第20話 山賊たち
二メアス家の主であるレナと夫人のエッダの見送りを受けて、私たちは旅立った。
ローザの分の馬車は、最初から用意されていた。エナが乗っているものと同じような豪奢な馬車である。しかし、その馬車に乗っているのはローザの衣装や宝石ばかり。
ローザ本人は、私たちと同じ馬車に載っていた。これは、ローザが逃亡の恐れがあると判断されたからだ。
なお、それをエナに進言したのは私である。箱入り娘のローザには、そんな根性はないと分かっていたが万が一ということもある。
ローザは相変わらずバートルとの結婚を嫌がっていたので、私の言葉には説得力があった。
私たちの他にもローザの世話をしてくれる侍女が一人だけ乗り込んでいるが、彼女は始終ソワソワしていた。
侍女たちは、ローザの噛み跡の真実を教えている。エナが侍女たちを集めて、丁寧に噛み跡はエナの強い思い込みで出来たものであると説明してくれたのだ。
侍女たちは、エナの説明に動揺していた。
しかし、思い当たるような節があったようである。侍女たちの態度は劇的には変わらなかったが、ローザに対しての扱いは軟化していた。
だが、主であるはずのローザは侍女のことは我関せずという態度を貫いている。興味がまったくないらしい。
こういうところが、侍女に侮られる原因にもなるのだろう。使用人たちに尊敬されるのは、上にも下にも気を使えるような人物だ。
「ユリーナは、私のことが嫌いだったのかしら……」
ローザは、ことあるごとにユリーナのことを話す。ローザの話を聞いていて分かった事だが、ユリーナは貴族の三女だったらしい。
アルファ特有の頑強な体を幼少期から持っており、軍部に入ってからはあっという間に出世をしたそうだ。そして、ローザの騎士となったらしい。
理想的な出世である。
私のような特殊な体質ではないアルファが、オメガの騎士になったという話は珍しい。
ユリーナは、よっぽど信頼された騎士であったようだ。きっと優秀な騎士であったに違いない。
「ユリーナは、とってもクールだったのよ。私が話しかけても、なかなか答えてくれなかったのよ」
それはクールではなくて、嫌われていたのではないだろうか。
ローザの話に出てくるユリーナには、こういうことが時よりあった。主を主として思ってはいないような態度を取っているのである。
ローザはユリーナに恋焦がれているが、その傾向がユリーナの方にはない。私はてっきりローザとユリーナは相思相愛だと思っていたが、そうではなさそうである。
それにしても、ユリーナは不幸である。
騎士は、基本的に国に忠義を捧げる。しかし、王族の護衛は、護衛対象のみに忠義を捧げるのだ。
そんな大事な存在を尊敬できない。
そんなことは、苦しいだけであろう。
それにしても、ユリーナのことしかローザは語らない。こんなことで、バートルに嫁げるのだろうか。他人事ながら、とても不安になる。
「リーシエル。バートル兄貴は、良い人なんだ」
ローザがユリーナのことばかり話しているので、エナは話題を変えようとした。バートルの素晴らしいところを語っている。
私はあまりバートルに接点がないので、興味深く聞いていた。
「俺は物心を付く前に母親が死んでしまったから、俺の面倒を見てくれたのはバートル兄貴なんだ」
エナは、私も初耳の情報を楽しそうに語る。
バートルはエナを可愛がっていることは知っていたが、小さな頃から濃密な関わりがあるとは知らなかった。歳の離れた弟のことをバートルは大変可愛がっていたらしく、エナの話は微笑ましい思い出ばかりだった。
エナが幼い時には文字を教えて、絵本の読み聞かせまでやっていたらしい。もはや、兄というよりは子煩悩な父親である。本物の父親は子供に興味のない愚王であるので、ちょうど良かったのかもしれない。
愚王は、子供に興味がない。
オメガのエナはともかく、跡取りになりうるアルファにバートルとリトリですら興味を持たなかったという。
そのため、バートルとリトリの教育については臣下が高名な家庭教師を手配していたそうだ。
「バートル兄貴は、俺に学ぶ楽しさを教えてくれた」
嫁ぐオメガには教養は不要と考える人間も多いなかで、バートルはエナが学べる環境を整えてくれたらしい。愚王やリトリの母親にまで訴えて、エナにはバートルたちと同じ家庭教師を付けてくれた。
