第2話 ユーシャ・ニナールは勇者になれない
朝日がまだ上がっていない時間。
少女はそっと自分の部屋から出る。
「ぁ……」
目がまん丸に見開かれる。
誰にも会わないようにいつもより早く起きたのに、部屋を出るとあまり会いたくない人がいた。
「おはよう。今日は早いね」
彼の名前はイーシャ・ニナール。
ニナール家の長男で、ハジマリノ街の医者だ。
目を伏せ固まる少女を横目に彼は鞄を肩にかける。と、そこで別の部屋の扉が音を立てて開いた。
「あら。イーシャ、もう仕事に行くの?」
「うん。仕事に行く前に診察して欲しいって患者がいてね」
「そうなの。お仕事熱心ねぇ」
「僕にはこのぐらいのことしか出来ないから。それじゃあいってきます」
イーシャはそう言い残して家を出る。
そうなると、母親の視線は自然と少女に向かった。
「あんたもどうしたの。今日は随分早いわねぇ」
「……その、今日はギルドで、パーティー面接、あるから」
「冒険者の? ……あんた、まだ続けるの?」
「……うん」
「あんたは昔っから臆病だったんだから、いい加減に別の仕事したら?」
「……でも、子供の頃からの夢だったから」
母親は困った子を見るような目で少女を見る。実際にそう思っていたのかもしれない。
「でもあんた、一回もまともにクエストを達成できていないんでしょ?」
「それは……そうだけど」
「別に仕事じゃなくてもいいのよ。花嫁修行でもいいし、何かあんたでも出来ることで――」
こうなったら母親は止まらない。
子供の頃からの経験から少女は黙ってやり過ごす。
しばらくして、母親は言いたいことを言い終わったのか一度口を止める。そのタイミングで少女は唇を開いた。
「ごめん。そろそろ時間だから、行くね」
母親は何かを言いたそうな顔をしたが、それ以上何も言わなかった。
少女は目を合わせないようにしながら、足早に外に繋がる扉を目指す。母親はそれを止めようとはしなかった。
ただ、
「……ちゃんと帰ってきなさいよ」
その言葉への返事は少女は持っていなかった。
パタンっ。
静かに閉められた扉の先で少女はしばらく動けなかった。
長男、イーシャ・ニナールは街で人気の医者である。
長女、サークゥシャ・ニナールはロマンスものの人気作家だ。
次男、キーシ・ニナールは王都に勤めている騎士だし、次女のヤークゥシャ・ニナールは国中を旅する演芸団の一員だ。
家族の中で少女だけが何者にもなれていなかった。
御伽噺の勇者に憧れ、冒険者になったはいいものの魔物を怖がり、ロクに戦えない。そんな彼女をパーティーに入れようとする冒険者はいなかった。
臆病で、寂しがり屋で、一人では何も出来ない。
勇者に憧れていながら、勇気からもっとも遠い存在――それが少女、ユーシャ・ニナールだった。
☆ □ ☆ □ ☆
ギルドの中に入ると、朝早いにも関わらず何人か人がいた。彼らは一様にチラチラと一箇所を見ている。
「賢者、候補」
賢者候補。
それが今回、ユーシャがパーティー面接を受ける相手だ。噂ではこのギルドに入った途端に、潜伏していた魔王の手先を看破したのだそうだ。
足が震える。
「――マーシャさん、マーシャさん。あの噂、聞きました?」
不意にそんな話し声が聞こえてきた。
声の方を見てみると、メガネをかけた受付嬢と隣の受付嬢がヒソヒソと談笑している。
「噂?」
「あの賢者候補さんの噂ですよ。あのミカタゴ・トゴロスさんのパーティー加入を断ったそうですよ」
「そうみたいですね。彼ほどのベテラン、そして仲間想いの方はそうそう居ないのに何がダメだったんでしょうか」
「賢者候補と呼ばれるほどだから、私たちには見えない何かが見ているのかも……?」
そんな話を聞いてしまい、ユーシャは立ち止まる。
ミカタゴが断られるような相手が、自分を受け入れるはずがないと。そう思ってしまったのだ。
噂は知っていた。
最近、盗賊に仲間を殺されたベテラン冒険者ヌスミ・キルさんの加入を断っただとか、異国の知識まで持ち合わせる秀才、シッタ・ガブリさんの加入を断っただとか。
そんな話はパーティー面接を受けると決める前から聞いていた。
でも、賢者候補が自分と同じ初心者だと聞いて、もしかしたらと考えてしまった。
御伽噺のように賢者の隣に並び立つ勇者になれるかもしれないと、身の程知らずにも妄想した。
その結果がこれだ。
これから私は、断られる。
その予想がまるで確定した事実のように少女の肩にのしかかった。
「……帰りたい」
逃げてしまいたい。
恥ずかしい思いをしたくない。
いっそのこと今日はもう帰ってしまって、受付嬢さんに「体調不良で行けませんでした、ごめんなさい」と伝えてもらうのはどうか。
そんな考えが頭を巡る。
「…………帰っても、いいよね。どうせ、受かるわけないんだから」
踵を返す。
「だって、賢者候補だよ? 何の才能もない私と冒険しようって思うはずないない。呆れられるか笑われて終わりだって。うんうん、そうだよ。なんか私、思い上がっちゃってたなー」
早口でそう捲したてる。
誰も聞いている人なんていない独り言を、ただただ言い続けていた。
「やっぱりお母さんの言う通りだったなぁ。このぐらいのことで逃げ出すんだもん、冒険者に向いてな……向いて……」
『――僕はこのぐらいのことしか出来ないから』
どうしてかわからないけれど、朝の兄の言葉を思い出した。
「……お兄ちゃん、昔は早起き苦手だったなぁ」
寝坊助だったイーシャを起こしていたのは、私の役目だった。ふらふらと危なっかしい兄を引っ張って、朝の食卓を家族みんなで囲む。
誰も何者でもなかった頃の思い出。
「でも、お母さんもさっさと冒険者をやめろって……」
『ちゃんと帰ってきなさいよ』
返事が出来なかった言葉を思い出す。
「ちゃんとって何? ……わかんないよ。何を言いたいのか」
それでも、きっと。
今、帰ることはちゃんと帰るってことにはならない気がした。
「……わかった。やれるだけ、やってみるよ」
自分にだけが聞こえる声でそう言って、ユーシャは振り向いた。
そして、本当に小さな一歩を踏み出す。
「――シュージン・ハムさん」
賢者候補の名前を呼ぶ。
退屈そうに座っていた男子が振り向いた。
「私は、ユーシャ・ニナールです。……今日はよろしくお願いします」
――後の勇者はこう語る。
もしも運命の日があるとすれば、この日だったと。
私でもきっと、勇者になれるのだと思わせてくれた、と。
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