第46話 知らない過去
誰もが、イェレミーに向けて駆け出したその時だ。
誰よりも先にイェレミーを受け止めたのは、オーベリン先生だった。
一番遠くにいたはずで、僕は目で追えなかった。
先生は座学が主で、治癒魔法と遮蔽しか僕たちの前で使っていなかった。
それなのに、瞬時にイェレミーの下に現れた。
先生に瞬間移動が使えるなんて、僕は知らなかった。
その力が使えるのは、光か闇の属性だけだ。
まさか先生に、そんな属性があったなんて。
「大丈夫だ。傷は浅い。衝撃で気を失っただけだ」
先生の手が光り、イェレミーの傷がみるみるうちに癒えていく。
通常の治癒魔法は、術者の属性に合わせて使われる。
その方が、治りが早いからだ。
一方、先生が今使ったのは、光属性の力だ。
治癒に最適だと言われるだけあって、効果覿面だ。
僕の傷もすぐに治り、痛みはどこにも感じない。
それほど強力な治癒魔法だというのに、イェレミーはまだ目を開けない。
「私が医務室に運ぶ。君たちは、寮に帰っていろ」
先生は、イェレミーを腕に抱いて立ち上がった。
「僕にも付き添わせてください」
「クリスティアン」
歩き出した先生に背後から言うと、諭すように名前を呼ばれた。
「お願いします」
僕が頭を下げると、仕方がないとでも言いたげに一つ溜息を吐く。
だから、僕は更にお願いした。
「目が覚めるまで、部屋の外で待たせてもらえればいいんです」
「わかった。ついて来い」
僕は、先生と共に医療科に行き、医務室の前の待合室のベンチに座った。
オーベリン先生は、一人だけで治療に当たるつもりのようだ。
もしかしたら、落下時に頭を打ったのか。
目に見えない傷を負っているのかもしれないと、僕は指を組み合わせて握り込む。
何も知らないのに、酷いことを言ってしまった。
ついムキになったのは、僕自身に引っかかりがあったからだ。
どこかで、不安になっていた。
その想いが、こんな形で露呈するなんて。
イェレミーのせいじゃない。
僕の八つ当たりだ。
目を覚ましたら、ちゃんと謝罪したい。
今はただ、傷が癒えることだけを願う。
やがて、扉が開いて、オーベリン先生が現れた。
そして、座っている僕に苦笑する。
「大丈夫だ。ぴんぴんしている。どうやら寝不足もあって、熟睡していただけらしい」
僕はホッとして、力が抜けた。
「会っていくか?」
「いいのでしょうか」
病み上がりなら、刺激を与えない方がいいのではないか。
だが、先生は僕を医務室に招き入れた。
「待ってくれていたのかい? クリスティアン君」
「ごめんなさい。僕は──」
すると、くすりと笑って、手を振って遮った。
「謝罪は要らない。君が口に出すと、僕も謝らなくちゃいけなくなる。それに、いい技を見せてもらったしね。好機だったよ」
いい技というのは、さっきの魔法だろう。
咄嗟のことだったとはいえ、危ない技を使ってしまった。
人に向けて放っていいものじゃない。
だが、イェレミーはどこか楽しそうにしている。
「今度、また見せて。僕も覚えたい」
「再現できるかどうか、わからないです」
火事場の何とかというやつで、またやれと言われてもできないかもしれない。
「それはまた、命知らずの手に出たんだね」
そうでもしなければ、防げないと思ったからだ。
そのくらい、イェレミーは本気で攻撃していた。
「そこに座って」
イェレミーは、近くにあった椅子を指し示した。
僕が言われた通りに座ると、額に手をやった。
そして、こちらを向かないまま、静かに語り出す。
「僕には、姉がいた。いくつ年が離れていたかは知らないけどね。ある時、祭りで出会った人間に恋をしたんだ。エルフのくせにのぼせ上がって、結婚までした」
いつものイェレミーらしくない、きつい口調だ。
僕は、相槌も打たずに、黙って耳を傾けた。
「人間をエルフの森に住まわせるわけにはいかず、結局自ら出ていった。挙句、子を宿して捨てられて、人間の村からも追い出された。エルフの森にも戻れないまま、今も行方は知れない。どうせもう、伴侶だった人間も、原因となった子さえも、寿命が尽きてこの世にいないはずだ。──馬鹿な女だ」
イェレミーがエルフの末裔だとは聞いていたけれど、僕の想像以上に長く生きていることが感じられた。ヴァイオレットの瞳を眇め、一点を見つめたまま続けて言う。
「愛は、人を愚かにする。僕は絶対に人を愛さないと決めたんだ。けれど」
そして、顔をこちらに向けて、寂しそうな笑みを浮かべた。
「君には関係のないことだった。ごめん」
謝罪はしないと言っていたのに、イェレミーは僕に謝ってきた。
僕は、じっとイェレミーを見つめ、自分の考えを口にした。
「あなたにだって、関係のないことです」
何を言われたのかと視線で問うイェレミーに、僕は告げた。
「イェレミーさん自身は、誰かを愛して、裏切られたことがあるんですか?」
お姉さんのことには同情する。
でもそれは、お姉さんの人生で、イェレミーが人を愛さない理由にはならない。
僕の言葉の意図がわかったのか、イェレミーは眉を上げる。
「言うねえ」
そして、僕の方へと身を乗り出して、いつもの食えない顔つきになる。
「なら、君が僕に、愛を教えるかい? クリスティアン君」
どう見ても、面白がっているようにしか感じられず、僕は口端を上げてから答えた。
「あいにく僕には、もう心から愛する人がいるんです」
もしかしたら、ゲームの世界では、その相手がセレスティーヌだったのかもしれない。
イェレミーが恋に落ち、初めての愛を知る相手。
僕の姉が推していたイェレミーだ。
他にも語られない過去があるのかもしれない。
イェレミーは僕の瞳を覗き込み、突然笑みを消した。
「キスしてもいい?」
「ダメに決まっています」
「ちょっと唇を合わせるだけ」
その気もないくせに何を言い出すのかと、僕は内心呆れながら言った。
「そういうことは、本当に好きな人としてください」
すると、目を瞬いて、本気で感心したように驚き顔になる。
そして、くすりと鼻先で笑った。
「君には、敵わないね」
僕にしてみれば、イェレミーの方が明らかに上手なんだけれど。
そうしているうちに、オーベリン先生が部屋に戻り、僕は入れ替わりで医務室を出た。
結局、僕とイェレミーの件は大ごとになった。
修練場でのことは噂になってしまい、僕のナーディア祭へのエントリーは取り消された。停学まではいかなかったのだから、まだいい。
だが、僕は一つ張り合いを失ってしまった。
「一回、家に帰ろうと思う」
たまたま僕の部屋に遊びに来ていたセレスに、僕は言った。
できれば、僕も両親に会ってみたい。
このところ、そう思うようになっていたからだ。
覚悟が決まった、という方が感覚として近いかもしれない。
「えー! それなら、私も帰りたい!」
まさかそんな反応をされるとは思わず、僕は尋ね返す。
「訓練はいいのか?」
「クリスとすればいいじゃない」
あっさりと答えられて、僕はなるほどと思った。
たしかに二人で帰省すれば、訓練だってできる。
「じゃあ、帰ろうか」
僕とセレスは、オーベリン先生の許可を得に行った。
先生は、特に止めることもなく、あっさりと申請書を受理した。
そして、僕たちは故郷であるアッシュベルト領へ、一度帰ることにした。
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