「またね、大好き」
戸玲籾 貫
「またね、大好き」
「――時々、花が降るでしょう」
「え? ……ああ、花? そうな、ここらじゃ花霰って呼んでるよ」
「あれは、天使の涙なんです」
そう言ったエラの表情は窺えない。くり抜かれただけの窓に座りこむ背は相変わらずしゃんと伸びて揺るがない。
「……はあ……?」
突然、何の話だよ。
連れられるまま町外れの塔を登ってきたものの、今さら何を話せばいいのかわからないし、エラもまともに返事をしないから困りはてていたのだが――
「通常、天使は泣くという行為をしません。悲しみなんて情動は存在しないのです。そういうふうにできているので」
――もっと他に、話すことあるだろ
「でも、この最終試験の合否が言い渡される日だけ、時折、涙を、花を零す天使がいる……」
そう呟きながら膝を抱えたエラの背が、くらりと揺れて、石造りの壁にぶつかる。布を巻きつけただけの服では冷たかろう、と思うのだが、何度言っても聞かない当人は冷たさすら感じないらしい。これが種別の違いというものだろうか。
日は傾きはじめ、青い空に浮かんだ雲が橙色に滲みだしていた。
エラに初めて出会ったのはひと月程前だ。
その日、俺は母の墓参りに来ていた。山の中腹に作られた墓地はだだっ広く、道中見かけた小動物らの物音さえ、一切聞こえなくなるのがいつも少し怖い。さっさと済ませて帰ろうと思いながら墓地へ踏み入ったとき、それを見た。
陽光も霞むような輝く一対の翼。その奥に覗く、人間の手足。
思わず足を止めて、じっと目を凝らした。
確かに手足があった。人間の頭があった。肩の部分から豊かに震える純白の翼があった。
野鳥の類ではない。幼子が興ずるような装飾品でもない。
目の前の生きた幻に圧倒されながらも判然と悟った。
あれはまさしく、聖書で説かれた天使ではないか、と。
「天使でも不合格に落ちこんだりすんのな」
「……まあ、そういうことかもしれません。私たちにとって、主に仕えて職を全うすることこそが存在意義ですから」
吹きこむ風が冷たい。服の襟を引きよせ、左右の袖へ両方の手を突っこんだ。
陽光がぼんやりと右側の視界を埋めていく。
「合格条件、覚えていますか」
「え? あー……四十日人間と過ごして帰る、だっけ?」
すると、一拍ほどおいたのち、エラはため息をついた。こちらからは見えなくとも、いつものごとく愚か者と見下す目をしているに違いない。
「相変わらず、あなたは他人の話を半端にしか聞いていませんね」
「大意合ってりゃ問題無いだろ」
「大事な部分を落としていたら意味が無いでしょう」
「なんだよ大事な部分」
「……天使として、帰還することです」
「はぁ」
「天使たる姿とは何か、わかりますか」
「わからん」
「でしょうね」
「なんなんだよ」
こいつだって相変わらずだ。なんか神妙な空気を漂わせるからちょっと心配したのに、余計だったらしい。
「実のところ、私にもその基準は知らされていません」
「……ズルじゃん」
「いえ、その在り方を会得することも試験の内、ということです」
「ソウデスカ」
難しいことはわからん。生まれてこのかた、自分の存在意義なんて考えたことがない。今日明日の飯の心配をするので精一杯だ。
「おまえは、わかったのかよ。天使の在り方っての」
陰りはじめた空が燃えるように染っていく。陽の当たる部分だけがわずかに温かい。
「……天使は、主の物でなければならないのだと思います。主の言葉に従い、主のために働き、主を愛し、愛され、存在する、ということかと」
なんだそれ。
「つまんねーな」
「崇高でしょう」
足元から這い上がってくる冷気がじんと体を痛めつける。
生きていくこと以上に欲しいものなんて、求めたところで身に毒だとわかっている。
わかっている。
「さて、そろそろ時間です」
そう言って立ち上がったエラは、なおもこちらを見ようとしない。
「……」
――その一瞬の間に、眩い光が瞬いた
「聞きなさい、人間」
大きく膨らんでいく光はエラの姿を霞ませていく。
「私は天に生まれしものである」
ようやくこちらを向いたものの、眩い光に包まれたエラの顔は暗い。
「此度、試験への協力、大儀であった」
何者か知れない声だった。
「なぁって……エラ……」
わかってる。
「主はどんなときも私たちを見ておられる」
わかってた。
「これからも、日々の礼拝に努めるよう」
「聞けよ! エラ!!」
嫋やかに広がった純白の翼は、あの日見たものと同じだ。
咄嗟に駆けた。
押さえつけたエラの足は石のように冷たい。見上げた瞳は怒ったような色をしていた。
しかしそれは霧と等しく手の内から抜けていく。
叩きつけられた強風に押され、後方へと倒れこんだ。
強ばる目をどうにか見開いた先に、夕焼けの中に立つエラの姿があった。
「っ、エラ!! 待てって!!」
窓から身を乗りだしたが、届かない。俺はこの枠を越えられない。
「エラ!!!!」
――おまえは、そんな顔をするやつだったか?
突き刺さる光に抗って目を凝らした。
エラの口が、小さく俺の名を呼んだ気がした。
「ありがとう」
「とても、たのしかった」
わずかに聞こえた言葉は風にかき消されて有耶無耶になる。
次に空を見上げたときには、その光すらも見つけられなくなっていた。
――その年、町に降った花霰の量は、史上一番を記録したという
「またね、大好き」 戸玲籾 貫 @Kan_Doremomi
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