第2話 元部下

「リーシエル隊長!」


 ぼんやりと考え事をしていたら、後から呼び止められる。そこには、中隊の隊長をやっていた時の元部下であるファルがいた。


 小柄なファルは、長身の私を見あげながらも敬礼をする。律儀なことだ。しかし、それがファルの美点でもあるだろう。


「私は、隊長ではありませんよ。そうですね。私の方が年嵩なのは変わらないので『先輩』とでも呼んでください」


 にっこりと笑って、元部下を注意する。私が隊長と呼ばれるのは、今の中隊の隊長に失礼だ。


 騎士の位を持つ人間のなかでは、私は穏やかな部類に入るであろう。しかし、実のところは私は面倒くさがりなだけだ。


 人を叱りつけたりするのは、とても疲れる。だから、新人教育をするときも怒鳴ったことはない。


 幸いなことに、新人たちは良い子だ。私が笑顔を勝手に怒っていると解釈して、頑張ってくれている。


 だから、私は笑顔が大好きなのだ。


「しかし、俺にとっては隊長は隊長です」


 ファルが、そのように断言する。


 ふぅ、と私は息を吐いた。


 私が率いていた中隊には、すでに新しい隊長が収まっている。誰が私の役割を引き継いだのかは知らないが、私が隊長扱いされるのは申し訳ない。


 私の後を継いでくれた現隊長だって、騎士クラスの手練であろう。だから、なおのこと後釜をしている人間の気持ちを考えてしまうのだ。


「中隊に戻って来てください!隊長だって、本当は戻りたいと……」


「ファル!」


 私は、彼を名を呼んだ。


 ファルは背筋を伸ばし、私の反応を待った。ファルの顔は、不安でいっぱいだった。私が、怒るとでも思っているのだろう。


 怒る気はないことを知らせるために、私は人差し指を唇の前に一本だけ立てる。静かに、という意味だ。


 ちょっとばかりちゃめっ気を見せたつもりだったのだが、私のイメージにはそぐわないものだったのだろうか。ファルは固まってしまっている。


「今は、今の隊長がいるでしょう。彼に従いなさい。それが、ひいてはルーディニア王国の仕えることですよ。あなたは、これまで通りに国の剣になりなさい」


 私の言葉に、ファルは愛国心をくすぐられたようだ。ファルは涙を浮かべて、この場から走って消えていった。


 国に忠義を誓えと言えばファルは納得するだろうとは思っていたが、走り去って行くとは予想以上だ。相変わらず、優秀な兵である。


 この国の為に、あのような若者こそ騎士を目指して欲しい。そうやって、これからの国を支えて欲しいと思うのだ。


 ファルは今の隊長の下で、誠意を持って国に仕えてくれるはずだ。私に対して、そのように接してくれたように。


 ファルは、忠義心に厚い。


 兵としては、理想的なまでにだ。だからこそ、つまらない事では死んで欲しくはなかった。


 私は、新人に向ける感情と同じものをファルに向けていた。それすなわち、愛情である。


「スッゲーな。今どきの若者は、あれだけ忠義心が熱いのかよ」


 ひょっこりと表れたのは、同期のタニスだった。身長ばかりが高い私と違って、均整の取れた騎士らしい体つきをしている。


 比べるのも失礼だが、新米の兵士たちとは体つきが大きく違う。だが、野趣あふれる髭のせいで、騎士というよりは野党のような雰囲気である。


 髭のせいで婦女子からの評判が悪いので、剃れば良いのにと思わなくもない。そうすれば、タニスの嫁になりたいという女性も現れるであろう。


 タニスは、独身なのだ。


 本人は、結婚は墓場だと言っている。しかし、たまに一緒に食事にいけば、女性ウェイトレスの尻を視線で追いかけている。


 それほど女体が好きなのならば、結婚すれば良いのにと思ってしまうのだ。


「ファルは例外ですよ。よくも悪くも突っ走る子ですから。今の隊長が、上手く引っ張ってくれたら良いのですが……」


 私は、長く伸ばした髪を適当に指に巻きつける。仕事を休んでいた三ヶ月間は、髪を切らなかった。そのため、今は一纏めに出来るほどに銀色の髪は伸びてしまっている。


 この白い髪色は珍しく、良くも悪くも目立つ。これで目が赤ければあだ名が雪兎だったかも知れないが、残念ながら私の目は薄水色だ。


 雪が降る地域に行けば、きっと私は雪に埋まっても誰も見つけてはくれないだろう。それぐらいに、私の色は淡いのだ。


「そういう部下をしっかり見ていられるところ。お前は、教官にピッタリだと思うぜ。新人時代の俺だったら、お前にしごいてもらいたいぐらい」


 タニスは、私を褒めてくれた。


 お世辞を、と言いかけて止めた。


 タニスは、裏表のない男だ。私にしごかれたいと本気で思っていてもおかしくない。ならば、褒め言葉と素直に受け取るべきだろう。


「さてと夕食に行こうぜ」


 タニスは、そのように私を誘った。私は、すこしばかり考える。


 今ごろは、食堂はきっと混んでいるだろう。


 兵士あるいは下働きの人間が使う食堂は、勤め先の城内に作られている。忙しくて家に帰る暇もない時には、食堂の存在はとてもありがたい。


 しかし、食堂は兵や下働きの人間を一斉に受け入れるほどは大きくない。


 無論、街の居酒屋よりも大きい。だが、城で働く何百人もの人間たちを一度には受け入れられないのだ。


 そのため、私はできうる限りで食事の時間を周囲とはズラすようにしていた。幸いのことに、歳を取ってからはだいぶ空腹を我慢できるようになった。


 新人時代の私は空腹を我慢できないタイプの人間だったが、これも成長だろうか。


 いいや、どちらかというと老いたというのが正しいのかもしれない。最近では、揚げ物で胃もたれを起こすようになってきてしまった。


 これは、少しばかり悲しい。


「私は、書類仕事を終わらせてから行こうと思います。誘ってくれて、ありがとうございました」


 誘ってくれたのに断るのは失礼かとも思ったが、書類仕事が残っているのは本当だった。


 それに、相手はタニスだ。


 今回は夕飯を一緒に取らなくとも、別の日に城下の店を共に行けば良いだろう。そちらの方が、混み合う食堂に近づかなくてもすむ。


 別れ際に、タニスは少し不安そうな顔をした。


 その表情に、私は首を傾げる。私の返事に、何かおかしなところはあっただろうか。ない、と思うのだが。


「あのさぁ……。周りには色々と言われると思うけど、気にするなよ」


 その一言で、私は気を使われていたと理解した。人に陰口を叩かれるのが嫌で、私は食道が混雑する時間を避けていると思われたらしい。


 私はタニスの善良さに驚き、同時に少し嬉しくなる。新人の言葉に、無意識に傷ついていたのかもしれない。タニスの温かな言葉は、じわりと私の心に染み込んだ。


「大丈夫です。三ヶ月間も休暇をもらったんです。引きづってなどはいられませんよ。それでは、失礼します」


 タニスと別れて、私は大きく息を吐く。


 沈んでゆく太陽に照らされた地面が赤くて、一面に血溜まりが出来たような気がしてしまった。



 三ヶ月前ーー私は自分の運命の番を見殺しにした。





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