第30話 渦潮の目

 城の3階が男子用、4階を女子用の浴場にすると聞き、僕は海から戻るとお風呂場に向かった。中には既にアインハルトやデュークの姿があり、二人とも髪を洗っているところだった。

 僕は、デュークの隣のシャワーブースに立ち、海水でべとついている身体や髪を洗った。なかなかシャンプーが泡立たなくて、何度も洗い流す羽目になる。城に入る前に払ったはずの砂もたくさん出てきて、足元がざらついてしまう。僕が一生懸命砂を洗い流していると、湯船の方から笑い声がした。


 そこには、気持ちよさそうにお風呂に浸かるイェレミーの姿がある。


「いいんだよ、そんなに気にしなくても」


 この城の主のようなことを言って俯せになり、足をバタつかせる。

 水飛沫が上がったが、湯船が広いため、アインハルトやデュークにかかることはない。

 まるで温泉だなと思いながら、僕はシャワーのお湯を止めて、イェレミーの隣に入った。

 寮の違うイェレミーとは、一緒にお風呂に入ったことはない。

 思ったより細身の体のラインが見えたが、あまりじろじろ見るのも失礼だろうと目を逸らす。


「クリスティアン君は、着やせするタイプみたいだね」


 突然そう言われて向き直ると、イェレミーが僕の身体をまじまじと見ていた。


「ひゃっ!」

「こことか、ちゃんと筋肉がついている」


 突然腹筋を撫でられて、変な声が出てしまった。


「何を騒いでいるんだ」


 アインハルトがそう言うと、イェレミーが人の悪い笑みを浮かべる。


「羨ましいかい?」

「触りたくなったら遠慮なく触る」


 二人で何を言っているのかと、僕は裸でいることに気まずさを感じてしまう。これでは、なかなか湯船から出られそうにない。だが、長風呂をしたら上せてしまいそうだ。

 思い切って立ち上がり、意識していないふりをして脱衣所に向かう。


「うわっ」


 焦っていたせいか滑って転びそうになり、僕は慌てて差し伸べられた手に掴まった。


「ごめん、なさい」

「いや、平気ならいい」


 後ろにいたのはデュークで、僕は支えられて倒れそうになった身を起こす。

 余計恥ずかしくなって、僕は顔を上げられないまま着替えを済ませた。


 お風呂に入ったあとは、みんなで揃ってディナーを食べた。

 こんなに豪勢な料理を目にしたのは、前世でも今世でも初めてのことだ。

 思わず感嘆の声を上げてしまった僕とは違い、みんな静かにフォークとナイフを器用に使って食べている。

 セレスでさえも落ち着いていて、子爵家の人間であることを思い起こした。

 僕だけが庶民のようだと気後れしていると、アインハルトが笑う。


「喜んでもらえて俺も料理長も嬉しいよ。たくさん食べろ」

「ありがとうございます」


 食事の後は場所を移して、みんなワインを飲みながら話していた。

 僕も、少しだけ飲もうと付き合っていたが、途中から記憶がない。

 

 遠くから潮騒が聞こえていた。

 満ち引きを繰り返す海の気配に、僕は身も心も委ねた。

 気持ちのいい睡眠で、いつも以上に熟睡していたようだ。

 目を覚ました時には夜が明けていて、朝食の席で揶揄われた。


「あれなら、何をされても気付けないだろうな」


 そう言って苦笑したのは、オーベリン先生だ。


「先生が運んだんだよ」

「え!?」


 まさか、酔い潰れた挙句、部屋まで運んでもらったのか。

 あまりに予想外の出来事に、僕は身の置き場に困る。


「俺が運ぶと言ったんだが、邪魔された」

「当然のことですわ」


 ベアトリスとアインハルトが言い争いを始めて、止めようかと思ったんだけれど、隣のイェレミーに遮られた。


「夫婦喧嘩の予行練習だと思えばいい」


 夫婦、と言われて、僕は改めて二人を見た。

 こうして見ると、本当にお似合いなんだけれど、どうして今はこんなにもつれてしまっているのだろう。多少の責任を感じるが、だからと言って何かできるわけでもない。


「クリスティアン君は、隣人にも好かれているようだね」


 隣人、と言われて最初に頭に浮かんだのは、フレディのことだ。

 でも、イェレミーが知るわけがない。

 

「面白い。まるで渦潮の目だ」


 そして、酷薄な笑みを口元に刷く。


「下劣な品性の人間らしい争いだよ」

「下劣?」


 突然言われて、僕はつい眉を顰めた。


「人を愛することは、下劣なことですか?」

「そうだ。滑稽でしかない」


 イェレミーの言葉を、聞き流すこともできたはずだ。

 だが、僕はどうしても自分の言葉を止められなかった。


「人を愛することが下劣で滑稽だなんて、僕には思えない」

「それは君がまだ、真実の愛を知らないからだ」


 そこまで言うと、イェレミーは食事を終えて立ち上がった。

 幸い、僕たちの話を他のメンバーは聞いていなかったらしく、こちらに目を向ける者はいない。


 僕は、席を立って、イェレミーの後を追う。


「待ってください。真実の愛って」


 そこまで言いかけた僕の言葉を、イェレミーは手を翳して止めさせた。

 片頬で笑い、顎を上げて僕を見る。


「君だって、今あの二人のことを、内心滑稽だと思っているんだろう?」

「僕は──」


 反論しようとしたところで、イェレミーは僕に抱き着いて頬にキスをした。


「どう幕引きをするのか楽しみにしているよ、色男」


 イェレミーはそう言って、僕を腕から解放した。

 僕の背後に勝ち誇ったような笑顔を見せてから、傍を離れて行く。

 つまり、今のキスは他の人への当てつけとしてしたわけで、僕に好意を持っているからじゃない。


 僕の心に色濃く影を残して立ち去る細い背中に、もう声を掛けることはできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る