第28話 バッヘム城へ

 週の半ば。

 来週始めには授業が始まるというその日、アインハルトがファルコ・クラッセのメンバーに言った。


「先生と話を付けた。明日からバッヘム城に来るといい」

「バッヘム城?」


 聞き覚えのない城の名前に、セレスが訊ねた。


「アインハルトのお城じゃないよね」

「一応、俺の城ではある。この先の海辺に建つ城なんだ」

「海!?」


 途端にセレスははしゃぎ出し、アインハルトは笑みを深めて頷いた。


「ここの修練場だと人が多いから、うちの城の闘技場はどうかと提案した」


 城を所有するだけではなく、闘技場もあるのか。

 さすがは第一王子だ。


 僕が感心していると、アインハルトは少し離れた場所にいたイェレミーとデュークにも声を掛ける。


「ファルコ・クラッセ全員で模擬戦をするにはいいだろう。先生もあとから来ると言うことだ。先生同様、現地集合でもいい。必要なら人数分、馬車を出す」

「わかった。私も参加しよう」


 デュークが即座に答え、僕は内心喜んでいた。

 これまでしばらく話すことのなかった二人が、ようやく和解するかもしれない。

 イェレミーとベアトリスも承諾し、明日の昼過ぎに集合することにした。


 二泊三日、海辺の城に行く。

 その上、広々と闘技場を使える。

 こんな嬉しいことはない。


「ありがとうございます。アインさん」

「相変わらず敬称付けか。──まあ、王子呼びよりはいいがな」


 アインハルトはそこで、ちらりとデュークに視線を向ける。

 僕は、デュークのことは王子と呼んでいる。

 もしかしたら、それのことだろうか。


「では、明日馬車で同行するのは、この三人でいいんだな」


 アインハルトの馬車には、僕とセレス、そしてベアトリスが乗ることになった。

 僕たちは、それで話をつけて練習に戻り、狭い修練場でできることをした。


 その後は、図書室に行って、できるだけ発表内容をまとめた。

 明日から三日は来られないということで、予定を早める必要があった。

 今足りないのは、新しい火属性の攻撃魔法についての考察だ。

 僕程度の能力と経験では、新しい技なんて提唱できるはずもないし、先生も期待してはいないんだろうが、それでも可能性には触れたい。

 

 そうして、遅くまで図書室に残って勉強を続け、夕食の時間に間に合うように寮に帰る。

 本を置いてから部屋を出ようとすると、廊下でフレディに出会った。


「セレスに聞いたよ。明日から合宿なんだって?」


 合宿、といえばそうなるのか。

 なかなか言い得て妙な表現だ。

 場所が海辺の城ということを抜かせば、そう言えなくもない。


「夏休みの総仕上げ、気合い入れていって来いよ」

「ありがとう、フレディ。お互い頑張ろうな」


 僕たちは拳を握って打ち合い、互いを鼓舞した。

 フレディの態度は、あの後もまったく変わらない。

 僕に気を遣わせないようにしてくれているのかもしれない。

 フレディに甘えている自覚はある。

 だが今は、何も考えられない。


 ベアトリス、アインハルト、そしてフレディ。

 次々に頬にキスされて、僕は戸惑いを覚えている。

 アインハルトの思わせぶりな言葉も気がかりだが、まだ僕のことを好きかどうかは確定していない。

 

 嫌われるよりはいいのかもしれない。

 でも、嬉しさよりも困惑しているという方が正しい。

 一体僕のどこに、好きになる要素なんてあるんだ。


 僕は、ぼんやりと考えながら食事とお風呂を済ませ、部屋に戻って明日の支度にとりかかった。通学するわけではないから制服は要らない。それが却って服選びを難しくさせる。動きやすければいいとは、行き先が城ということもあって、ラフ過ぎてはいけないだろう。


