#30 嵐の前

 空港の手荷物受け取り場に出てきた一人の女性が、ベルトコンベアーに乗って流れて来たキャリアバッグを受け取って屋外に出た。右手で黒いキャップのツバを少し上げ、サングラス越しに晴れ渡った空を眺める。


「なんとか移動できましたね。私、関西に来るのは初めてです」


 白色のカーディガンと紺色で裾の広いスエットパンツを着こなし、赤髪のツインテールを揺らす女性——北山美波はニッ笑って同行者の方を見た。


「遊びに来てるの? なんなの?」


 美波の同行者である死装束姿の幽霊少女——レイは冷ややかな目で美波のことを見つめる。


「いいじゃないですか、ちょっとくらい浮かれたって。初めてなんですよ。京都に行ったら、湯豆腐にお抹茶、あと、にしんそばも食べておきたいですね」


 楽しそうに話す美波に向かって、レイは先が不安だとばかりにため息を吐いた。


「わかってますよ。ちゃんとショタくんも見つけ出して、徹底的にレイの過去について聞き出してやりましょう!!」


 美波はそう言いながら拳を前に突き出して、パンチをする仕草をしてみせる。


「それに……あの子はレイのお友達なんですよね。ちょっと怖い感じでしたけど、しっかり話し合えばきっとわかり合えますよ」


 続けてそう言った美波は、はっちゃけた笑顔から優しい笑顔へと表情を変えた。

 なんて楽観的で適当な考えなのだろうとレイは思った。しかし、それが彼女なりの最大の配慮なのだろう。クヨクヨばかりはしていられない。気をしっかりと持たねば。

 レイは一度だけパチンと自分の両頬を叩いた。その様子を見た美波は、少しだけ驚いたような反応をする。


「よし、行こうか! 京都へ」




 陰陽寮の門から屋敷の入り口に掛けて石畳で造られた長いアプローチの脇には、桜の木が植えられている。


「綺麗だな」


「本当、綺麗ですわね」


 屋敷の入り口付近で、春明とお嬢は満開に咲き誇る桜の花を眺めていた。

 季節は春となり、春明の服装も、カーキ色のジャケットに中には謎がらのシャツ、黒色で細めのデニムパンツと季節相応のものとなっている。

 温かい緩やかな風が吹き込んで、桜の木は花びらを僅かに散らす。なんと穏やかな光景だろう。


「おや、春明くん。それにお嬢ちゃんも。こんなところにいたのか。今日も稽古かい? それともデートだったかな?」


 晴明がやって来て彼らのことを茶化した。


「稽古ですよ。稽古。……雷明がいつ攻めてくるかもわからないんで、なんかじっとしてらんねーんですよ」


 春明は、怪訝な顔で晴明に言い返した。


「ははは、真面目だね君は。でも、あまりこんは詰めすぎるなよ。いざという時に動けなくなっていては困るからね」


「もしそうなっても、晴明さん一人で片を付けてくれれば問題ないでしょうよ」


「そうだな、間違いない。なんてったって私は天才だからな。きっと私一人でやっつけてしまうよ。だから、たまには息抜きをしよう。今日は皆で花見でもしようじゃないか」


 嫌味っぽい春明に向けて、晴明はにっこりと笑ってみせた。



 その日の昼、寝殿造の庭園で陰陽寮の皆んなを集めて花見会が開かれた。大きなレジャーシートを何枚も広げて、そこに座って彩葉たちが作った弁当を桜を見ながら食べる。

 楽しいはずの会であるが、皆んなの間には何処となく緊張感が走っていた。


「おいおい、皆んな。そんなに堅くなるな。もっと楽しもうじゃないか。ほら忠司ただし保憲やすのりを連れてきて一緒に余興でもしたらどうだい?」


 晴明がオレンジジュースを片手に、まるで酔っ払いのように保憲の側近である忠司にだる絡みをする。


「晴明様、すみません。まだ保憲様は本調子ではなくて……」


「なんだ、いい加減立ち直って欲しいものだけどな」


 愛娘である星奈せいなを失った賀茂家の頭首、賀茂保憲は未だ屋敷に籠ったままであった。まだ立ち直ってくれないのかと、晴明は少し寂しい顔をする。


「晴明様!!」


 晴明の側近、安倍吉平が真面目な顔で立ち上がった。


「こんな呑気なことをしていてよろしいのですか!? ついこの前、ここが桔梗に襲われて、さらには史上最悪の悪霊『雷明』も復活した。またここがいつ襲われてもおかしくはない状況なんですよ!」


