ピアノとクレーム

紫野一歩

ピアノとクレーム

 古物商を営む私が常々思っているのは、物を売るには二割の良品と八割のセールストークが必要だという事である。ここにふらりとやって来た人間が見ている物が、如何に価値のある物なのかを説明する、この手腕。それ次第で、その物がガラクタなのか歴史的価値のある高級品なのかが決まってくると言っても過言ではない。

 一般の人間が一見してその歴史的価値を理解することなど、ほとんど出来ないのだ。だから私の説明が鍵になって来るというわけで。

 まぁ、ごく稀に本物のガラクタが混じっているのだが、それも私のトーク一つで不思議と歴史的価値が付いて来る。まったく、不思議なものだ。

 昨日売ったピアノもまさにそんな代物だった。

 古物商の繋がりで半ば押し付けられるように送られて来たグランドピアノ。送り付けて来た男の話によると、なかなか買い手も付かず、かといって置いておくと店のスペースを圧迫する。捨てようと思っても廃棄料も馬鹿にならない。なので二束三文でいいから私に引き取って欲しい、という事だった。

「おたくなら口八丁でいくらでも売れるでしょう?」

 男はそんな事を言って笑っていたが、押し付けられた私としては面白くない。安い買い物だったがそこからさらに値切ってタダ同然で引き取った。まったく、私の悪名……もとい、噂が広がり過ぎるのも考え物である。

 その交渉の中で、こんな会話が交わされたが、私は忘れる事にした。

「そんな安値で売れないなんて、何か『曰く』があるんだろ?」

「へへへ……いやぁ、前の持ち主の家でほんのちょっと事件があっただけさ。そこのお嬢さんが一人死んだだけ。ただそれだけだよ」

 そしてその男の言う通り、私は口八丁……もとい、誠意ある接客によりピアノを仕入れて三日で売りさばいた。それが昨日のことである。

 売った相手はチンピラ然とした若者で、あまり金を持っている風には見えなかったのだが、どうやら何処かのボンボンらしく、私の言い値であっさりと契約成立した。

 契約の前にした私の説明が素晴らしかったからだろう。曰く? そんなものは知らない。

 売り上げから利益を計算して、その数字を眺めた私は、満足して煙草に火を点けた。


        ☆


 電話が掛かって来たのは、ピアノを売ってから一週間ほど経った頃だった。

 朝っぱらから鳴り響く電話を取ると、凄い剣幕で男の怒鳴り声が聞こえてきた。

『おうてめぇ! なんてもん売ってくれるんじゃコラ! おう? ボケ! カス!』

 五秒に三回くらい罵られる。

 以前売りつけた時もガラが悪く態度もでかかったが、今日はそれに輪を掛けてチンピラである。悪口が機関銃の様に私に突き刺さるので、思わず電話口から耳を離した。

 そのまま彼が気の済むまで、黙って悪口の雨あられを聞き流す。それから三分間は彼のボキャブラリーを全て絞っての悪口が並べ立てられた。

「失礼致しました。どのようにご不満な点がございますでしょうか」

 彼が継ぎの句を考え始めた辺りで、すかさず質問してみる。

『ピアノが夜中に勝手に鳴るんだよ! ポロンポロンよぉ!』

 彼曰く、一昨日の夜からピアノが勝手に鳴り始めたのだという。

「失礼ですがご家族の方が弾いているという可能性は……」

『一人暮らしに決まってんだろ馬鹿!』

 そんな事こちらは知る由も無い。しかし、曰くつきは本当だったようだ。そういった類の噂は聞いた事くらい一度はあるが、実際に起きたのを聞いたのは初めてである。

『なぁ、お前知ってたんだろ!? このピアノが呪われてるってよ! こんなもん返品だ返品!』

 まずい事になった。この男の言うように私は説明を“たまたま忘れて”ピアノを売りつけた為、返品されても文句が言えなくなってしまう。この場でしらばっくれようとも考えたが、このピアノの仕入れ先を辿られたら厳しい。この男にそこまでの調査力があるとも思えないが万が一の事を考えると事は大きくしたくない。

 かと言って、返品もされたくない。どうしたものか……。

『おい、早く引き取ってくれよ!』

 思案している私の耳に、さらに追撃の様に男の怒鳴り声が聞こえる。

 それを聞いて私の頭に一つのアイディアが閃いた。

「失礼ですがお客様、もしかして、怖いのでしょうか」

『…………』

 電話の向こうに沈黙が広がる。私はそれを黙って聞いていた。

『……怖くねぇよ』

 よし、ぴしゃりだ。

 この男は怖がっているが、それを他人に知られるのが恥ずかしいようである。それであればこちらにもやりようがあるというものだ。

「呪いは怖くない、という事でよろしいでしょうか」

『当たり前だろうが!』

「それでは何故、私がお売りした商品に不満があるのでしょうか。奏でる音は一級品かと存じますが」

 これは事実である。物自体は良いのだ。

『……あの、あれだよ。……うるせぇんだよ! 夜中だろうが!』

「グランドピアノを購入なさったので、お客様の家には防音設備があると理解しておりますが……」

『……あれだよ! 下手くそすぎるんだよ! 防音でも少しは聞こえて来るだろ? ちゃんとした曲ならそれ聞いて眠れるかもしれねぇけど、下手くそだと気になって眠れねぇだろ!』

