第1話:筑波の春と封印された思い
筑波山から吹き下ろす風が心地よい春の日、つくば市は梅祭りの観光客で賑わいを見せていた。
そんな中、比較的新しい二階建てアパートの一室に住むライトノベル作家・茨城基氏(本名・真壁基氏、21歳)は、スマートフォンの画面を見つめていた。
そこには、血縁上は叔母にあたるが、義母として育ててくれた真壁佳奈子からのメッセージが表示されていた。
基氏は幼い頃、自然災害で両親を失い、叔母夫婦に引き取られた。
叔母の佳奈子と叔父の忠信は、実の両親のように温かく、時に厳しく接してくれた。
周囲からは実子と見られるほど自然な家族だったし、基氏自身もその家が居心地悪いと感じたことは一度もなかった。
それでも、高校卒業と同時に実家を出ざるを得なかった。
進学や将来の就職を考えれば、山奥にある「ポツンと一軒家」の取材が来そうなほど辺鄙な場所では、通学も通勤も現実的ではなかったからだ。
だが、それだけではない。
もう一つ、基氏にとって重大な理由があった。
可愛すぎる妹――血縁上は従妹にあたる真壁碧純への禁じられた感情だ。
小学校高学年を迎え、女性らしい体つきになり始めた碧純を見ていると、基氏は抑えきれぬ欲情を感じるようになっていた。
守るべき存在であるはずの妹を傷つけるような欲望に苛まれ、自分自身を許せないほど苦しんだ。
ブラコン気質で、妹が恋しい基氏は、歳の離れた碧純が成長するにつれ、その女性らしさが際立つ姿にいつ過ちを犯してしまうかと恐れていた。
だからこそ、自ら進学を機に実家を離れ、妹への思いを封印しようと決めたのだ。
鹿島神宮の要石のように、心に重い石を乗せて固く閉ざした。
実家のある大子町から遠く離れたつくば市へ――国立の理化学系トップクラスの筑波大学に進学することで、物理的にも精神的にも距離を取った。
水戸市の国立大学も選択肢にあったが、大子町から水郡線一本で来られてしまう近さでは、碧純が気軽に訪ねてくる可能性があった。
それを避けるため、あえて常磐線だけではアクセスしにくいつくば市を選んだのだ。
お小遣いの乏しい妹にとって、地理的にも経済的にも訪ねづらい場所であることも計算済みだった。
新しい環境での大学生活は、基氏にとって孤独との戦いだった。
田舎で育ち、小学校から高校までほぼ同じ顔ぶれの中で過ごしてきた彼にとって、知り合いのいない大学での人間関係は難しかった。
コミュニケーションがうまく取れず、孤独と寂しさに押し潰されそうになった。
妹への愛を封印したストレスも重なり、心の隙間はどんどん広がっていった。
そんな時、深夜アニメとライトノベルに出会った。
「へぇ、この作品も小説投稿サイト『小説家になっちゃおう』からアニメ化か。サラリーマンになってから書籍化デビューって、夢を追い続ければネットで実現できるんだな」と、最初は軽い興味だった。
だが、次第に二次元の世界にのめり込み、自ら書き始めるようになった。
プロになるなんて夢のまた夢。
ただ、寂しさを紛らわすためなら何でも良かった。
心の隙間を埋める手段がイラストでも音楽でもなく、文章だったのは偶然に過ぎなかったのかもしれない。
そうして書き上げた処女作『妹のためならなんでもしたいお兄ちゃん』は、驚くべきことに5000万アクセスを突破し、『小説家になっちゃおうWEB小説大賞・大賞』を受賞。
大手出版社から書籍化され、一躍注目を浴びた。
大学2年生、20歳の冬のことだ。
実家からは「冬休みに帰ってこられないのか?」と聞かれたが、「仕事と学業の両立で忙しい」と返した。
実際、基氏の妹への熱い思いが込められたこの作品は、妹物を愛する読者の心に深く刺さった。
妹好きや妹に憧れる者だけでなく、兄に憧れる女性にも支持され、緊急重版が決まり、シリーズ化も進んだ。
さらに、中堅出版社からSNS経由でオファーを受け、第二作『お兄ちゃんのためならパンツもあげるよ』を執筆。
これも重版となり、2シリーズを持つ人気ライトノベル作家の仲間入りを果たした。
執筆に追われる中、大学に通う目的が「家を出るため」だった基氏は退学を考えたが、世間体や打ち切りリスクを考慮し、ひとまず休学を選んだ。
印税で生活が安定し、心の隙間を埋めるように部屋は萌え美少女ポスターやタペストリー、フィギュアで埋め尽くされていった。
21歳の春、ほどほどに落ち着いた生活を送っていた基氏に、衝撃的な知らせが届く。
妹の碧純が、基氏のアパートから徒歩圏内の東京の私立女子高校に進学し、住まわせてほしいというのだ。
佳奈子からのメッセージには、可愛い兎のスタンプと共にこう書かれていた。
『碧純、春から基氏の所から学校行くから住まわせてヤってね』
「酷い誤字だな、大丈夫か母さん」と苦笑した基氏は、忙しさからか軽く返信してしまう。
『ん、わかった』
萌え美少女が敬礼するスタンプを添えて送ったその返信は、深く考えないままのものだった。
萌え美少女に没頭するあまり、妹への思いを心の奥に封印したまま、一緒に暮らしても大丈夫だと楽観視していたのかもしれない。
碧純も成長し、もし何かあれば自分で拒否できるだろうし、兄離れもしているはず。
無防備な姿で接してくることもないだろうと考えた。
一人暮らしの心配もある中、ここは叔母夫婦への恩返しの機会だとも思った。
叔父が借りた2LDKのアパートは、一人で住むには広く、碧純用の部屋も空いていた。
こうして、基氏は碧純との共同生活を受け入れることにした。
だが、それは封印していた心の要石が揺らぎ始める序章に過ぎなかった。
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