 この間の桔梗襲撃により、陰陽寮の陰陽師たちは大きな被害を受けていた。悪霊の攻撃により大怪我を負った者の中には、まだその傷が完全に癒えていない者もいる。こんな時に、また陰陽寮が襲撃されてしまえば、今度はどこまで被害が広がるか想像もつかない。


「大丈夫。今は私がいるじゃないか。万が一、今ここが襲われたとしても私がなんとかしてみせるよ」


 晴明の楽観的な言葉に「あなたはまたそう言って……」と吉平が渋い顔をする。


「相手は五百年前の晴明様が除霊できなかったほどの大悪霊ですよ。その強さは正直、計り知れません。完全復活した彼に勝てるという見込みはあるのですか?」


 芦屋家の頭首——芦屋光樹は、不安そうに晴明に問いかけた。


「勝てる。この前、実際に雷明と対峙してそう感じたよ」


 晴明が「あはは」と笑いながら言った。


「晴明様がすごい方であると皆、重々承知しております。しかし、こんなことをやっていていいのでしょうか。私たちは少しでも稽古をしなければ……正直、桔梗の相手すら務まらないのではないかと」


 忠司は少し顔を俯かせながら言った。それに釣られて、周りの陰陽師たちも不安な表情をみせる。


「君がそんな表情をすると皆が不安がるじゃないか。春明くんにも言ったけれど、あまりこんを詰めすぎるな。稽古も大切だが、気を張りすぎて重要な時に動けなくなるようじゃ困る。休息も必要だ。それに、今ここを襲われたとしても、その時の動きはもう皆、承知しているだろう? 皆なら大丈夫だ。私が保証するよ」


 晴明がそう言うと、晴明の側近である安倍吉昌よしまさがすくっと立ち上がった。


「晴明様がそうおっしゃっているんだ! 僕たちならきっと大丈夫! だから今は楽しもうよ! しっかりと力を蓄えよう」


 吉昌は拳を握りしめながらにそう言うと、すっと座っておにぎりを口いっぱいに頬張った。そんな吉昌の姿を見て、緊張がほぐれたように皆が笑った。


「ほら、ということであんたたち! じゃんじゃん食べな!! まだまだたくさんあるからね!」


 彩葉がパンパンと手を叩いて言う。その言葉を聞いて「そうだな、今日は思いっきりはしゃいでやろう」と、陰陽師たちは弁当を頬張り始めた。


「さすが私の弟子だ」


 晴明はおにぎりを頬張る吉昌に、優しい笑顔を向けた。

 桜の花びらが一枚、ひらひらと落ちてきて、春明が飲むジュースの水面を揺らす。春明は顔を上げて桜の木を眺めた。


「花見なんて本当に久しぶりだ。たまにはいいな、こういうのも。あいつらとも一緒にできたら良かったんだけどな」


「ですわね」


 お嬢も春明の隣で、少し寂しそうな表情を浮かべながら桜の木を眺めた。


 その日、陰陽寮の皆は夕方になるまで花見を楽しんだ。桔梗の襲撃により、張り詰めた空気が漂っていた陰陽寮にとって、この会はとても有意義なものとなった。吉平はしばらくは納得のいっていない様子であったが、周りの陰陽師から何やら茶化されてからは、表情がすっかり柔らかくなっていた。




 夜になって、晴明が春明の部屋に訪れた。


「どうしたんですか? 晴明さん」


「ん? 晴明様……君のお父様の話をしておこうと思ってね」


 晴明がちゃぶ台の前に腰を下ろす。


「どうしてまた急に……」


 窓辺で星を眺めていた春明も晴明の対面に座った。「私も聞きたいですわ」とお嬢もちゃぶ台の前にすとんと座る。


「私の師匠、君のお父様はね、本当に正義感の強い人だったよ。一六年前、桔梗率いる悪霊が陰陽寮を攻めて来た時、彼は自らの式神のほとんどを桔梗を倒すためではなく、陰陽寮の皆を守るために使っていた。もし……式神を桔梗を倒すためだけに使っていれば、師匠が死ぬことはなかったかもしれない。でも、そのかわりに多くの死人が出ていただろうね」


