淡墨の深層 第四十七章 引っ叩かないと気が済まなかったのよ

 高田馬場駅で西武新宿線に乗り換え……

 あやさんのアパートへ到着。

 ハッキリと「出禁は解禁」と言ってもらったわけではないが……

 前週半ばのあの電話でのやり取りに、その『解禁』が含まれていることは明らかだった。

 但し……前夜、非常事態だったとは言え……

 あやさんの真ん前で、ミサコが同乗して来たタクシーで走り去ってしまい……

 ミサコをそのまま僕のアパートへ泊めたであろうことは……

 あやさんだって、想像に難くないはずだった。

 その申し開きを……先ずはしなければならない。


 窓から灯りが漏れている。オフィスからは、もう戻っているんだな。


 あやさんの部屋にインターフォンは無く、玄関のチャイムを鳴らした。


「は~い!」

「あやさん! 僕……れいです!」

「・・・・・・」


 それっきり返事は無いまま……十数秒後に玄関ドアが、いきなり勢い良く開くと……

 僕を睨み付けるように見つめたあやさんからは、静かに……しかし、少しドスの効いた声で……


「れい……待ってたわ」


 そう言いながら僕の手首を強く引っ張り……


「あ……あやさん、ちょっと!」

「いいから早く入りなさい!」

 

 と……中へと引きずり込まれ……

 玄関ドアが閉まった次の瞬間……


 <バシッ!!>


 と、あやさんからいきなり頬を引っ叩かれたんだ。

 しかも、手の平ではなくて……手の甲の方での裏拳撃ちで。


「はあ! あ~スッキリした!」

「あやさん……何を……するんですか」

「あ、ごめんね! 痛かった?」


 と……今度は手の平の方で、僕の頬を優しく撫でてくれている。


「まぁね、昨夜のタクシーのこと……キミだけが悪いんじゃないって判っていたけどさ……一発引っ叩かないと、気が済まなかったのよ」


 あやさん……ミサコには優しいけど、僕には……厳しいんですか。

 それは……そうですよ……ね。


「あやさん……ごめん……なさい……」

「ううん……マサヤたちからやられて傷だらけなのに、ごめんね! 上がりなよ」

「はい……お邪魔……します」


 久しぶりに上がったあやさんの部屋は、お得意の料理の美味しそうな香りが漂っていた。


「キミが今夜きっと来ると思って、多めに作っておいたからさ……一緒に、食べながら話そ!」

「ありがとう……ございます。どうして……来ると……わかったんですか?」

「キミの行動なんて、だいたい予想付くのよ!」

「そう……ですか。その通り……報告しに……参りました」

「アハ! さっきからず~っと敬語……疚しいことが、そ~んなにあるんですか~?」

「・・・・・・」


 ここは……あやさんから電話でも言われた通りに答えた方が良いのだろうか? 「バカ!! そこは嘘でも否定するの!」と……。


「あ……あの……そんなには……無いんです」


 するとあやさんは、呆れ顔でため息交じりに……


「はぁ……そんなに……あるのね? 解りやす過ぎ……アハ!」


 せっかく……『嘘でも否定』したのにぃ……。


 こうして……夕食をごちそうになりながらの……

 あや捜査官に拠る……

 三度目の、尋問開始だった。



「「頂きます!」」



「留守電も入れずに来たってことは……ミサコちゃんとは、夕方まで一緒に居たんでしょ?」


 あやさん……ミサコと違わぬ洞察力ですね……。


「そ……そうです」

「で、やっと帰らせて……ここへ向かったと」

「た……たぶん」

「多分って何よ、多分て?」

「多分、もう帰ったはず……ミサコは部屋に置いてきたから……」

「はぁ⁉ じゃあ、戻ったらまだ居るかも知れないってこと⁉」


 しまった……言葉が足りなかった。


「あ、ごめん……言葉足らずで。シンに任せて、池袋駅まで送ってあげるように頼んで来たから……」

「あ~、なんだそう言うこと……って、え⁉ シンに⁉ あの子、大丈夫かな? あ……あれだけ強ければ大丈夫かな」

「うん。あのタクシーの中で、早速言われたんだ。ミサコ、おじいちゃんが……なんとか流合気柔術の師範で、小さな頃から習っていたんだって」

「ふ~ん、それであの強さ……で? タクシーの中の……どうせ、あの子の膝の上で……だったんでしょ?」

「ブッ‼ 見てたん……ですか?」

「見てたわけないでしょ! 走り去ってんだから!」

「それは……そうですけど……あの時……痛みに耐えかねて横になったら、そこはミサコの膝の上……だったん……です。よくわかりましたね?」

「言ったでしょ! だいたいわかるのよ! キミの行動パターンなんて!」

「う……服に血が付くからって起きようとしたら、ミサコ……着くまでじっとしてろって言うから……」

「そのまま到着まで……『いい子』にしてたのね~?」

「うん。そしたら……シンは出かけてて居ないし……」

「じゃあ、部屋では二人切りだったってこと?」

「はい……。僕は床で寝るからミサコはベッドで寝ろって言っても……『じゃあ、私も床で寝る!』って、とにかく頑固で言うこと聞かないから……」

「まさか……結局、ベッドで一緒に寝たってこと⁉」

「うん……だから僕は、ちゃんと……『絶対にイタズラすんなよ!』って、釘を刺したんですよ」

「はぁ……キミは……どうして何度もそんな目に遭うかな、もぉ……」

「ごめん……なさい」


 あやさんに、既に『怒り』は無く……心底呆れている様子だった。


 まだ……あやさんへの報告は『序盤』であり……

 『タクシーの中』と『寝るまで』だけで、この騒ぎ……

 この時点では、もう怒ってはいないあやさんではあったが…

 『翌朝編』のあの件を、どう報告すればいいのか?

 仮に僕が隠そうとしたところで、きっとあやさんから……


「おはようのキスとか、されなかったでしょうね⁉」


 と、訊いて来るに決まっている。


 いったい……

 いったいどうしたら……?

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