第9話 ウラギィ・ラレッタは裏切られた



 みんなのアイドル、愛されラレッタちゃんは走ります。


 今日はお魚がいっぱい捕れたのです。ラレッタちゃん最高記録と言ってもいいでしょう。


 近所のおじちゃんにも差し入れてあげましょう。おばあちゃんには骨が少ないこの魚をあげるのです。


 村を守ってくれる、人間の兵士さんたちにもプレゼントしちゃいましょう。きっと喜んでくれるはずです。


 ――その時のあたしは、本当にそう思ってたんです。




 

 ☆ □ ☆ □ ☆




 最初に異変に気づいたのは、鼻でした。


「……なんなのでしょう、この臭い」


 何かが焼ける臭いです。

 今日は村でする予定の祭りなんて、なかったはずです。


 次に異変を感じ取ったのは、耳でした。

 魂を燃やすような絶叫が、微かにラレッタの耳に届きました。


 ラレッタは走り出します。

 魚を捨てて、全速力で。

 何かがあったのだと、幼いながらにも理解してしまったから。だから、短い足で地面を蹴り、山の麓の村に急ぎました。





「……何があったんですか、ここで」


 ラレッタが見る村の景色は朝から一変していました。

 至るところから火が立ち上り、生肉を焼いているかのような不快な臭いが充満しています。


「お母さん、お父さんっ!」


 声を張り上げます。ですが、誰も来てくれません。

 耳の良い両親なら、あたしが大きな声をあげたらすぐに駆けつけてくれたのに。優しい手で頭を撫でて、「どうかしたの?」と聞いてくれるはずなのに。


 ――それなのに、誰もあたしのところに来てくれません。



 音がしました。

 ラレッタは誰かが来てくれたのだと思い、振り返ります。いつものように、村中から愛された笑顔で。


「死ねぇっ! 化け物がァ!!」


 その人は、村を守ってくれているはずの兵士さんでした。


 ラレッタが笑顔を向けても、笑ってくれません。

 ラレッタの愛らしい姿を、まるで魔王を見ているかのような目で見てきます。

 ラレッタの幼く細い首に、兵士さんは血塗れた剣を振りかざしました。


 ゴチュ。

 大きなトマトが潰れるかのような音がしました。

 大きなトマトが顔ほどの大きさのある岩に潰され、トマトの中身が飛び散ります。真っ赤な液体が、ラレッタの顔にかかりました。


 兵士さんの体は、首から上がなくなっていてそのまま力なく倒れます。その時、声がしました。


「……誰かが生き残ってると思ってみれば、ラレッタのガキじゃねぇか、あ゛あん?」


 その声も知っています。トゴロスさんです。

 近所に住むお兄さんで、口調は荒っぽいけどそれなりに優しいお兄さんです。


「とごろす、さん」


「残念だったな、残ってるのがオレで。がっかりしたか、ああん?」


「お、かあさんと、おとうさんは、どこ?」


「瓦礫の下か、広場の焼死体の山の中じゃねぇのか、ああん?」


 トゴロスさんはこういう時に隠したりしません。

 本人は隠すのが面倒だからだなんて言うけれど、あとから気づいた時に後悔させたくないと思っているからだと知っています。


「どうして、なにが、なにがあったのです……」


「ニンゲンが裏切った。理由なんざ知らねぇが、その結果がこの惨状だ。兵士は全員オレが殺した。生き残りはてめぇぐらいだ。ま、尻尾巻いて逃げた臆病者がいたかも知れねぇがよ」


 頬についた血を拭いながら、トゴロスさんは続けます。


「おいラレッタ、てめぇは復讐する気はねぇか」


「ふく、しゅう……?」


「そうだ。ニンゲンを殺す。オレたちから仲間を奪った連中を、皆殺しにする」


 その時のトゴロスさんの目を、ラレッタが忘れることは無いでしょう。


 鋭利で、冷たくて、見るものすべてを拒絶するかのような、そんな目。


「手を貸せ、ラレッタ。俺と同じで裏切られ、奪われたてめぇなら、オレは信用出来る」


 トゴロスさんは手を差し伸べてきました。

 真っ赤に染ってしまった手を。


 ラレッタはその手と、トゴロスさんの顔を何度も往復します。時には、燃え盛る村の様子や、絶命している足下の兵士さんを。


 最悪の連続で、理不尽の連鎖に見舞われたラレッタの頭は、どれだけ時間を与えられても冷静になることはありませんでした。


 けれど、ラレッタにはポリシーがありました。常日頃から言っているセリフがありました。

 だから、それを言ってしまったのです。


「あたしは愛されラレッタちゃんです! なので、復讐には、手を貸せません」


 トゴロスさんは口を開きかけましたが、すぐに閉じました。そして、十分な時間をかけてゴクリと喉を鳴らします。


「臆病者が。その言葉を後悔しても知らねぇぞ、あ゛あん?」


「当然です! ラレッタちゃんに、ふから始まる言葉はないです!」


「復讐以外は覚えておけよ、ふわふわパンケーキとかな、ああん?」


 トゴロスさんは笑います。声をあげて、豪快に笑います。

 愛嬌のない笑い方です。大口を開けて、普段のあたしの愛され笑顔と比べたら、雲泥どころか月とスっトントンです。比べることすら烏滸がましいと言えましょう。


 ――ですが。

 少なくとも、この時だけは。

 この時のあたしの笑顔よりは。


 トゴロスさんの笑顔の方が、何百倍も可愛げはあったでしょう。

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