 僕は、クローゼットの中にあった服の中から何とか選び、鞄に詰めた。

 この世界の海は、どんな海なんだろう。

 城や闘技場も思い浮かべているうちに、僕は眠りについていた。




 翌朝、グリューン魔法学院の前には、黒塗りの大きな馬車が横付けされていた。

 物珍しい光景に、学院の生徒がざわつき、何人かはわざわざ馬車を見に来ていた。

 車輪の大きい美しい馬車で、屋根は金で装飾されている。


 さすがは王族ののる馬車だ。

 その辺の幌馬車とはわけが違う。

 しかも1台ではなく、2台用意されていた。


「二人ずつ乗ることになるが、男女で別れるのがいいだろう」


 男女ということは、アインハルトと僕、ベアトリスとセレスが乗るということか。

 僕とセレス二人で乗ることもできるが、せっかく長距離を移動することだし、その組み合わせの方がいいだろう。


「クリスと殿下が? それは、とても心配ですわね」


 難色を示したのは、ベアトリスだ。

 アインハルトは胸の前で腕を組み、ベアトリスと見合った。


「では、お前とクリスを一緒にしろと? その方が危険だ」


 危険かどうかはわからないが、アインハルトの婚約者であるベアトリスと、馬車とはいえ二人きりでいるのは、対外的にも良くないのではないだろうか。二人が睨み合っている間、僕とセレスは黙って待つしかなかった。


「仕方がありませんわね。いいこと、クリス。何かあったら、馭者に言って馬車を止めさせるのよ。すぐに駆け付けますわ」


 ベアトリスは僕の手を握って言い含め、セレスと共に馬車に乗り込んだ。

 僕は、ハハっと笑うことしかできない。

 そして、アインハルトに促されて、二人で馬車に乗った。


「バッハム城に行くのは、俺も久しぶりなんだ。前はよく泳ぎに行っていたんだが」


 アインハルトが海で泳ぐイメージはなかったけれど、何でも卒なくこなす人だから、泳ぎも得意なんだろう。


「お前は、海で泳いだことはあるのか?」

「ええと……はい、何度かは」


 元の世界では泳いだことはあるが、クリスティアンが子爵領で泳いでいたのかは知らない。曖昧に答える僕に、肘掛けに寄りかかったまま、アインハルトは視線を寄越す。青い瞳に見つめられて、僕は落ち着かない気持ちにさせられた。


 それもこれも、あの温室での会話のせいだ。

 黙り込んでいるアインハルトに、何か話題を振ろうとしたが、何も思いつかない。


 そういえば、兄弟がたくさんいると言っていたと思い出し、僕はそれについて話すことにした。


「弟さんは沢山いるとのことですが、妹さんもいるんですか?」


 僕が訊ねると、アインハルトは頷いた。


「ああ、3人か、5人か。そのくらいはいる」


 そんなにいるのかと、予想外の人数に僕は考え込む。

 もしかしたら、母親違いの弟妹がたくさんいるのかもしれない。

 そうなると、これ以上突っ込んで聞いていいのかわからなくなる。


「お前とセレスのように仲が良いわけではないが、別に仲違いしているわけでもない。たまに旅に行くこともある」


 そして、アインハルトは地方に出かけたことについて話し出した。

 僕はその話に耳を傾け、王都以外の街の様子に興味を持った。


「そんな街もあるんですね」

「そういえば、アッシュベルト子爵領には行ったことがないな。今度訪問したい」


 王太子が来るとなると、辺境の子爵領にとっては大ごとになるんだろうが、僕はアインハルトに来てもらいたいと感じた。


「ええ、是非。アインさんをお招きしたいです」


 僕がそう言って笑うと、アインハルトは笑みを消した。

 何か気に障ることでも言ったかと思うと、頭に手を置かれる。


「お前は、いい奴だな。友にするのもいいが──やはりそれでは足りない」


 そこでアインハルトは、肘掛けから身を起こして、僕に顔を寄せる。

 まさかと思った時には、頬に口付けられた後だった。


「お前を誰にも渡したくない」


 アインハルトは、熱く吐息交じりに言い、僕を抱き寄せた。

 フレグランスと思われる甘い香りと伝わってくる体温に、僕は焦りを覚えた。

 何か言わなければと思ったところで、馬車が動きを止める。


「時間切れだな」


 どうやら、バッヘム城に馬車が着いたらしい。

 僕は、馬車を降りようとして、自分の膝が震えているのに気が付いた。

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