第18話 彼女のアルファ


 朝食をぺろりと食べてしまったエナは、ローザの部屋の向かった。


 発情期の間はまともに食事を取ることが出来なかったエナの食欲は凄まじく、パンを三回もおかわりをしていた。


 おかわりのパンを持ってきた侍女も驚いたことであろう。


 パンは、最初の一個から大きいものだったのだ。料理長はエナの為に普段よりも大きなパンを焼いてくれたのだろうが、成長期の食欲を見誤ってしまったに違いない。


 私もエナぐらいの年頃の時期は、無限の食欲があった。今でも一般人よりは食べるが、同世代の軍人よりは少食である。ちなみに、酒も呑めない。


 グラス一杯分なら問題ないが、二杯も飲めば吐いてしまうのだ。


 この体質を若い頃は直そうとしたが、無理だったのであきらめた。そのせいではないだろうが、今は昔よりも飲めなくなったと思う。


「やっとお腹が落ち着いた……。発情期の後って、食欲が爆発するんだよな」


 エナは、満足げに息を吐いた。


 朝食がよっぽど美味しかったらしい。そういえば、エナの朝食には魚介のスープが付けられていた。


 エナが、念願の海の魚を食べられて良かった。トラブル続き旅だったが、エナの望みが叶えられたのは純粋に嬉しく思う。


「さて、ローザ様には面会の許可はとったか?」


 エナの問いかけに、私は頷いた。


 体調不良などを理由に、ローザとの面会は断られるかと思っていた。それぐらいに、ローザはエナに会いたくはないだろうと考えたのだ。


 エナは、なにせバートルの弟だ。ローザは、バートルとの結婚を嫌がっていた。その弟とは会いたくないと考えるのが普通であろう。


 しかし、エナとの面会は想像よりもすんなりと受け入れられた。それに対して、私は驚いたぐらいだ。


 面会の話をローザ本人に話してくれたのは、中年の侍女であった。これは、ローザが連れてきた侍女だ。


 侍女は常に不機嫌そうで、ローザの世話という仕事事態を嫌っているように思える。


 普通ならば、嫁入りする姫の侍女に選ばれるなど名誉なことである。そのため、普通ならば侍女たちはやる気に満ち溢れているはずだ。


 だが、ローザの周囲の次女にはやる気はなかった。むしろ、ローザを疎んでいる雰囲気まであったほどだ。


「エナ様。出来れば、ローザ様には優しく接してください。あの方に味方はいないようです」


 私の言葉に、エナは呆れていた。ローザの事は元より好いてはいなかったが、これでさらに嫌いになったようである。


「味方がいないんじゃなくて、作れなかっただろう」


 エナの言葉は厳しい。


 だが、その厳しさこそがエナが城という場所で培ったものなのだろう。


 いくら物心つかない頃と言っても、エナは母親を毒殺された過去がある。城では慎重に味方を増やし、自分の身を守ってきたのだろう。


 ローザの部屋の前に佇んでいた侍女に、面会の予定をしていた者たちであることを伝える。侍女は相変わらず不機嫌そうに、ローザの部屋のドアを開けた。


「はじめまして、ローザ様。エナと申します。発情期が終わったので、挨拶に参りました」


 エナは、満面の笑みで挨拶をする。


 一方で、ローザはベッドの上に座っていた。大きな兎のヌイグルミを抱いているせいで、幼い容姿がさらに幼く見える。


 ローザは、エナとは視線を合わせずに俯いている。少しばかり震えているのは、エナに対する恐怖からだろうか。


 怖いなら会わなければ良いのにと思ったが、ローザのことを敬愛していない侍女が勝手に面会を了承したのかもしれない。ローザに対する嫌がらせのために。


 身綺麗で姫と名乗るのに相応しいドレスをまとっているのに、怯えているローザの姿に気品らしいものは感じられない。


「エナ様……。う……噂は知っているわ。全てを見透かす呪われた目を持っているのでしょう!」


 ローザの言葉に、エナは目をぱちくりさせていた。私も驚いてしまう。


「なんだよ。それ……」


 疑問符を浮かぶエナに対して、ローザは叫び散らす。とても、うるさい。


「とぼけないで!私は、知っているのよ!!兄たちや父親をたぶらかして、税金の使い方の見直しをしたり、汚職役人を追い出したり……。それで、首を括った貴族もいたと聞いたわ!」