そのおかげで、今のエナが生まれたと思うと感慨深い。エナを形作る土台を作ってくれたバートルには、感謝してもしたりないぐらいだ。
「あとは、視察とかにも連れて行ってくれた事もあったな。あの時は護衛が五人ぐらいもついてきて、しかもバートル兄貴が自分の護衛まで俺に付けようとしたから身動きが取れなかったんだ」
エナの思い出の話を聞きながら、私は王子の中でもエナだけが影が薄い理由が少し分かった。小さなエナが五人も護衛に囲まれていたら、誰がいるかなんて分からないだろう。
これでは、エナがいくら視察についていったとしても目撃証言は取れまい。
「だから、バートル兄貴はローザのことも受け入れてくれるよ」
ローザは、いつの間にか顔を上げていた。
ローザの表情には驚きがあって、エナは首を傾げる。自分の話のどこに驚く場所があるのだと思っているのだろう。
私も同意見だった。エナの話は、温かで裕福な環境に居た子供の話に過ぎない。
「オメガだからって、閉じ込められていなかったの?」
閉じ込められたという言葉に、エナは目を見開いた。信じられないとでも言いたげな表情である。
「俺が城の外に行く事を嫌がる大人が多くて、さほど多くは行けなかったかな。でも、閉じ込められたという感じはしなかったぞ。ただでさえ、城内は広いし」
オメガ故に、エナは城から出る機会は少なかったはずだ。しかし、そもそもエナが住んでいる城が広い。
最初に出会った時に私の上司と喋っていた事から、ある程度の階級の人間には自分の身分を明かしていたのだろう。その上で、喋り相手になってもらっていた可能性があった。
閉じ込められているだなんて、とてもではないが思えない状態であっただろう。
しかし、よく考えてみれば、エナの環境は王族のオメガとしては恵まれすぎている。
高貴な身分に生まれたとオメガは、政略結婚の駒だ。そのため、必要な最低限のことを学ばせれば、傷一つ作らないように監禁に近い状態で育てられることも珍しくはない。
城のなかであろうとも行ける場所は制限されて、周囲との接触も控えるように教育されるのである。
不用意にアルファと出会って、首筋を噛まれないようにするためだ。その生活は極めて不自由で、抑圧された生活であろう。
ローザは、そんなふうに育てられたのだろう。
自分の居場所はなく、周囲の人間とは喋ることすらできない。城のなかさえ自由に歩けないという生活だ。誰の役に立ちたいと思ったとしても、必要最低限の知識しかない。
それは、さぞかし苦しい生活であろう。
そんなふうに育てられたのならば、ユリーナという女騎士に執着して気持ちが少しは分かってしまう。
ローザにとって、ユリーナは気楽に話せる数少ない人間だったのだ。素気ない対応をされたとしても、ユリーナを思う気持ちは日々膨らんでいったに違いない。
あまりにも不幸だ。
そんなものは恋ではないし、愛ですらない。
しかし、未熟なローザには分からなかった。分からないままに、ユリーナを手に入れたくて噛まれたという嘘を本物だと思うようになってしまったのだ。
「私と全然違う育ち方をしたのね。いいなぁ……。そんなふうに、私も育てられたかった」
ローザがエナのように育てられたとしたら、ユリーナに対する強い思慕など抱かなかったのだろうか。
少し考えた私は、頭を振る。
『もしも』の考えほど無駄なものはない。
そんなことを考えをしていたら、馬車が大きく揺れた。その揺れを耐えるために、エナとローザは馬車の側面に掴まろうとする。
だが、ツルツルした馬車の壁に掴まるところなどはない。私は両手で二人のオメガを抱きかかえて、背中を打ちながらも馬車の揺れを耐えた。
「うわぁ!」
「きゃぁ!」
エナとローザの悲鳴が聞こえたが、私はそれどころではなかった。馬車が急停止したということは、それなりの理由があるからである。
「一体なにが……」
オメガの二人に抱きつかれるままで、私は窓を覗いた。外には仲間以外の人影が見える。武器を帯びた格好から見るに、山賊の類で間違いないであろう。
馬車は比較的安全なルートを進んできたわけだが、山賊たちも定住しているわけではない。運悪く、彼らと遭遇してしまったのだ。
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