「という事は、お客様は呪いそのものではなく、奏でられる曲が下手くそなのが不満だ、ということでしょうか」

『そうだよ! 早く引き取ってくれ!』

「でしたらグランドピアノの譜面台に練習曲を置いておく、というのは如何でしょうか」

『……は?』

「お客様は先ほど、ちゃんとした曲なら眠れる、と申しました。という事はその夜中に奏でられる曲が上手くなればいいという事ですよね?」

『ちが……そういうわけじゃ』

「怖いんですか?」

『怖くねぇよ!』

 かくして私はさらにフランスの中世時代に作られた名も無き譜面を売る事に成功した。値が上手く付けられずに持て余していたものなので助かった。

 しかし、あのチンピラはどういう人間なのだろう。

 グランドピアノを置けるような家に一人暮らしとは。

 きっと金持ちの両親から見放されて、半ば勘当のように一軒家をあてがわれたのだろう。実家から追い出されて、寂しくて音楽を始めてみた、というところか。


        ☆


 譜面を売りつけてからさらに一ヵ月程経った日の事だった。

 朝っぱらからの非常識な電話に嫌な予感がして出てみると、やはりあのチンピラだった。何故こんな健康的な時間に電話を掛けて来るのだ。おじいちゃんか。

『おい! 何とかしろ!』

 第一声で大分嫌気が差す。

「……何をでしょうか」

『お前に売りつけられた楽譜な、練習曲とか言ってたけど難しいやつ混じってるだろ! いっつも同じところで躓いてんだよ!』

 どうやら譜面台に練習曲を置く作戦は成功しているらしい。信じられない、上手くいくとは思わなかった。

『いっつもこっちが夢に片足突っ込んだタイミングでミスりやがって、気になって眠れねえわ! 返品だ返品!』

「ち、ちょっと待ってください。お客さん、ほとんど夢の中まで行ってるんでしょう? もう少しじゃないですか。そこのフレーズさえ乗り切れば眠れるんでしょう?」

『それはそうだけど……でも返品する方が早いだろうが!』

「一ヵ月粘ったんだからあと少しの辛抱ですよ。努力は一夜にしてならず、です。……そうだ、私の知り合いにピアノの先生がいます。腕がいいのでその人を向かわせますので、昼間に実際に弾いて見せてみればいいのではないでしょうか。そうすればもしかしたら、それを見て活かせるようになるかもしれません」

 何が活かすのかは知らないが。

 私は紹介料として五パーセントを受け取り、ピアノの教師であるAを紹介した。彼女は度々連絡を私にしてくれ、レッスンは順調だと言っていた。

 どうやらチンピラ自体も一緒に習っているらしく、Aが順調と言っているのはそのチンピラに対しての感触だった。まさか夜中にピアノを弾く何者かに教えているとは夢にも思っていないだろう。

 それから、チンピラからの連絡はしばらく途絶えた。Aからの五パーセントの紹介料は毎月入っているので、レッスンは続いているらしい、という事だけはわかった。


        ☆


 レッスンを始めてから二年くらい経っただろうか。三年だったか。この歳になると記憶力が落ちてしまって仕方ない。

 また朝っぱらに電話が鳴り響いた。どうやら彼の生活リズムは何年経ってもこのままらしい。きっと長生きするだろう。

『おい。ちょっと相談があるんだけど』

 前までの怒鳴り声ではなく、トーンダウンした低い声が聞こえて少し拍子抜けする。

「何でしょうか」

『先生からな、発表会に出ないかって言われてな』

「いいじゃないですか。そんな事言われるなんてピアノ上手くなったんですね」

『俺は別にいいんだよ! じゃなくてな、あいつも何とか出られるようにならねぇか?』

「あいつ?」

『夜中にうるせぇあいつだよ! あいつめっちゃ上手くなったぜ? 発表会があるならそれをみんなに思い知らせてやりてぇんだよ!』

「それは……独りでに鳴るピアノを発表会に出したい……と?」

『そうだよ! 悪ぃかよ!』

 私は今まであらゆる物を売って来た。それこそあのピアノの様に、他の同業者が匙を投げる物でも何でもだ。しかし、こんな相談は初めてだ。……呪われたピアノの演奏をみんなに聞かせたい? それもコンサート会場で? 何だそれは!