 ローザ叫びを聞いて、私とエナは思わず顔を見合わせた。エナは、そんなことをやっていないと思ったのだが。


「あっ、思い出した。一年前ぐらいに計算が合わないって役人が言っていたから、バートル兄貴に相談したんだった」


 城で長い時を過ごすエナは、屈しのぎに城内のいたるところに顔を出す。そこで顔なじみになった役人に相談されたのだろう。


 エナは、その相談をバートルに報告した。


 理由さえ分かれば、大したことではない。けれども、それをバートルあたりが外交の席で話題に出したのであろう。それに尾ひれがついて、ローザが言う噂になったに違いない。


「俺は、大した事はやってないぞ。ついでに、首を括った貴族もいない。身内をたぶらかしてもいない」


 たぶらかす云々については、エナがオメガだから広まった噂だろう。オメガはベータさえも惑わす魔性の存在であると信じる人間も多いので、そのような話になったに思われる。


「そんなの信じないわ!どうせ、私の秘密を暴きに来たのでしょう!使用人の誰に聞いたのよ!!」


 ローザは、使用人たちを信用していないようだ。あれだけ嫌われていたら、信頼関係は築けないであろう。


 エナが、ローザとの信頼関係を重視した理由は分かった。このままローザが孤独感と疎外感を感じ続けたら、バートルの花嫁なってからも信頼の回復は難しいであろう。


 ローザが王妃になる可能性が高いなかで、それは良くないとエナは判断したのだ。


「秘密……か。失礼だと思うが、俺たちはローザ姫の首筋のことを疑っている。あなたの首筋には、アルファの噛み跡があるんじゃないのか」


 ローザの指先は、震えていた。


 その震えた手は、無意識なのか首筋に向かう。金属の首輪の下には、何があるというのか。


 なんでもない顔をしているくせに、エナも恐れていた。ローザに噛み跡があった時には、最悪の場合は二国間で戦争になる可能性すらあったからだ。


「わっ、私には番がいるのよ!なのに、お父様が無理に引き離して……」


 震える指先で、ローザは首に巻かれていた首輪を外す。そこには、アルファの噛み跡があった。


 言葉から察するに、ローザは自らの意思でアルファに噛まれたに違いない。ローザは、自分の意思で平和の架け橋になる使命を捨てたのだ。

 

