第8話:逃避と向き合う決意

 真壁基氏はアパートの自室に籠もり、頭を抱えたまま動けなかった。


 筑波山での碧純の告白が頭を離れず、心の要石が崩れそうだった。


「俺、お前を汚したくないんだよ……なのに、こんな気持ちが抑えられない」


 碧純の「私、女だよ。お兄ちゃんの前で女でいたいよ」という言葉が、欲望と愛情の境界を揺さぶっていた。


 机の上の原稿を手に取るが、文字が頭に入らない。


 新作の妹キャラは、確かに碧純の面影を持っていた。


「駄目だ……これ以上書けない」


 基氏はパソコンを閉じ、ベッドに倒れ込んだ。


 一方、真壁碧純は自室で涙を拭いながらスマートフォンを握り潰しそうになっていた。


「お兄ちゃん、私のこと嫌いじゃないよね? 嫌いじゃないって言ってよ……」


 ドア越しに呟いた言葉が届かないまま、彼女は布団に潜り込んだ。


 兄への気持ちを初めて口に出した瞬間、心が軽くなった気がした。


 でも、基氏が逃げ出した姿を見て、不安が押し寄せていた。


「お兄ちゃん、私のこと女として見てくれるなら、それでいいよ」


 幼い頃から兄妹として育ち、実の兄ではないと知った後も、基氏は変わらず優しかった。


 その優しさが、いつしか恋に変わっていた。


 翌朝、碧純は目を腫らしたままキッチンに立った。


「お兄ちゃん、朝ご飯……できたよ」


 ノックしても返事がない。


 ドアを開けると、基氏はベッドで眠っていた。


 原稿やノートが散乱し、疲れ果てた様子が窺えた。


「お兄ちゃん、寝すぎだよ。起きてよ」


「……うぃ~」


 寝ぼけながら起き上がった基氏は、碧純の顔を見て一瞬固まった。


「目、腫れてるぞ。何だよ、泣いたのか?」


「うるさいよ。お兄ちゃんのせいなんだから」


「俺のせい!? 何だよそれ」


「お兄ちゃんが逃げたからだよ。私、ちゃんと気持ち伝えたのに」


「……悪かったよ。びっくりしたんだ」


「びっくりするのは私の方だよ。お兄ちゃん、私のことどう思ってるか、ちゃんと教えてよ」


 基氏は目を逸らし、コーヒーを手に取った。


「昨日言っただろ。お前は大事な妹だよ」


「それだけじゃないよね。お兄ちゃん、私のこと女として見てたって言ったじゃん」


「……言ったけど、それは過去の話だよ。今は違う」


「嘘だよ。お兄ちゃん、私のこと意識してるよね。私が近くにいるから、変な気持ちになってるでしょ」


「変な気持ちって何だよ! お前、頭おかしいのか!」


「お兄ちゃんこそ頭おかしいよ。私、ちゃんと向き合ってほしいよ」


 空気が重くなった。


 基氏はコーヒーを飲み干し、立ち上がった。


「俺、ちょっと出かけてくる。原稿進めないと」


「お兄ちゃん、逃げるの?」


「逃げてねえよ。仕事だよ」


「嘘つき。私と向き合うの怖いんだろ」


 基氏は黙って部屋を出た。


 碧純は涙を堪え、テーブルを片付けた。


 その日、基氏は喫茶店で原稿に向かったが、進まなかった。


 碧純の言葉が頭を巡り、集中できない。


「俺、どうしたいんだよ……お前を妹として守りたいのか、それとも」


 過去の葛藤が甦った。


 碧純への欲望を抑えるため、実家を離れ、二次元に逃げ込んだ。


 ライトノベルで発散し、心を安定させてきた。


 だが、碧純がすぐそばにいる今、逃げ場がなくなっていた。


 夕方、アパートに戻ると、碧純がリビングで待っていた。


「お兄ちゃん、遅いよ。夕飯できてるから」


「……悪いな。いただきます」


 テーブルには、実家から送られた山菜の天ぷらと味噌汁が並んでいた。


「美味いよ。いつもありがとうな」


「うん。お兄ちゃん、私のことちゃんと見てよ」


「何だよ、またそれか」


「うん、私、お兄ちゃんに気持ち伝えたんだから、逃げないでよ」


「……俺、お前を傷つけたくないんだよ」


「傷つけるって何? お兄ちゃん、私のこと好きなら、それでいいよ」


「好きだよ。妹としてな」


「またそれ! お兄ちゃん、正直になってよ。私、女だよ。お兄ちゃんの前で女でいたいって言ったよね」


 基氏は箸を置き、目を閉じた。


「……正直になるって、どうすりゃいいんだよ」


「私を見てよ。お兄ちゃん、私のことどうしたいの?」


「俺……お前を抱きたいよ」


 言葉が飛び出した瞬間、基氏は顔を覆った。


「何!? お兄ちゃん、今なんて!?」


「忘れろ! 言わなかったことにしろ!」


「無理だよ! お兄ちゃん、私のこと抱きたいって言ったよね!?」


「……言ったよ。悪かったよ」


 碧純は顔を赤らめ、目を潤ませた。


「お兄ちゃん、私のこと女として見てくれるんだね」


「見てたよ。ずっと前からな。でも、それじゃ駄目なんだよ。お前は大事な妹なんだから」


「私、妹でもいいけど、女でもいたいよ。お兄ちゃん、私のこと好きなら、それでいいよ」


「碧純、お前……頭おかしいのか?」


「お兄ちゃんが好きだからだよ。変だと思うなら、それでもいいよ」


 基氏は立ち上がり、部屋に逃げ込もうとした。


「お兄ちゃん、待ってよ!」


 碧純が腕を掴んだ。


「俺、駄目だよ。お前を汚しちまう」


「汚してもいいよ。お兄ちゃんになら、私、全部あげてもいいよ」


 その言葉に、基氏の理性が崩れかけた。


 だが、最後の力を振り絞り、碧純の手を振りほどいた。


「駄目だ。お前は俺の妹だ」


 部屋に籠もり、基氏は頭を抱えた。


 碧純はリビングで泣きながら呟いた。


「お兄ちゃん、私のことちゃんと見てよ……」


 その夜、二人の心は近づきつつも、大きな壁に阻まれていた。


 基氏は封印を保てるのか。


 碧純の愛は届くのか。


 決断の時が近づいていた。

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