淡墨の深層 第十五章 その幸せがこのまま続くと…
お買い物から戻り、早速調理を始めたあやさん。
結局僕のしたことはと言えば……最初に切った分のキャベツくらいだった。
「それ……お米の袋取って」
「はい」
チャッチャとお米を磨いでゆくあやさん。
「はいこれ、セットして。ジャーのスイッチ、まだ入れなくていいからね」
「なんで?」
「少し漬けておいてから炊くの。知らない?」
「いつも直ぐ……炊いちゃうから」
「良かったじゃない、一つおりこうさんになって」
「はいはい」
「『はい』は一回でいいの! 買った物、ちゃんと冷蔵庫入れといてよ」
「は~い」
野菜……生もの……言われた通り冷蔵庫に入れたが……
僕の……自分のアパートの部屋でも、完全にあやさんのペース?
なんて思ったところで……好きな女の人には逆らえない僕。
「何か手伝うこと、ない?」
「う~ん……このスペースだと、一緒に作るのってムズいよ」
確かに……玄関の土間の『一畳』の隅に、一体型的に据え付けられたキッチンは……
一人が立つのがやっとのスペース。
そして……『キッチン』と言うより流し台の、シンクはステンレスでもホーローでもなく……
何かの『石材』で出来ていた。
ガラスのコップなら、倒しただけでほぼ100%の確立で割れるという石材。
「私が作るからさ、必要な物、取ってくれる?」
と、言いつつ……
先ずは最初に使うであろう物……キャベツ……キュウリ……ハムなどを、既に手に持っているあやさん。
「うん! 了解!」
買ってきた色々なものを、一つの容器に次々注いで行くあやさん。
こんなに汚いアパートの、こんなに狭くて不便なキッチンで……
楽しそうにお料理をするあやさんを、益々好きになってゆく僕だった。
ぼ~っと見惚れていた僕に……あやさんからの最初の指令が下る。
「サラダ……先に作ったから、このまま冷蔵庫に入れといてね」
渡されたお皿の、ラップ越しに見える野菜……なんて美味しそうに切るんだろう。
「この袋豚肉だから、冷蔵庫に戻しといて」
「あ……はい!」
「そしたらぁ、ピーマン出して。あ、一緒にガーリックと生姜も!」
「はいよー!」
狭いアパートの狭いキッチンに……
心地よく響いていた、野菜が切られてゆく音が止まり……
「ごま油は……あ、私がこっちに置いたんだ。じゃ、片栗粉と、さっき渡したお肉!」
次々と言われるままに渡してゆくが、いったい何が出来るんだろう?
その数分後……<ピー・ピー・ピー>……
「あやさん、ご飯……炊けたよ!」
「ナイスタイミング! こっちももうすぐ出来るから。解しといて!」
「ご飯……ほぐすって……なに?」
「解す……わからない?」
「うん……ごめん」
「じゃあね……炊けたご飯を、かき混ぜておいてね。優しくだよ」
「あ……わかった」
『ほぐす』って、そんな意味だったのか……。
ご飯が炊けて、直ぐにかき混ぜたり、混ぜなかったり……どっちでもいいのかと思っていたけど……
ホントはそうするものだと言うことも、あやさんから教わったんだ。
「じゃあ……カンパーイ! 結局夕方になっちゃったね」
「ワイングラス無くて……こんなコップでごめん」
せっかくあやさんが買ってくれたワインを……
迎え入れるグラスが無い……という点も含めた僕のアパートの部屋はまるで……
ワインには『似つかわしくない』という表現がピッタリだったのだろうか。
「グラスなんかどうでもいいよー! 乾杯ね、乾杯!」
「あやさん……」
「食べようねー。絶対美味しいから!」
「ありがとう……頂きます! あ……じゃなくて……頂くぜ~!」
「アハハ! 頂きますくらいは、敬語でいいよぉ。て言うか、寧ろ敬語だぜ~」
「そ……そうだよね。アハ!」
「「いただきます!」」
僕が『助手』を務め、あやさんが作ってくれたメインメニューは……
“回鍋肉(ホイコーロー)”だった。
勿論当時、そんな名称は知らずに……
『肉と野菜を炒めたなんか』であることだけは判ったが……
自分が時々作る『肉野菜炒め』とは、別世界の料理と思ってしまうほどの美味しさだった。
こんなに汚いアパートだけど……
甘すぎない辛口のロゼと美味しい料理……そして、目の前には美しいあやさん。
幸せを……感じていた。
その幸せが、このまま続くと……信じていたんだ。
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