第11話 ラレッタはーー



「ハムさんっ!?」


 悲痛な声が森に響いた。

 ユーシャの目に入ってきたのは生命の源と呼ぶべき、赤。


「いってぇ、けど、大丈夫、だっ」


 両の足はズタズタに押し潰され、原型を留めていない。

 それでもハムが意識を保っていられたのは、偏に異世界で成長した肉体のおかげだった。意識を保てたとて、痛みが和らぐわけではないことは確かだが。


「今、助けに――」


「落ち着きなされ!」


 慌てて傍に駆け寄ろうとしたユーシャの肩をシッタが掴む。


「今、ユーシャ殿が離れれば戦線は崩壊しますぞ!」


「でも! ハムさんが!」


「戦線が崩壊すれば、それどころでは無くなる! 今は目の前の脅威の対処をすべきであろう!」


「でも、それでも――」


 言い争いが遠くに聞こえる。

 朦朧とした意識の中で、ハムは奥歯を噛み締めた。

 胸中にはただただ情けなさで埋めつくされている。


「だい、じょうぶか、ラレッタ」


 ハムは下敷きになっている少女に声をかける。だが、反応は薄い。想定外な事態に脳が追いついていなかった。


「なんで……」


 たった一言が零れ落ちた。

 トゴロスが自分すら巻き込む範囲攻撃魔法を使ったと気づいた時から、ラレッタは死ぬつもりだった。

 いや、それ以前から。トゴロスの手を取った時点で、ラレッタは死ぬ覚悟が出来ていた。


 それなのに、――なんで。

 裏切ったのに、――なんで。

 自分の身を危険に晒してまで、――なんで。


 複雑に意味が絡まりあった質問を、ハムはたった一言で答えた。


「仲間、だから」


 仲間だから。

 たった一度共闘しただけだけど。


「裏切られたからって、信じられなくなるわけ、ない」


 たった一度の裏切りでこれまでの信頼をすべて失うことはある。けれど、ハムはそうしてしまいたくなかった。


「《キズ ヲ ナオスヒール・ライト》」


 ハムはラレッタに回復魔法をかける。

 取るに足らない気休め程度の魔法。


「お前は愛されラレッタちゃん何だろ。それなら、許してくれるよ。ちゃんとお前は、愛されてるから――ゴホッゴホッ!」


 途中から口の中に血が溜まって、舌が回っていなかった。それでも、言葉はちゃんとラレッタに伝わったはずだ。《自動翻訳》スキルが、伝えてくれたはずだ。


「でも、あたしは。あた、しは、人間を信じられな――」


「信じて欲しいから、信じているわけではありませんよ」


 透き通るような声がした。

 顔を起こすと、そこにはヨクゥニーナが立っている。


「《ハイネス・ヒール》」


 ぼうっと緑色の光がハムの傷跡に触れると、みるみるうちに塞がっていった。温かい感触に眠ってしまいそうになるが、ハムは頭を振って意識を保つ。


「止血程度でいい。魔力は温存していてくれ」


「……そうですね。少し辛いかと思いますが、耐えてください」


 奥の方に意識を向けると、ユーシャとシッタがトゴロス相手に一進一退の攻防を見せている。


 ……早めに戦闘に参加した方がいいな。

 ハムはこの状態が長くは続かないと判断する。


「ラレッタ」


「……な、なん、ですか」


 ハムを回復する手を止めないヨクゥニーナがラレッタの名前を呼ぶと、彼女は怯えるようにピクリと肩を跳ねた。


「愛していますよ」


「え?」


「可愛いです。愛らしいです。キュートで、ラブリーで、食べてしまいたいぐらいに愛しています」


「涎を拭け、涎を」


「失礼しました。ついつい可愛がりたいという欲に流されてしまいましたね」


 ヨクゥニーナはそう言うと、にこりと微笑んだ。


「ラレッタ。私は貴方のことを愛しています」


 だから、どうか。


「貴方も、貴方自身のことを愛してください」


 ラレッタはあの日からずっと、自分が愛されているとは思えなかった。

 あの日からずっと、自分を愛することが出来なかった。


 ――一人だけ、助かってしまったあの日から。


「ラレッタ。貴方は自分のことを蔑ろにし過ぎです。他人の気持ちに敏感で、優しくて、不器用すぎますよ」


 ラレッタは初めてヨクゥニーナに叱られた。

 叱られたと表現するには、随分と優しい言い方だったが。


「これで応急処置は終わりです」


「ありがとう。俺の手当を優先させてしまって悪い」


 ハムはそう言って立ち上がる。

 まだまだ泣きたいほど痛いが、そうも言ってられない状況だ。見れば、戦況は膠着状態に陥っていた。


「大丈夫か。ユーシャ、シッタ!」


「ハムさん!」


「ちょちょい!? ユーシャ殿、よそ見は厳禁ですぞ! 賢者候補殿、ご無事で何より!」


 負傷で一時戦線を離脱していたハムとヨクゥニーナが復帰したことで、均衡していた戦力が崩れる。

 それをいち早く察したトゴロスが顔を真っ赤にして怒鳴った。


「ラレッタぁ! てめぇ、何してやがる! こいつらをさっさとぶっ殺せ、あ゛あん?」


 ラレッタは立ち上がる。

 顔は晴れない。笑顔もない。それでも迷いはなかった。


「あたしは、これ以上裏切れないです!」


「あ゛?」


 堂々と言い放つラレッタを見て、トゴロスは顔を覆い隠す。


「おいおい勘弁しろや。ころころころころ立場変えやがって、てめぇは流されすぎじゃねぇのかよ、ああん?」


「やっぱりあたしは、みんなから愛されるラレッタちゃんでいたいです!」


「……愛されてなかったって言ったよな。そんなことも忘れちまったのか、あ゛あん?」


「これからのラレッタちゃんはニューバージョンです! キュートなラレッタちゃんは、今度こそみんなのアイドルになりますよ!」


 恥知らずと言われようとも、たとえ本心からではなくても、ラレッタは胸を張ってそう言った。

 折れないように。見失わないように。――決別をするために。


「…………ああ、そうかよ」


 その瞬間、異常な魔力の流れをハムたちは察知した。木々がざわめき、周囲の鳥たちは我先にと逃げていく。

 

 それはトゴロスを中心に巻き起こっていて、なにか危険なことをしようとしていると直感的に理解した。


「シッタ、魔法を――!」


「遅せぇよ」


 魔力の流れが上空に向かう。

 それは魔法の発動に失敗したからでは無い。何かを、呼んだのだ。この戦況を一手で覆すほどの何かを。


「――《霊焔華レッド・ノヴァ》」


 ハムたちの頭上に現れたのは巨大な隕石。

 触れたものすべてを焦土に化すかのように、紅く燃え盛る星屑。


 ――破滅と破壊の衝動が迫ってきた。

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