第五章

第29話 仙石裕貴と友人たちの応援

 五月第四日曜日の朝、日天ビーチに気持ちのいい陽光が降り注いでいた。雲一つない蒼穹そうきゅうの下、海風が髪の間を通り抜けていく。絶好のビーチバレー日和の中、日天島MBバレージュニア大会が、今まさに幕を開けようとしていた。


「こんなに人がいるとは思わなかったな……」


「明らかに地元民以外の観光客もいるわね……」


「メディアっぽい人もちらほらいるっす!」


 エリスと暗子はパーカーを羽織り、頭には特注のサンバイザーを身につけていた。小さな三角形がちょこんと二つネコミミのように生え、〇の中に『仙』の字が描かれた特徴的な字紋じもんが印字されている仙石猫モチーフのバイザーだ。


 一方、隼人はグラサン、Tシャツ、短パン姿のいつもの格好に大きなバッグを肩から下げていた。


 出禁となっていた日天ビーチに足を踏み入れた仙石建設MBバレー部は、想像以上の観客の熱気と立派な会場に思わず息を吞んだ。


 砂はきっちりと平らにならされ、ネットは歪みなくピンと張っている。〈上級水属性魔法師〉と思われるスタッフが暑さ対策でコートに散水し、会場のいたるところでミストを発生させていた。最高レベルのビーチコートが複数整備されていて、まるでプロの試合会場のようだ。


 コートの周囲には無料観客エリアを仕切る柵があり、そこには協賛企業のロゴが描かれていた。仙石建設の名前もある。無料席から少し離れた位置には有料スタンド席が組み上げられていた。


 隼人たちは総合受付に向かう前に、MBバレー部のマネージャーを探す。


「おーい! みんなこっちよ!」


 有料席専用の受付テントの近くで、若い男性を伴った千尋が大きく手を振っていた。


 千尋は赤いハイビスカス柄、男性はマリンブルーの海辺にヤシの木が描かれたアロハシャツを着ている。


 近くに寄って気づく、男性の容姿に見覚えがある。


「あっ! 配達員――じゃなくて、千尋の兄貴か?」


 男性が白い歯をのぞかせながら、にこやかに手を挙げる。


「やあ! 僕は仙石裕貴せんごくゆうき、よろしく! コーチ君、あのときは騙すような真似をしてすまなかったね!」


 悪びれた様子もなく謝ってくるが、千尋に似て美形かつ爽やかな雰囲気のおかげで、あまり嫌味な感じは受けなかった。


「どうも……って、おい、お前ら。裕貴さんをにらむのはやめろ」


 エリスと暗子が、恨みのこもった眼差しを裕貴に向けている。


「ハハ、お嬢さん方には恨まれても仕方がないな……逆にコーチ君は怒ってないのかい?」


 隼人は悩ましい顔をする。


「うーん、最初は多少の憤りもあったんですが……もともと偽装コーチ作戦がそんなに長続きするとは思っていなかったので、今は別に……」


 松百ペアの実力が急に上がったら、いずれ疑いをかけられたと思う。


「コーチ君は、人間が良く出来ているね。実を言うと、僕が君たちの偽装コーチ作戦を暴こうとしたのは、父に対する点数稼ぎの側面があってね……」


 その話を聞いて、隼人は頭をひねる。


「点数? 社内の出世競争とかですか?」


「ご明察めいさつ! ウチは知ってのとおり一族経営の会社だけど、社長の息子である僕が次期社長になれるとは限らなくてね」


「私たちにも、いとこや、はとこはいるし、一族の中で優秀な人間が経営を引き継げばいいっていうスタンスなの……私は興味ないけど」


 横から千尋が補足する。


「そういうわけで、少しでも父の印象を良くしておくために、今回の件を利用させてもらったのさ。だけど父と違って、僕はお嬢さん方が本当に我が社の役に立つなら、別に雇ってもいいと思っている。ウチが協賛でもあるこの大会で優勝できれば、かなりのアピールになるし、父も認めてくれるだろう。そのときは、コーチ君も正式に雇うよう父に進言しておくよ」


「それはご丁寧に、どうも……」


 隼人は慇懃いんぎんすぎる態度で頭を下げる。


「もちろんお嬢さん方の待遇や給与も改善するよう頼んでおくよ! 今の契約だと、その辺のバイトぐらいしか貰っていないだろう?」


 お金の話を聞いたエリスと暗子の反応は分かりやすかった。顔を輝かせる。


「ありがとうございますー、流石千尋さんのお兄さん、かっこいいです!」


「話が分かる御仁っす! いやー、アタシもこんなイケメンな兄が欲しいっす!」


(おい! 俺のことを心の兄として慕うとか言ってなかったか?)