「噛みついたアルファは、護衛なのか……」


 エナの言葉に、ローザは驚いていた。エナの慧眼は、良くも悪くも正しかったらしい。


 私は、うなだれてしまった。


 同じアルファの護衛として、とても恥ずかしかったのだ。


 ローザの護衛は守るべき主人と恋仲になったあげく、噛みついてしまったのだ。同じ仕事をしている者として恥ずかしかった。


「この噛み跡は、元護衛のユリーナのものよ。彼女は女性のアルファで、私たちは愛し合っていたの。バートル様との縁談が持ち上がらなかったら、結婚できたのよ!」


 愛し合っていたという言葉に、俺の胸がぎゅっと苦しくなった。ルアのことを思い出していたのだ。


 私もルアを愛していたし、ルアに愛されていた。けれども、ルアは罪を犯した。


 私は、その罪を許すことが出来なかったのだ。自分は騎士だからとルアのことを庇わなかった。


「ユリーナに噛んでもらえて、幸せだったのよ。でも、番になったと分かった途端にユリーナと引き離されて……。バートル王子に嫁ぐことになって……」


 リテール国はユリーナがアルファに噛まれている事を知りながら、ルーディニア王国に嫁がせるつもりだったらしい。


 これは、国と国との信頼関係を揺るがす事件である。


 エナは天を仰いで、ため息をついた。考えうるなかで、最悪の状況であったからだろう。


「ローザ姫。俺たちは、臣民が収めた税によって育てられた……」


 ぼそり、とエナは呟く。


 エナは見たこともない形相で、ローザを睨んだ。


「俺たちオメガは結婚をして、自分の祖国に貢献するしか臣民や親類に報いることは出来ない。ローザ様は、それを分かって護衛を愛していたのか?」


 エナの鋭い視線と言葉に、ローザは口籠る。


 前から分かっていた事だが、エナは王族の役目ということを強く自覚している。政略結婚にこだわっているのだって、国に役に立ちたいからであろう。


 だからこそ、ローザの恋に溺れた行動を許せなかったのだ。エナにとっては、ローザの行動は国に対する裏切りだと思えたに違いない。


「しっ、しかたがないないでしょう!だって、愛してしまったのだから!!」


 ローザは、声を荒げた。


 泣いてしまいそうな表情をしているが、泣いたところで何も解決はしない。ローザが噛まれている事実は変わらないからだ。


 ついでに言えば、番になったユリーナと言う名のアルファもいない。アルファと手を取り合って逃げるという最後の手段さえ、ローザには残されていないのだった。


 ローザの行動や言葉から感じるものは、我儘というよりは考えのたりない印象だ。自分から噛み傷の件を口にしたのは、エナの同情を買うためだったのかもしれない。


 同じオメガならば、好いたアルファと別れさせられた気持ちが分かってもらえるとでも思ったのだろう。残念なことにエナの価値観では、同情してはもらえなかったが。


 エナにとっては、個人の幸せ追求はどうでも良いのだ。大切なのは自分の結婚が、どれだけの利益をあげられるかということである。


「護衛と別れさせられたのは、いつごろの話ですか?」


 私の疑問に、ローザはきょとんとした顔をする。ローザは、やはり物事を深くは考えていないようだった。


 ローザは自分の噛み跡が戦争に繋がるかもしれないという事にすら、気がついていないのである。愚かなことだ。


「一年ぐらい前のことよ。私は、一年もユリーナがいない時間を耐えてきたのよ!!」


 一年というのは、オメガがアルファと離れられる期間としては長すぎる。


 オメガは、アルファと長いこと離れられない。


 自らが番のアルファから愛されていないと思えば、すぐにオメガは精神的に弱ってしまうからだ。


 発情期のときは、それが顕著に現れてアルファの匂いが染み込んだ私物を使って『巣』と呼ばれるサークルを作るほどである。


 ここまで症状が悪化していたら、医療機関のケアや番のアルファの存在が不可欠になる。


 私が知っている限りでは、オメガがアルファの不在に耐えられるのは三ヶ月ほどである。


 オメガとアルファの双方が離れることに納得し、手紙などでオメガの精神をケアが出来れば問題はないかもしれない。


 しかし、それはローザの場合は考えられない。王家に無理に別れさせられた番同士が、秘密裏に連絡を取り合っていたとは思えないからだ。


 さらに言えば、我儘放題のローザが連絡程度で精神を安定させられるとも思えなかった。見張りを出し抜くような連絡方法を思いつくとも思えない。


「なによ。私は強い精神力で、ユリーナの不在を耐えてきたのよ。でも、他の人との結婚は絶対に嫌!」


 エナはぎゃあぎゃあと叫ぶローザに近づいて、首筋につけられた噛み跡に触れた。


 エナの突然の行動に、ローザは驚いていた。それこそ、言葉を失うほどに。


「噛まれた痕にしては、傷が浅い。それに歯型にしては、傷痕が細すぎる。これは……思い込みだ」


 エナの一言に、ローザは目を白黒させている。私もローザと同じ気持ちだった。意味が分からない。


「思い込み……とは?」


 私は、首を傾げる。


 エナは、少しばかり考える。私たちにどのように伝えれば、良いのかを迷っているようだった。


「まずは、人間は思い込みで妊娠したりするのを知っているか?」


 私とローザは、そろって首をふる。


 さっきから、ローザと動きが全く一緒になっていることがくやしい。だが、知らないものを分かるとは言えない。


「ローザ様は、ユリーナという騎士に強い恋心を抱いた」


 ローザは、何度も頷いた。


 ユリーナがどのような人物なのかは、私は知らない。しかし、ローザのような幼い人物に、よく恋などしたものである。年齢的には成人しているローザだが、外見どころか中身まで幼い。


