淡墨の深層 第三十四章 そう言うのを…揉めてたって呼ぶのよ

 あやさんと……『心がすれ違ってしまった』とでも呼ぶのだろうか……


「ホントは……れいじゃなくて、シンが悪いのはわかっている……でも、もう疲れた……わからなくなったから、考えさせて欲しい……一人にさせて欲しい」


 電話口でそう言ったあやさんへ僕は、再度電話をすることも出来ず……

 翌週のツバキへあやさんが来てさえいれば……と、一縷の望みを賭けてツバキへと来てみたが……

 案の定、あやさんは現れず……

 そのまま流れて行った二次会の席で、隣へ座って来たのは……


 ミサコだった。


 17歳……高2だったミサコ。


 但し、時代は1986年。

 そんな80年代当時のティーンの……傾向と、置かれた環境として……

 未成年者の飲酒や喫煙や夜遊びは、それらを取り締まる法律そのものはその後の時代とほぼ変わらずとも、その『運用』自体は……

 然程『厳しい規律・規制』ではなかった。


 もっと具体的には……

 高校生を含む未成年が、ツバキのような『クラブ』へ通い『飲酒』……

 その二次会と称して『居酒屋』で、続けて『飲み会』をする……

 場合に拠っては、男女間で『一線を超える』ことも含めて……

 それらの行為は、特段『不良少年少女』ではなくても『普通』のことだった。

 実際ツバキメンバーの中にはミサコ以外にも……『普段は一般的な女子高生』も、当然普通に含まれていた。


 一方……19歳とは言え同じく『未成年者』である僕の方はと言えば……

 それまでの経験上、ほぼ完璧に『若い女の子が苦手』となってしまった僕にとって、ミサコがいわゆる『圏外』なのは当然ではあったが……

 その整った小さな顔……細身なスタイル……

 『教科書的』には……『好みのルックス』であることは、否定できなかった。


 だとしても……

 『若い女の子が苦手』と言う、僕の中での『経験値』が……

 その時も、優先されたんだ。

 それ故に……ミサコを牽制するような、ぶっきらぼうな受け答えをしてしまった。


「あらあら? じゃねぇよ。ご覧の通りだよ」

「はいはい……わかりますよ」


 なんだその……年下のくせに、年上の女の人みたいな言い回しは。


 ミサコが……あやさんと僕との関係を知っているのは、判っていた。

 判っていたが、しかし……

 何かと問題のあったシンを同居させたことが原因で、あやさんと僕に溝が出来てしまったことは……

 ミサコは知らないはず。

 然しながら……

 どこか自信たっぷりなようなミサコの雰囲気に、その時の僕は……

 いわゆる『悪い予感』が過ぎってしまったんだ。


 この子、何かを知っていて……何かの目的があって、僕に接近して来た……?


 思わず湧き上がる……

 凄く……凄く嫌な既視感デジャヴュだった。


 故にその時の僕はきっと、警戒心丸出しの顔をしていたのだろう。


「そんなコワイ顔、しなくても……座っていいかしら?」

「いいかしらも何も……もう座ってるだろ」

「アハ! そうだね!」


 その時のミサコの、どこか余裕のある笑顔が……

 僕の猜疑心を、徐々にでも溶かして行った点は……

 認めざるを得なかったのだろう。


 まぁ……塞いでいても仕方ないし、先ずはもう……いいから飲むか。


「はい……それじゃ、いらっしゃいませ。ビールでいいの?」

「頂きます……ありがとう……れいもどうぞ……」

「ありがとう。じゃ、取り敢えず乾杯!」

「乾杯!」


 暫くは、その年に来日したメタルアーティストの話題などだったが……


「それで? あやさんと……何かあったの?」

「!!」

「あった……みたいね」

「なんで……わかるんだよ?」

「この前の二次会でも、な~んか揉めてたの……丸聞こえだったし」

「アレは! 揉めてたわけじゃなくて、バンドメンバ……」


 ここで僕は……話をこれ以上ややこしくしないために、シンは登場させない判断をした。


「なぁに?」

「いやその……僕のバンドの件で色々と誤解があって、あやさんから……」

「そう言うのを、揉めてたって呼ぶのよ」

「・・・・・・」


 反論できなくなってしまった僕だったが……


 ミサコ……まだ高2なのに、その落ち着きぶり……

 何故、そんなに僕を……諭してくれるんだ?

 そもそもミサコは、いったいどこまでを知っているんだ?


「わかったよ。揉めていたのは認めるけど……僕は出来る限り、あやさんの望み通りに行動したつもりだったんだ」

「それでも……結局はフラれたの?」

「!!」


 この子やっぱり……あやさんと僕には今、何らかの溝が出来ていることを知っている?


 ただその時は……何も気付いていないフリで、続けたんだ。


「それは……ハッキリそう言われたわけじゃないけど、今は……会いたくないみたいだし、電話も出来ない状態」

「ふ~ん……じゃあ、私と一緒かな」

「一緒って?」

「私も……彼にフラれたかもしれないから」

「彼に……フラれた『かもしれない』って、なに?」


 僕はその時……自分がシンからされたのと同じ質問を、ミサコへしてしまった。


「先週の頭ころかな……忙しくなるから暫く会えないって言われて……」

「そりゃ……彼氏さんだって、そんな時期もあるでしょ」

「でも……それからは電話しても全然出なくなったし……」

「電話……架けてもいいだけ僕よりマシだよ」

「そうだけど……でも私、マサヤさんに嫌われたのかな?」


 マサヤさん?

 その人は、22~3歳くらいで……普段から特に仲良くしているわけではなかったが、僕にとってはツバキの先輩だった。

 ミサコの彼氏って、マサヤさんだったのか。


「そうなった理由、ミサコには……なにか心当たり、あるの?」

「・・・・・・」

「なんか、ありそうだね」


 そんなやり取りで、その後の詳細は割愛するが……

 結局は身の上相談会のような流れとなり、お互いの状況を語り合うこととなってしまった。

 勿論、僕側は……引き続きシンを登場させずに。

 もしも登場させてしまった場合……「そのヴォーカルってのが、こんなにトンデモナイ奴で!」と、何もかもをシンのせいにするかのような発言をしてしまうのが、嫌だったから……それは違うだろ……と、話に彼の名前は最後まで出さなかった。



「ふぅ……色々と聞いてくれてありがとう。ごめんね。そろそろ私、時間だから」


 ミサコの自宅は厚木……二次会のお開き時刻まで居たら、遅くなってしまうのだろう。

 高校生だし、門限などもあるのだろうか。


「いや、こちらこそありがとう。じゃあ……気を付けて帰れよ」


 と……ミサコを見送った時までには、僕のぶっきらぼうな態度もすっかり姿を変え……

 二人はすっかり打ち解けたかのような、笑顔で別れを交わしたのだった。


 但し、この『打ち解け』が……

 後のトラブルを招くことになるとは……

 予想だにしていない、僕だったんだ。

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