『月夜の名前を知るとき』 ―The Twelve Full Moons Stories―

Algo Lighter アルゴライター

1月 🌕ウルフムーン ― 君にだけ、届く声 ―

雪は、音を消す。

風すら息を潜めた白銀の森の中で、少年は静かに立ち尽くしていた。 


真冬の山村。携帯もろくに繋がらないここに、少年・冬馬(とうま)は引っ越してきたばかりだった。母の転勤の都合で、都会から何もないこの村へ。

見知らぬ方言と、閉鎖的な空気。話しかけても目を逸らされ、答えてもらえない教室。

「都会もんは鼻が高い」「すぐいなくなる」そんな声が、隠しきれず耳に届いた。


「……別に、どうでもいいよ」

そう言ったのは防衛のためで、本心ではなかった。誰かと話したかった。誰かに、必要とされてみたかった。



その夜。

寝つけずにベッドの上で目を閉じていた冬馬の耳に、遠くから響く低く、悲しげな遠吠えが届いた。


――アオォォォオオォ……ッ……。


吹雪の中で、確かにそれは響いていた。

まるで誰かが、孤独を告げるような声。

なぜだかその瞬間、冬馬の胸がざわめいた。心の奥、凍りついていた何かが動いた。


「行こう」と、体が勝手に動いた。


厚手のコートを羽織り、外へ出た。母には黙って。雪は深く積もっていたが、足跡を追うように山へと分け入っていく。月は満ちていた。大きな、ウルフムーンが、白銀の世界を青白く照らしていた。


 


ふと、視界の端に動く影があった。

冬馬が振り向くと、そこには――


一匹の、銀白の狼がいた。


けれどそれは、ただの獣ではなかった。

その目には、まるで人間のような“理性”が宿っていた。傷ついた瞳だった。孤独と怒りと、悲しみと……どこか懐かしさ。


「……君も、一人なんだね」


狼は答えない。ただ、じっと冬馬を見つめていた。

そして、ゆっくりと雪を踏みしめて去っていく。


冬馬はその背中を、自然と追っていた。




それから数日、冬馬は放課後になると森へ行き、狼を探した。

村人たちは「山犬なんて見たら絶対に近づくな」「あれは不吉だ」と口を揃えていたが、彼にとってそれは、唯一の“対話”だった。


狼と出会う夜は、どこか心が静かだった。

話せない。でも伝わる。

狼の目を見ていると、不思議と自分自身と向き合っている気がした。


ある日、冬馬はつぶやいた。


「俺、逃げてきたんだ。本当は、友達なんか作るのが怖かっただけ。嫌われるくらいなら、最初から誰も近づかない方がいいって……そう思ってた」


狼は黙っていた。ただ、その言葉に寄り添うように鼻を鳴らした。


その夜の遠吠えは、どこか優しかった。




だが、村に異変が起きた。


鶏小屋が荒らされ、物置の扉が引き裂かれた。

誰かが叫んだ。「やっぱり山犬だ!」と。


「殺すしかねえ。山にワナを仕掛けるぞ」


冬馬の心臓が跳ね上がった。

「違う。あの子は、そんなことしない!」


そう叫んでも、誰も信じなかった。


 


満月の夜。

雪は止み、月光がすべてを照らす静かな夜。


冬馬は、森へと走った。

凍った空気が肺を刺す。でも止まらなかった。


彼は叫んだ。


「そこにいるんだろ!? 逃げてくれ!! 君まで、いなくならないでくれ!」


そのとき、枝が揺れた音とともに、狼が姿を現した。

静かに、誇り高く。そして――人の姿をしていた。


冬馬は息を飲んだ。

少年の姿をしたその存在は、銀髪に金色の目を持ち、衣服すらまとうことなく、雪を踏みしめて歩いてきた。


「やっと、届いたね。君の声」

「……君は……誰……?」


「僕は“月に帰れなかった狼”」

「この村に、昔からいた。でも人は僕を恐れて、追い払ってきた」

「……でも、君だけは違った。僕を見て、“一人じゃない”って言ってくれた」


冬馬は気づく。

この存在も、自分と同じだった。

理解されず、怖がられ、ひとりきりで凍えていた。


「じゃあ……行こう。今度は俺が、君を守る」


少年は、手を差し出した。

狼は微笑んで、それを取ろうとした……そのとき。


銃声が響いた。


 


それから数日後。

雪解けの兆しが見える朝。

冬馬は山の中で、真新しい“足跡”を見つけた。


それは狼のものではなかった。

明らかに、人のものだった。雪の奥へと続く、足跡。


彼は笑った。


「……生きてるんだな」


あの夜、命中しなかったことを祈るように。

あの少年が、またどこかで生きていてくれることを願いながら。


そして、空を見上げた。

大きく澄んだ、ウルフムーンがそこにあった。


遠くから、小さな遠吠えが聞こえた気がした。


それは――


「ありがとう、冬馬」


という声にも聞こえた。


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