 私の好みが歳上であるからなのかもしれないが、ローザに惚れる気持ちが全く分からない。


「あまりに強く恋焦がれたから、ユリーナに噛まれたと妄想したんだ。それで、首筋に噛み跡が出来た」


 エナの言葉は、シンプルだが信じがたい。私はローザの首筋をちらりと見たが、そこには薄くなった傷痕があった。


 思い込みだけで、傷跡が出来ることなどあるのだろうか。ローザの首筋には、小さな噛み跡が確かにあるというのに。


「人間の思い込みは馬鹿にできないぞ。強く子供が欲しいと願い続ければ、妊娠をしたと心も身体も勘違いをするということもあるそうだ」


 想像力で腹が膨らむというのは、信じられないことだった。ローザにも心当たりはないらしい。


「骨折したと思ったら骨折ではなかった、ということですか?」


 私の言葉に、エナの顔は引きつった。私の質問は、間違っていたらしい。


 私は、少しばかり凹んだ。


 ローザと同程度の頭の作りだと証明してしまったような気がしたのだ。この言葉で分かる通り、私はローザのことを見下していた。


 主のエナを含めて、王族の人々は尊敬している。そこに加わるローザのことも尊敬をしなければならない。


 だが、初対面で大暴れしたあげく、自分のことしか気にしないローザを尊敬するのは難しかった。バートルの婚約者にローザを選んだ愚王の気持ちが、全く分からない。


 バートルは、凡庸だが善良な人間だ。相応しい女性は、別にもいただろうに。


 だが、そういうことを考えられないのが政略結婚なのかもしれない。それとも、愚王ゆえに愚王的な選択をしてしまったのだろうか。


「全然違う。どちらかと言えば、病は気からという言葉が近いような……」


 エナは戸惑っていたが、私には納得できた。気持ちが、身体に影響する事は良くあることだ。


 私も中隊の隊長時代には、あきらめない気持ち一つで試練を突破することが出来た部下を何人も見てきた。


「ユリーナの対する思慕が深まって、思い込みの傷がついた。それだけの話だ。ローザ様は噛まれていない」


 エナの説明には、説得力があった。


 そうでもなければオメガであるローザが、アルファであるユリーナと離ればなれになっても無事だという説明がつかない。


 ローザのような幼い精神の持ち主なら、アルファと別れさせられた時点で狂ってしまっているだろう。それぐらいに、アルファとオメガの結びつきは強いのである。


「そんな……ユリーナは私を愛していないの」


 ローザは、がくりと力を失って座り込んだ。幼い顔は、涙でぐちゃぐちゃになっていた。


 アルファに愛されていないオメガには哀れみを感じる普通だが、ローザの姿は滑稽だった。


 ユリーナの対する愛が先走り、周囲のことを全く考えていないからだろう。


 エナは、ローザの首に再び首輪をはめる。


 今は発情期ではないが、無実の思い込みの傷を他の誰かに見せるわけにいかない。バートルに事情を話して、思い込みの傷の上から新たな傷を付けてもらわなければならない。


「リテール国は、ローザ姫の状況を把握していたのでしょうか?」


 ローザの侍女たちは、主を嫌っているような素振りを見せていた。


「リテール国の上層部は、首筋の傷が偽物だと把握していると思うぞ。あっちにも医者がいるだろうし。ただし、使用人は違うだろうな」


 エナは「自分が見破れたことは専門職ならば簡単に分かる」と言った。正論である。エナは鋭いが、本職ほどの知識や経験がない。


「ローザを送り返したら『問題のない姫を送り返しおって』と文句をつけて、喧嘩でも売るつもりだったんじゃないのか?」


 ローザは、あくまで噛まれた想像をしただけだ。治療を済ませてしまえば、簡単に純潔の乙女に早変わりする。リテール国が証言するだろう『問題のない姫君』にはぴたりと当てはまるだろう。


 リテール国は、我が国に対しては戦争をふっかけたいと思っているのだ。ローザの存在は、リテール国にはさぞかし都合が良かったであろう。


「使用人たちは、ローザのことは噛まれたオメガだと思っているはずだ。そうしないとローザの思い込みは維持できないからな」


 エナの言葉を聞いていたローザは、大きく声をだして泣き始めてしまった。愛されていたことが、自分の思い込みだと知って衝撃を受けているのだろう。


「でも、本当に噛まれていないのは凝光だった。オメガの精神力では、アルファの不在には耐えられないというからな」


 エナは、ほっとしているようだった。


 それはローザの純潔より、体のことを心配している顔だ。慈悲深いものである。


 私としては、ローザ本人のことはどうでもよくなっていた。戦争の火種にだけはなるなと思うが、それだけである。


「一年もオメガを放っておけるアルファもいませんよ」


 私は、主にささやく。


 オメガが愛を求めて狂うように、アルファだって自分の側で愛せないことが苦しみになることがある。情が深いアルファならば、どんな障害があっても自分のオメガを取り戻そうとするだろう。


 ローザの噛み跡は偽物であったが、それを上層部は隠した。ユリーナに全ての責任を押し付けたということは、想像に難くない。


 ユリーナは護衛対象に手を出した、という不名誉を着ることになったのだ。さぞかし、苦しかったであろう。


 ローザとユリーナが本物の番であったのならば、引き離された二人は自害を選んでいたかもしれない。


 それぐらいにオメガとアルファの結びつきは、強いのである。


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