『何とかなんねぇのかよ! おっさんなら上手い事やれんだろ!』

 彼の中で私に対して謎の信頼が生まれているらしい。そんな事を言われたら、何とか考えてやりたくなるのが人の情というものだろう。そうなのである。私にも人の心が幾ばくかはあるのだ。

「では、こういうのは如何でしょう。私の店に、一見しただけでは使用用途が分からない骨董品がございます。木製の箱に金属製の部品が程よく付いた物です。使用用途については私がまだ調査しているところでしたが、見た目的には近未来の発明品に見えなくもない。程よいレトロ感が逆に新しさを感じさせるのですね。それとピアノをコンサート会場に一緒に並べます。そして世界初の鍵盤に触れない遠隔演奏と銘打つのです。遠隔演奏であれば、演奏者が誰かわからなくても問題ございません」

『バレねぇかな?』

「バレませんよ。遠隔操作と呪い、どちらが信憑性高いでしょう? 人は科学に妄信的ですので、呪いが掛かっているなんて発想に至る方は一人もいません」

『……確かにな』

「それと、堂々と発表することですね。堂々としていればそれだけで何となく信頼されるものです。政治家をごらんなさい。彼らのほとんどは堂々と嘘を吐くから、みんなそれを一旦信じてしまうではないですか」

 かくして私は得体の知れない木製の物体を高額で売りつける事に成功した。

 本当に何に使うかわからずそこら辺に放っておいたものだが、誰かにとって重要な仕事を担えるのなら、ガラクタにだって価値は付くのである。


        ☆


 得体の知れない物を売ってから、二週間が過ぎた。

 発表会は上手くいったのか気になっていたところに、電話が掛かって来た。

 朝っぱらからの電話だというのに、私は一目散に受話器を取る。

『おい……どうなってんだよ』

 私の期待した声のトーンではなかった。

 期待していたのは、ピアノの発表会が成功した報告である。きっとその声は弾んでいなければならない。

「……どうしました。ピアノの発表会は……?」

『成功したよ。大成功だ』

 私はホッと胸を撫で下ろした。何だ、びっくりさせやがって。しかし、それならば何故そんなに沈んだ声をしているのだ。

「良かったじゃないですか」

『ああ。それはいいんだよ。問題は今だよ、今』

「今? 何かあったんですか?」

『何も無くなったんだよ』

「……と言いますと」

『夜中にピアノが鳴らなくなったんだよ』

 電話の向こうのチンピラの声は、少し震えている様に感じた。

『発表会が終わってから、もう一週間も鳴ってねぇ。最初は俺が早く寝過ぎてるからかと思ったんだ。だけどたまに遅く寝る時も鳴らなくてな。試しに昨日から寝ないで起きてた。……やっぱり、鳴らねぇんだよ』

「…………」

『どうにかなんねぇのかよ』

「……そのピアノ。呪いのピアノと言っていますが、実際は違ったのかもしれません」

『どういうことだよ』

「少女が一人いました。恐らく、ピアノが大好きな少女だったのでしょう。ピアノが大好きで大好きで、いつかコンサート会場で沢山の人の前でピアノを弾きたい。そんな夢を見ていた少女が、いたのです」

 ――ほんのちょっと事件があっただけさ。そこのお嬢さんが一人死んだだけ。ただそれだけだよ――。

 私の頭に、そう言って笑った同業者の顔が浮かんだ。

「その少女の夢は叶う事はありませんでした。ピアノには呪いではなく、未練だけが残っていたのだと思います。きっとそうなんですよ。その未練に少女は永遠に縛られるはずだったんです。……少女はきっと、あなたに感謝してますよ」

 あくまで私の想像だ。想像だが、それを信じたいと思った。

 受話器の向こうからは、鼻水を啜る音が聞こえて来た。しばらく沈黙が続く。私から電話を切る気にはなれなかった。

『……返品だ』

「はい?」

『返品する! もうこのピアノなんていらねぇよ! 勝手に鳴らないピアノに何の価値があるんだよ!』

「……残念ですが、それは出来ません。お客さんは夜中に勝手に鳴らないピアノを購入したんですよね。という事は思い通りの品を買った事になる。それを返品は出来ませんよ」

『うるせぇ! あれだけ上手くなったのに……あんなに拍手貰ったじゃねぇかよ……まだだろ……まだ色々弾く曲残ってるだろ……いらねぇよ、普通のピアノなんて』

 その時、電話の向こうから、綺麗な和音が聞こえた。その音は、私と彼を惹き付け、言葉を消し去る。

 続けて、流れるような旋律。何処か弾むような、楽しくて楽しくて堪らないとでも言うような、活力に満ちた爽やかな音の流れ。

 嗚呼、なるほど。上手くなったのだろうな。そしてこれからも上手くなるのだろうな。

 その曲を聞くと、目の前が明るくなるようだった。


 どうやら私の想像は外れていたようである。

 少なくとも、呪いはまだまだ続きそうだ。

 恐ろしくも、ずっと輝きながら。

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