第1話 美久さん、出現
いろいろと考えた末、ぼくは一人暮らしを始める。大学の通学に便利なら実家でいいのだ。京王電鉄井の頭線神泉駅なのだから、大学はすぐ隣の駅。家族は止めなさいよ、お金の無駄よ、と止めた。だけど、アルバイトでアパートの賃料はどうにかなりそうだし、生まれて初めて一人で暮らすことに非常に興味を覚えたのだ。
どうせなら、遠くが良い。それも下町が良い。北千住なんてどうだろうか?もうムチャクチャ下町だ。早速不動産屋のホームページを見てみる。
いいじゃん?常磐線 北千住駅 徒歩10分。大学まで1時間半はかかるだろう。馬鹿だと思われるに違いない。でも住んでみたい。賃料は6.5万円。木造。6畳に4畳のロフト付き。町内会費、月額300円なんてわざわざ書いてある。町内会費を明記してあるなんてすごい。祭りだってあるだろう。一時費用で消毒料1万6千5百円だって?まさか、流行りの事故物件じゃないだろうな?早速、不動産屋に電話をかける。
「もしもし、㈱ミニミニ城北さんですか?」と電話した。女性の担当者が出た。「ハイ、そうです」と元気がいい。
「あのぉ、ネットで御社の扱う不動産物件を見たので電話いたしました。兵藤と言います」
「ハイ、兵藤さん、どの案件でしょうか?」
「ベルフォート北千住という案件なのですが・・・」
「ハイハイ、ベルフォート北千住、まだ空いております。即入居可能です」
「ひとつ気になったのが、消毒料1万6千5百円と書いてあります。まさか、今流行りの事故物件じゃないですよね?」
「アハハ、違いますよぉ~。前に入居されていた方が子供がおりまして、キッチンとかフロアとか消毒しなければなりません。それで消毒料を頂きます」
「わかりました。私は大学生です。必要書類などをお聞かせください」
彼女は必要書類とか、大学生なので親の保証書が必要とか言ったので、大丈夫です、書類のPDFなんかがありましたら、送ってください、メアドはこれこれ、と言って、早速明日アポを取った。事務所の場所を聞いた。担当者は田中さんだという。とりあえず、送られてきた申請書のPDFファイルに必要事項を記入してメールしておいた。
父親と母親とは悶着があった。「なぜ、一人暮らしを?私たちと住めないとでもいうのか?大学にも一駅だろう?」と言うので「独立心を養いたいのです。中学高校もすぐ近くだったし、下町のことも知らない。お許しください」と頭を下げて、渋々保証書に署名、捺印をもらった。
ぼくには妹がいるのだが、彼女は憮然としていた。「お兄、この家を出ていくの?せっかく、一緒に暮らせるようになったのに!知らない!お兄なんか嫌いよ!」と言われた。
「ゴメン、カエデちゃん、許して」と言うと、「遊びに行くからね!監視しに行くもん!」と宣言された。
翌日、常磐線の北千住駅で下車、北千住駅前通りを歩いて、不動産屋に向かった。いいじゃん、いいじゃん、この下町感。ゴミゴミしていて、渋谷と違う。ワクワクする。不動産屋は左隣が北海道ラーメンの店。右隣が菓子店だった。サッシの引き戸を開けて不動産屋に入った。
「すみません、兵藤と言います。賃貸案件の件でまいりました。田中さんはおられますか?」と言うと、入ってすぐのデスクから私服の若い女性が立ち上がった。
「兵藤様、いらっしゃいませ。私が田中です。お待ちしておりました。書類はあとにして、早速物件を見に行きましょう」と言われた。
確かに、物件確認が先だ。彼女は、鍵束を机から出して、ジャラジャラさせながらもう店の外に出てしまった。あわてて、後を追う。
店を出て、日光街道を右に曲がる。数百メートル歩いて、千住寿町の角を左へ。おおっと、大黒湯なんてあるじゃないか!でも、結構きれいな町並みだ。もっとゴミゴミ感が欲しいがまあいいか?
田中さん、事務服の上着を着ているが、タータンチェックのミニスカート、白のブラウス、茶色のニットのベスト。ショートの茶髪で身長は160センチくらい?昔の後藤久美子にちょっと似ている。可愛い顔をしているけど、高校生のギャルと言っても通る。
彼女が「兵藤さん、送られてきた申請書を見たんですが、神泉にお住まいじゃないですか?大学の近く。なんで北千住なんですか?」とズバッと聞かれた。ぼくは、「実家から離れたところで、下町に住みたかったんです」と答えた。
「そうなんですか。私なら渋谷がいいけどなあ」と言う。
「田中さんはお生まれは?」と聞くと、「生まれも育ちも北千住です。いいなあ、渋谷」と答えた。
「ぼくは生まれも育ちも渋谷だから、北千住なんてワクワクします」と言うと「変なの。お互い取り替えっこしたいなあ」と言う。
そうこうする内にアパートに着いた。築8年。フローリングも綺麗だ。消毒料が必要というのはわかる。キッチンの油汚れがひどい。でも隠れ家みたいなロフト付き。気に入った。「田中さん、オッケーです。気に入りました」というと、田中さんが「決めるの、早い」と言ったがニコニコしている。
「狭いんじゃないですか?」と田中さんが聞くと「一人ですし、このロフトの四畳で眠ればいい。天井が低くて落ち着きます。ベッドなんかいりません。マットレスで充分。必要最小限。物を持ちたくないんです」と答えた。
さっそく店に帰って契約したいと言った。「行動、早い」と田中さん。
店に帰る道すがら「田中さんは社員さんなんですか?アルバイト?」と聞くと、「兵藤さん、この格好でギャルの女子高生とでも思った?ギャルは合ってるかもしれないけど、私は兵藤さんと同じ、大学の1年生。あの店の娘なの」と説明してくれた。
「え?同い年なの?」とぼくが聞くと「ハイ、そうです。兵藤さんと同じ年」と言う。
急に田中さんが身を寄せてきて「兵藤さん、この後、ヒマ?ねえ、飲みに行かない?」と誘ってきた。「私の周りに本郷の大学に行っているヤツなんていないんだ。本郷の大学生って興味あるんだ」と言う。ぼくは逆ナン?と思った。まんざらでもない。「いいですよ、行きましょう」と答えた。
「田中さん、どこに行きますか?」とぼくは田中さんに聞いた。「どこにしようかな?居酒屋?兵藤さん、この北千住の居酒屋でいい?」
「もちろん!北千住の居酒屋!素晴らしい!」
「おかしな人!」
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