第14話 発情期
何日もの馬車の旅で、私たちはようやく二メアス家が収める街にたどり着いた。綺麗に整備された漁港と活気がある風景は、二メアス家の善政と繁栄の印でもある。
観光客らしい人間の姿もちらほらと見えており、二メアス家が始めた観光事業も着実に売り上げをのばしていそうであった。商人の婿を取ったと聞いていたが、よっぽど優秀な人間を家に入れたらしい。
「海かぁ。初めて見た」
エナは馬車の窓に張り付いて、船が揺れる海を飽きずに見ていた。
十三年の人生を城で過ごしてきたエナにとって、海は珍しいものらしい。王族の風格も脱ぎ捨て、きらきらと光る海を楽しそうに見ている。
高貴な身分の家に産まれたオメガは、その安全のために家を出ることはほとんどない。エナはだいぶ自由を許されているようだが、流石に海を見たのは始めてのようだ。
愚王は末の息子に海を見せるために為に、姫を迎えに行かせたのだろうか。しばらく考えて、私は小さく首を横に振る。そんなことはありえな。
三兄弟のなかで一番暇だったからと言っていた理由の方が、愚王らしい命令の理由であった。
「流石に観光は出来ないけど、食事に魚介類は出て欲しいな。牡蠣という貝も食べてみたい!」
食事に夢見るエナとガラスに映り込む私とで、目が合ってしまった。気恥ずかしくなったらしいエナは、ちょこんと座りなおす。
「まぁ。魚なんて、海で捕れるものと川で捕れるもので大きな違いなどないだろう」
途端にすましたように答えるエナの様子に、私は必死に笑いをこらえた。
好奇心旺盛のエナのはしゃぎようは面白かったが、必死に大人のふりをするエナはもっと面白い。実に子供らしかった。
「エナ様。ここには私一人しかいませんので、多少はしゃいでも大丈夫ですよ」
立派な馬車に乗っているのだ。海に夢中で歓喜の声が大きくなっても外には聞こえないだろう。
聞こえたとしても馬の足音と馬車のタイヤの音で、声などかき消えるはずだ。思う存分にはしゃいでもらってかまわない。
「海のなかにはナマコやウミウシ、タコ、イカといった魚とは別種の生き物も沢山おります。私でもよければ、それぞれの生き物の特徴をお話させていただきますよ」
私の話に、ふふんとエナは余裕を見せていた。そして、得意げに話し始める。
「海の話ならば、知っているぜ。クジラやイルカといった生物だっているし、寒い地方の海には飛べない鳥や白い熊だっているんだろ。トビウオという空を飛ぶ魚だって、海にはいるんだ」
妙にマニアックな知識である。
そして、エナの話に出てくる動物は遠海のものばかりである。そんな話を何処で仕入れてきたのだろうか。
「せっかく海に来るんだから色々と調べてきたんだ。専門書もしっかり読み込んだから、分からないことがあったら聞いても良いんだぜ」
エナは勉強熱心なことに、海についての本を読み込んでいたらしい。知識が妙に偏っているのは、本を書いたのが冒険家だったからなのだろう。
冒険家たちは、遠い地に住んでいる人々の風習や生物のことを面白おかしく書くものだ。そうやって、次の冒険の資金を本で稼ぐのである。
それにしても、エナは本当に勉強家である。
思えば、出会った当初からエナは緑青の事なども知っていた。知的好奇心が旺盛であり、なおかつ好奇心の方向がバラバラのようだ。
自分のペースで勉強がしたいとぼやいていたこともあったので、エナは基本的には学ぶこと好きなのだろう。放っておいたら、知識が偏るのだろうが。
「お前もナマコやウミウシなんて、変な動物の名前を出していたよな。海に詳しいのか?」
エナの問いかけに、私は微笑んだ。
「幼少期は、海辺に住んでいた祖父の元で鍛えられました。だから、海は遊び場だったのです」
ナマコやウミウシは、子どもにとっては絶好の玩具だった。ヒトデに関しては、友人と投げて飛距離を争った事もある。
あの遊びの何が楽しかったのか。今では、まったく理解できない。だが、私たちに男子はヒトデ投げに熱中していた。
