第2話 準備と日常 (1)
2
ボスから電話がかかってきたのは、ノアと会ってから二日後のことだった。ボスは機械の音声を使っていた。随分と高い音だった。ボスは一方的に、外国語で、依頼の内容を説明した。
僕はガラケーを肩と耳に挟みつつ、インスタントのコーヒーをいれるために、お湯を沸かしていた。ひたすらに黙り、説明に耳を傾けた。ひとしきり依頼の説明が終わると、個人的な話のようなものが始まった。
『トコロデ、アナタハ、ゴジブンノコトヲ、アイシテイラッシャルデショウカ』
そう質問があったのち、数秒の沈黙が訪れた。どうやら、一連の一方的な情報伝達の機会は終わりを告げたようだった。
「そうですね」と僕は少し考える。「今日、自分にプリンを買ってしまうくらいには」
『アイシテイルト、マヨイナク、ソウソクトウスルヒトヲ、アナタハ、ドウオモイマスカ』
「即答はすごいと思いますね。通常、愛するはためらいを伴う行為だ」
『ソウデスカ』と、一つ間を置いて、『ドウカソノオキモチヲ、ホオムノソトデモオモチニナッテクダサイ』と、さらに一つ間を置き、『サヨウナラ、グッドラック』と、電話が切れた。
僕はコーヒーをいれたカップを手に持って、机へ向かい、ボスからの依頼を箇条書きにまとめるため、青い付箋を袖から三枚ばかりとった。そしてそれぞれにこう書いた。『これは第一段階』『久我家のご令嬢と親交を持つ』『今より開始』
着替えを済ませて、ホームを出た。外は寒かった。ポケットに手を入れて、足早に歩いた。近場の銀行すら徒歩圏内にはなかった。よく利用していた近所の支店も、最近になって潰れてしまったようだ。仕方なく、レンタル可能なサイクルポートで自転車を借りた。この時間帯のバスは混んでいるから、乗車する気にはなれない。
銀行へ行く途中、
ようやく銀行に到着したときには、太陽が真上に上がっていた。自転車を指定のポートに停め、支払を済ませた。帰りはバスを使おう、と思った。長く運転していたから、体はむかむかと熱を帯びていた。
とりあえず、銀行で二十万を下ろした。今回の事件を解決するまで、とりあえずは二十万で十分だろう。財布の代わりに、A4のクリアファイルを三枚用いて、しわを作らないよう収納する。鞄にしまい、次の目的地へ向かう。
一人の大男が新聞を開き、レジに足をかけていた。ちらりとこちらに目をやると、興味なさげにまた新聞へ、視線を戻した。ポケットに手を入れ、店の奥にいるその大男の目の前に行った。大男は立派な髭をはやして、タバコの臭いをもわもわとまとっていた。
「なんだ、ガキ」と、大男は傲岸不遜といった態度で言った。
「拳銃をくれ。あんたのとびきりおすすめのやつを」と僕は言った。
男はようやく新聞を閉じて地面へ捨てた。そして鋭い視線を向けてくる。
「おめえ、人を撃つのか?」
「場合による」
「そりゃいったい、どういう場合だ?」
「大切な人の命が危険にさらされているとき」
「ほう。たいそうなこった」
「だがあいにく現実には、自分を含めたって大切な人なんぞいない。だから人は撃たないさ」
「ほざけ」と大男は素早く立ち上がり、何かを僕の喉の先に突きつける。ナイフだ。あと少し喉仏が出ていたら、僕は血に溺れていたかもしれない。「自分が大切じゃないだって? 俺がこの世で最も嫌うのは、おまえみたいなませたガキだよ」
「まあ落ち着け、愛してる。な?」と僕は焦った。どうしよう。「う、売り値に五万プラスでどうだ?」と咄嗟に口から出た。
男は瞬きを冷静に三度もすると、呆れたようにナイフを地面に捨てた。
「ませたガキはこの世で一番嫌いだがな、ませたガキから金を多くとるのは一番好きだ」
「いい趣味だよ、まったく」僕はアイロンをかけるように、丁寧に手で首をなぞった。
「ついてこい」と男は奥へ進んだ。それについていった。
店の奥には階段があった。上っていって、屋上に出た。どうやらここは、射撃場のようだ。
