淡墨の深層 第十七章 私ヘタだよ…それでもいい

 何度挑んでも『辿り着けない』が続いた二人……

 『夜襲』をかけてまで『同棲ごっこ』を演出したあやさんだったが……

 それでも……それでも途中から……感じなくなってしまう……

 一方……男として、耐えがたい限界を感じてしまった僕はついに……


「あやさんに……して欲しい」


 と……『要求』をしてしまった。





 何秒間……経過しただろう。

 歯の間に入った僕の指を、丁寧に手で包み……

 一旦口から離し、そして……


「私ヘタだよ……それでもいい?」

「上手になんか……して欲しいんじゃない。あやさんにだから……して欲しいんだ」


 そしてまた、数秒間の空白の後……少し笑顔で……


「いいよ!」

「ありがとう……お願い……します」

「敬語はやめてって……言ったでしょ?」


 そう言ってからの、あやさんの行動は素早かった。


 自分から頼んでおきながら、少し戸惑っている僕を……

 ベッドの枕元へ押しやり、座らせ……

 そして始まった……あやさんからの、初めての『それ』に対して、最初にわかったこと……


(あやさん……自己評価、低いよ……ヘタだなんて……得意なのは……お料理だけじゃ、ないんでしょ?)


 料理が得意なあやさんに……正に『調理』されてゆく僕は……

 滑らかな、まな板の……上? それとも熱く滾る、フライパンの……中?

 時々当たる刃は……味の沁み込みを、良くするため?


 でもあやさん……ご自慢のお料理の腕は存じていますが……

 そんなに……そんなに『味見』ばかりしていては……

 せっかくのお料理を……吸い込んで……飲み込んで……

 全部……全部無くなって……無くなってしまうよ。


 しかしどうやら…それは取り越し苦労……?


 唯一……唯一、僕から提供される最後の調味料により……

 調理は……仕上げへ向かう……らしい。


「あやさん……もう……限界……かも」


 その『自己申告』に、いつしか『調理』は……

 蕩けるように甘く、香しいスウィーツへと移って行った。

 あやさんというパティシエの手で優しく握られた泡だて器は……

 妖しげな音を立ててホイップされるクリームを包み、包まれ……

 更に適度な硬さへと……仕上げて行く……完成させてゆく。


(あやさん……もうダメ……)


 次の瞬間、ホイップクリームは……その『限界』から溢れ出し、勢い良く宙を舞い……その一部はあやさんに……最後の味見をされ……

 そのほとんどが……完成したスウィーツの上へと、綺麗にデコレートされて尚……

 有り余るホイップクリームにまみれた泡だて器と……それを握るあやさんの手……。


 スウィーツに塗り込められたそれが……

 あやさんの『愛情』の証であり……僕の『欲望』の証であり……

 その気高い美しさに……優劣・貴賎など、あろうはずがない。


 夢のような調理時間は……長かったような、短かったような……

 しかし実際は……ほんの数分間の、スピード調理だったのかもしれない。





 続くあやさんの声で……夢から呼び戻される意識。


「うわぁ……こんなにぃ? なんか……感激……」


 そんなあやさんのお言葉は、僕にとっても勿論感激だったが……

 あまりの恍惚感に……

 未だ動けずにいた僕だった。

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