第47話 アッシュベルト領
王都から西へ馬車で8時間ほど行った先に、アッシュベルト領はある。
風魔法で飛べばもっと時間が短縮できたんだろうけれど、そんなに長く飛ぶ自信はない。しかも、セレスと荷物まで一緒に飛ぶことは、たとえ1時間でも無理だ。
「やっぱり遠いね」
馬車の窓を開けて、セレスは白い息を吐く。
だんだん街並みが変わり、高い建物がなくなって、林の中をひた走る。
風景が変わらなくなると、退屈を感じるのも頷ける。
「せっかくだから、勉強でもしよっか」
セレスはそう言って、一度はノートを広げたのだが、馬車酔いをしそうになって止めた。
「セレスは、本当に退屈が嫌いなんだね」
そういえば、入学式でもこんな風に怠そうにしていたなと思い出して言うと、セレスはきょとんとした顔になる。
「当たり前じゃない。楽しくない時間なんて勿体ない。時間は有限なの」
そう言って、また窓の外へ顔を突き出した。
バイタリティに溢れる妹に感心し、僕も窓の外を見た。
すると、遠くに高い塔が見えてくる。
よく見ると風車が回っていた。
途端に、ざっと頭の中に記憶が流れ込んでくる。
あの風車の周りを駈けて遊んでいた頃のこと。
強風にあおられて飛んで行ったセレスの帽子、追いかけて転んだ自分。
心配して走り寄ってきた母。そして、拾い上げて高く帽子を掲げた父。
そこから、風景の何もかもが色付き、懐かしさに溢れて胸に迫る。
ここで、僕は生まれた。
確かに僕には、その記憶がある。
アッシュベルト領の城は、王城とは比べものにならないほどに小さいが、城壁は立派だった。大きな門の前には両親の姿があり、僕たちに向かって手を振っている。
「停めて!」
御者に言って馬車を停めてもらい、セレスは走り出した。
僕も馬車を降りて、セレスの後を追う。
「おかあさーん!」
母の方でも、セレスに向かって走ってくる。
僕はその姿に、胸が熱くなった。
アップにまとめた金の髪、明るい緑の瞳。
その額の形まで、セレスにそっくりだ。
「まったく、父さんのことは呼んでくれないのか」
赤い髪をくしゃりと掻き、茶色い目を眇める父。
セレスは笑って、父の方に抱き着いた。
「ただいま、お父さん」
頭を撫でて笑う父に、母が寄り添う。
僕は、間違いなくこの家族の一員だ。
よそよそしさは、まるで感じない。
これは、クリスティアンの記憶ではなく、僕自身の体感だ。
僕はやっぱり転移ではなく、この世界に転生してきていた。
僕は本当に、この両親の子どもとして生を受けた。
それがわかった途端に、ふつふつと愛情が湧き上がった。
「おかえりなさい、クリス」
「おお、お前もいたのか」
「もう、お父さんったら」
僕は、そんな三人を見ていて、胸がいっぱいになった。
「まずは、ごはんにしましょう」
城の中に入ると、更に記憶は確かなものとなった。
僕のよく知る執事や侍女、乳母にも再会した。
食卓を囲みながら、セレスは学院のことを話し続け、僕は相槌を打ちながら食べ続ける。
「あなたたちは、変わらないわね」
「そんなことはない。大人の顔つきになってきている。なあ、クリス」
自分の変化はわからないが、セレスが変わってきたのは僕にも感じられた。
片田舎から出た、好奇心旺盛な少女から、心優しい一人の女性へと変わりつつある。
食事を終えるとお風呂に入り、僕は早めに休んだ。
走馬灯のように記憶が頭の中を駆け巡って、今はそれに浸りたかった。
クリスティアンとしての人生が、ようやくすべて僕に繋がった。
僕はその感覚に喜びを感じて、身体から力を抜いた。
アッシュベルト領には五日間の滞在予定で、次の朝からはセレスと訓練を始めた。
今までセレスには土属性の力は発現していなかったが、段々と力を感じるようになってきたという。
「試合をしていたら、いつの間にか使えるようになっているかも」
「それはどうだろうね」
僕とイェレミーの試合の件もあるから、一概に否定はできない。
可能性は無きにしも非ず。
ただ、その力を引き出せるだけの相手に、僕がなれるかどうかが問題だ。
僕とセレスは、順番に遮蔽をかけて摸擬戦を行い、互いの力量を測った。
やっぱり、漠然と見ているだけではわからないことが、こうして対峙するとはっきりする。
セレスの中で一番強いのは、水属性の力のようだ。
4属性を持ち合わせていても、強弱は現れる。
そして、僕にとっても水が一番使いやすく、慣れているように感じられた。
それは、僕の目標が明確だからかもしれない。
憧れの形がそこにある。
焦がれて、目指してきた人。
僕は、目を閉じて感傷を散じて、目の前の訓練に集中した。
午前中は実技を、午後からは座学に勤しむ。
休み明けには発表の順番が回ってくるということもあり、セレスは図書室で借りた本と格闘していた。
「すごいよね、クリスは。ちゃんと発表できていたもの」
そう言って、机に突っ伏して、セレスは溜息を吐く。
「私も、氷魔法の攻撃について何か新しい提案ができるといいんだけどな」
既にかなり研究しつくされている属性であり、新しい視点を見つけるのでさえ大変だろう。
「まずは、先行研究をしっかり読み込まないとね」
「それはそう。はー、頑張るしかないかあ」
帰省しても、やることは変わらない。
それが、僕たちらしくはある。
両親は、特に口を出さずに好きなようにさせてくれた。
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