 隼人は松百ペアの発言に若干疑問を感じるものの、まんざらでもなさそうな顔をしている裕貴に強い口調で告げた。


「ウチのエリスと暗子が優勝するので、他の細かいことはどうでもいいんですが、一つだけ訂正させてもらっていいですか?」


「何かな?」


「エリスと暗子は、プロアスリートです。決して『お嬢さん方』じゃない」


 隼人は裕貴をにらみつける。裕貴の態度からは、エリスと暗子を内心見下しているのが伝わってきて、ムカつく。


 裕貴は笑みを浮かべたが、その目は笑っていなかった。


「それは失礼した……エリス君、暗子君、、健闘を祈っているよ」


 裕貴は踵を返して、有料席の方へ行ってしまった。


 その背中が見えなくなってから、千尋がため息をつく。


「はあ……あんまりハラハラさせないでよ……それにしても隼人君、兄に気に入られたわね」


「え、そうか?」


 何も気づかない隼人に、千尋は呆れ顔を向ける。


「まあ、いいわ……あっちで少し話しましょう」




 隼人たちは観客の休憩スポットとしてビーチに設置されているパラソル付きのテーブルに腰を下ろした。


「それにしても……たかだか島の地方大会なのに何でこんなに人がいるんだ?」


 隼人は近くを通り過ぎる若い男女カップルを目で追いながら言った。


「ああ、そのことね。この大会って試金石しきんせきなの。大会誘致の」


 千尋はなんてこともない風に言う。


「それって、シニアのジャパンツアーっすか?」


「もしかしてワールドツアーも狙ってたり!」


「どっちも正解! 日本は世界的に見てもビーチバレー、MBバレー共に遅れているからね……それは選手やコーチの質の問題だけじゃなく、大会運営についてもそうなの。JMBVA(日本マジックビーチバレー協会)は、日天島で世界クラスの大会を開催しようとしてるって噂よ」


「なるほど……いきなりでかい大会を開くのはリスクがあるから、まずは小さいジュニア大会で実験か……協賛企業が多いのもそういう理由か」


 隼人は会場のあちこちで揺らめいている企業ロゴ入りのぼり旗を見る。


「なんだかワタシたちの大会が練習台にされているように感じるんだけど」


 エリスが頬を膨らませた。


 千尋がエリスをなだめる。


「まあまあ……そのおかげで宣伝も多くて観光客も来てくれたし、メディアの取材もあるんだから、プロとしては絶好のアピールの場でしょ! ここで結果を出せば社長も文句は言わないわよ‼」


「前向きに捉えて、優勝を目指すしかないっすね」


「分かったわよ、もう!」


 エリスがねるのを止めた時、聞き馴染みのある声が背後から響いた。


「あっ! エリス、暗子! 約束通り応援に来たよ!」


 Mバレー部の田中が、部員らしきメンバーを引き連れてテーブルの方へ近づいてくる。


「なかなかの大所帯っすね……」


「初めましての人も、けっこういるんだけど……」


 隼人たちが首を向けると、まだ別荘に来たことのない女子も含めて、十人以上の一団だった。


 田中が頬をかく。


「実は部活でMBバレーは面白いとか、エリスと暗子はかっこいいとか喋ってたら、じゃあ一回見に行ってみるかって、盛り上がっちゃって……」


「そうだったんすか⁉ ありがとうっす!」


「応援は力になるから、みんなよろしく頼む。そうだ! 優勝したらみんなでパーティーでもするか? それなら初対面の人とゆっくり話もできるだろうし……どうですかね? ボスの意見は?」


 隼人はおどけた調子で、雇い主の千尋に意見を求める。


 千尋は少し考えると、うなずいた。


「それはいい考えね! 優勝したら正式なチーム結成パーティーを開きましょう‼ 兄さんも呼んで、費用は全部負担させるわ‼」


「ええっ! 大丈夫なのか?」


「写真のみそぎだって言えば、払ってくれるわよ!」


 兄妹の関係性はよく分からないが、千尋がそう言うなら問題はなさそうだ。


 暗子が勢いよく手を挙げて話に加わる。


「じゃあ、アイデアがあるっす。この前はピザだったから、今度はハンバーガー作ってみたいっす!」


 エリスが反射的に答える。


「和牛の高級ハンバーガーがいい! ポテトとナゲットもつけて!」


「もちろん全部食い放題っすよ‼」


 パーティーの料理を想像して、エリスと暗子どころか、田中たちMバレー部の面々もよだれを垂らしそうな顔をする。


 千尋が笑いながら、隼人の肩を叩いた。


「バーガーパーティー開催決定ね! 頼むわよ! 隼人君!」


「任せろ、最善は尽くす!」

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