「とりあえず、こいつを使ってみろ」
投げられた拳銃はセーフティーがすでに外されていた。僕はこの大男が嫌いだった。
的に向かい、狙いを定めるふりをする。トリガーに指がかかる。脇からじくじくと湧く汗を感じる。トリガーを二度、引いた。一つは的の中心に命中、もう一つは的の端っこに当たっていた。
「ほう、うめえな」と男は感心していった。「見た感じ、まぐれじゃねえようだ。二発目の精度はカスだがな」
「一発撃ったその瞬間から、決まっていつも腕が震えだすんだ」と僕は震えを押さえ、言った。
男は強引に僕の腕をとった。そして僕の腕をまくると、硬さを確かめるように各部を指でもみほぐしていった。痛い。
「上腕の筋肉はかなりあるが、右手首周辺の筋肉が十分じゃねえみてえだな。筋肉の作りがややアンバランスだ。昔、何か怪我でもしたか?」
「銃で撃たれた。玉がそこにかすった」
男はじっと顔を覗き込んできた。僕は目を逸らした。
「……ああ、そうか。災難だったな」
階段を下りた。階段裏に置かれていた木の机に座っているよう、言われた。僕は言われた通りに座って待った。その間、僕は銃を撃った感覚を思い起こし、復習していた。
やがて男が戻ってきた。手には二つのコップを持ち、脇にはオレンジジュースの紙パックを挟んでいた。オレンジジュースをそれぞれのコップに注ぎ、コップの一つを僕に差しだした。
男はため息をついた。ライターを用いて、紙タバコに火を点け、煙で遊ぶ。男は僕の視線に気がつくと、
「おまえも吸うか?」と誘った。
「いらない。ガキだし」と僕は断った。
男は笑った。男はタバコを足元に捨てた。足で擦って、火を消した。
「俺も昔、銃で撃たれたことがある」と男はシャツをめくり、脇腹を見せた。「大昔だがな。運よく、形はもとに戻った。だが、あれは俺の人生を大きく変えちまった。よくも、わるくもな」
僕は黙って、男の話を聴いた。男は立ち上がり、またどこかへ行った。そしてすぐに戻ってきて、足を組み、僕の正面に座った。
「おめえ、孤独なんだな」
「ああ」
「ガキがませなきゃ生きていけない世界が、一番気色悪いよなあ」と男は言って、机の上に一つの拳銃を置いた。「俺がおまえくらいのとき、当時はただのガラクタだったこいつを、自分の手で改造して使えるようにした。そいつおまえにやる。俺のとびきりのおすすめだ」
「だが、僕に使えるのか?」
「自信を持てよ。自信が肝要だ。少なくとも、初弾を当てる技術はあると、そう思い込め。確かに、反動は、おまえがさっき撃ったやつよりは小さいが、あるにはある。本気で使っていくつもりなら、手首の筋肉を鍛える必要がある。ただ、それはどんなものを使うにせよ、避けられんだろうな」と男はいった。「ホルスターは、あの壁にかけられてるやつから好きなのを選べ。弾はこの店で買うようにしろ。俺の名前と拳銃を見せれば、面白いくらい震えてくれるぜ?」と住所の書かれた紙きれを渡してくれた。僕はそれを受けとった。
「それで、あんたの名前は?」と僕は訊いた。
「俺は、ヴェース。おまえは?」
「光」
「ほう」と男はいった。「いい名前だ」
ヴェースの店を出て、
銃弾を難なく入手し、今日やるべきだった作業を終えた。が、あと二つしたほうがよいことが残っていた。しなければならないというわけではないが、したほうがよいことが残っていた。
僕は仕事用のガラケーではなく、自前のスマートフォンを鞄から取りだし、学園に在籍していたころの同級生に、ひたすら電話をかけていった。一人と連絡がとれ、今から会えるかと尋ねてみると、問題ないと返事をもらった。僕は学園へ向かった。太陽は、あと二時間ほどで沈んでしまうだろうか。空は赤肉のメロンのような色をしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます