしているらしい。

 相手は、父より年上だという話だ。

 先日、国に帰った時に、兄たちから状況を説明された。


「樹の育て方を教わっているうちに、そうなったらしい」

「まあ、好きにしてくれて構わないさ」


 双子の兄は話し合いの末、干渉するのをやめたらしい。

 会って行くかと問われたが、父が幸せならそれでいいと断った。


 一時期は理解できなかったが、今ならわかる。

 愛する人を失うつらさ。

 父が、二人の女性の死に、どれほど哀惜の念を抱いたか。

 それを想像できるようになって、父に対する考えが変わったのかもしれない。


「お前は私にとって、すべての終わりであり、始まりでもあった」


 手を握り、肩口にキスを落とすと、クリスティアンは私に言った。


「僕の人生も、一度は終わり、再生しました」


 私だけではなかったのかと、意外に思ったところで、クリスティアンはこれまで見たこともないほど透明な瞳で告げた。


「きっと、あなたに会うために、僕はこの世界に生まれたのです」と。



-END-

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乙女ゲームの女主人公の兄なので、ちょっと僕を狙わないでもらえますか? 佑々木(うさぎ) @usagikaku

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