何の役にもたたないというのに、幼い私はヒトデを投げることに心血を注いでいたのである。
本当に、幼い頃の私は何を考えていたのだろう。
今更だが、エナを見習って勉強でもしろと幼い自分を叱りたい。学が足りなくて困っていることはないが、目の前に勉強熱心な子どもがいると自分の幼少期が恥ずかしくなる。
幼い私は、勉強をサボってまでヒトデ投げに熱中していた。当時の私は、本当に何を考えていたのだろうか。
「貝などを取ってオヤツに焼いて食べていましたね。楽しい思い出ですよ」
食べ物を採取して食べるのは、どんな子供も喜ぶ遊びだ。その内に、食べられる物と食べられない物を年嵩の子供たちから教えてもらう。
そうやって知識は継承されて、海で生きていく術を子供たちは学んでいくのだ。
「良い思い出だな……。俺もやってみたい」
エナは、遠くを見てため息をつく。
王族であったエナには、外ではしゃぎまわる経験がないのだろう。城では自由に過ごしていたが、それでも友達と一緒に遊ぶような経験はないに違いない。
「あっ、これは……」
私の嗅覚が、嫌な匂いを捕らえる。
どのような悪臭と言われると例えるのに困るが、しいていえば腐敗臭のなかに香りが強いフルーツを入れたような匂いだろうか。
臭いのに甘い、という非常に不愉快な匂いである。まだわずかに香るだけだが、この兆候はいけない。
「エナ様。おそらく、発情期が始まりつつあります。失礼を」
私は、エナの額に手をあてる。いつもより体温が高いのは、発情期の前触れだ。
「薬を飲んでください。二メアス家には先触れを出します」
薬で発情期を抑えても副作用はある。
平常時ではないエナの為に、用意することは山程あった。それに薬でフェロモンは抑え込めるが、万が一を考えてアルファは遠ざけなけばならない。
無論、それは私も含まれる。
二メアス家の当主がアルファならば直接挨拶が出来ないので、先に発情期が来てしまった事に対してのお詫びの手紙も必要になる。やることが多すぎて、一気に忙しくなった
「こんなときにか……。ニメアス家まで、もう少しだったのに」
エナは、嫌そうに丸薬を飲み込む。体の小さなエナにとっては、丸薬は大きすぎる。飲み込む姿は、少し苦しそうだ。
「エナ様の年頃では、どうしてもズレる事が多いですから。後悔はせずに、ゆっくり休んでいてください」
私は、エナを馬車に残して外に出た。馬車に鍵をかけるのも忘れない。
馬車の外で警護に回っていたファルに、私は声をかけた。
「エナ様に発情期が来ました。念の為に、馬車からアルファを遠ざけてください。二メアス家に先触れも送ってください」
私の指示に、表情を厳しくしたファルは頷く。エナの発情期が来てしまった際の動きは、事前に何度も話し合っていた。
「すぐ兵たちの持ち場を変えて、早馬を走らせます。貴族出身の人間が新しく部隊に入っているので、礼儀うんぬんは丸投げして大丈夫だと思います」
私は、ファルの返答にほっとした。
やはり、知り合いがいると『もしも』というときの意思疎通が早くて役に立つ。優秀な元部下たちは、事前の話し合い通りに動いてくれることだろう。
「私もアルファなので、馬車には近づかないようにします」
私が運命の番を失ってから、オメガの発情期のフェロモンが悪臭に感じてしまう。だからといって、エナの側にいるわけにはいかない。
嫁ぐ前の人間に求められるのは、疑いようのない純潔である。普段ならまだしも発情期中のエナの側にアルファがいるのは、将来の婚姻に悪影響を与える可能性があった。
エナの馬車の周囲にはベータの兵士が集められ、馬車にはオメガの侍女が乗り込んだ。エナが薬を飲んでから一時間も経っているから、薬が効き始めている頃合いだろう。
「軽い副作用ですむと良いのですが……」
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