「親父以外は誰も死ななかったんですもんね。ほんと、さすがですよ」


 春明は呆れたように、しかし、それと同時に誇らしいといったように軽く笑った。


「本当に、師匠はすごい人だった。桔梗を極限まで弱らせてくれたおかげで、あの頃の私にでも彼女を追っ払うことができたんだから」


 晴明は目を閉じて言った。

 あの日の光景は今でもしっかりと瞼の裏に焼きついている。自分の目の前に、師匠の生首が血飛沫を撒き散らしながらコロコロと転がってきたあの光景を。それからは無我夢中だった。怒りと高揚感で桔梗と戦っている時のことは、晴明自身よくは覚えていなかった。気がついた時には、桔梗を退かせた英雄となっていた。

 晴明がゆっくりと目を開く。


「雷明が陰陽寮に攻めてきたら、前にも言った通り、私一人で相手をする。君たちと安倍家の皆には、安全なところで待機していて欲しい」


「まあ、俺らがでしゃばっても邪魔になるだけでしょうからね。…………あの時の親父と同じことをしようとしているんですか?」


「あはは、私は師匠みたいにはなれないよ。皆んなを守りたいという思いはもちろん私にもある。でもね、それ以上にね、ワクワクしてしまっている私もいるんだ。なんてったって相手は世紀の大悪霊だからね。どれほどの強さなのか楽しみだ。だから、皆を守る仕事は君にお願いしたい」


 春明が目を逸らしながら、短く「もちろんです」と返事をした。すると、晴明は立ち上がった。


「その返答が聞けて良かったよ。それじゃあ、夜分遅くに失礼したね」


 晴明が襖に手をかけたその時、「晴明さん!!」と春明が呼び止めた。


「まさか、死ぬつもりじゃないですよね」


「……当たり前だろう。私は史上最強の陰陽師だぞ」


 晴明は軽く振り返ってから柔和な顔つきでそう言うと、春明の部屋を後にした。


 


 翌日、今日も空は晴れ渡り、雲ひとつない心地の良い日となった。

 部屋では、晴明が椅子に座って小説を静かに読んでいた。近くで吉平が、急須から湯呑みに茶を注いでいる。


「昨日は気を使っていただいて、ありがとうございました」


「ん? ああ、気を使っただなんて、そんなふうに思っていたのかい? 別に、私が花見をしたかったから皆を集めただけだ。礼なんて必要ないよ」


 それでも、浮かない顔をしている吉平を見て晴明は続けた。


「あのこと、まだ気に病んでいるのかい? 言っただろう。あれは仕方ないって」


「ですが! 私たちが悪霊に気を取られているすきに、マチさんを怖い目に遭わせてしまいました。私がもっとしっかりしていれば」


 視線を下げる吉平の頭に、晴明はびしっとチョップをする。


「痛っ、何をするんですか晴明様!」


 吉平が頭を両手で押さえて叫んだ。


「うじうしすんなし」


「でも!」


「過ぎた事をいつまでも悔やんでいても仕方ないだろう。いいじゃないか、マチも無事に戻ってきて、すっかり元気になった。お前にできることは、これから皆を守っていくことだ。しっかりと前を向け!」


 晴明が吉平に向かってニッと笑ってみせる。


「わかりましたよ」


 吉平は少し恥ずかしそうに目を逸らして、頬を膨らませた。

 次の瞬間、『リリリリリリリリリリリリリリン』とけたたましい鈴の音が陰陽寮中に鳴り響いた。悪霊が陰陽寮の敷地内に侵入したという合図である。今まで聞いたことが無いほどの激しい音色に、二人は異様な空気を感じ取った。


「まさか……奴が来たのか!?」


 吉平が動揺の表情で言った。


「それじゃあ、行ってくる」


 晴明は湯呑みに入った茶を一気に飲み干すと、すっと立ち上がった。その彼の表情は穏やかで、なぜこんなにも冷静でいられるのかと、吉平は改めて晴明の凄みに驚かされる。


「白虎」


 部屋の窓を飛び越えた晴明は、呼び寄せた白虎に跨り、走り去っていった。



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