消えた約束の先で

@LumiNote

第1話

私は目の前に広がる光景に動けないでいた。

冷たい汗が頬を伝い、心臓が激しく鼓動しているのが分かる。

こんなことになるなんて……約束しなければよかった。

約束なんて、しなければ……。





暑い夏の日だった。

突然の出張を命じられた私は久しぶりにN市を訪れていた。


「本日はありがとうございました。」

「この後はどこか寄られるご予定ですか?もし決まっていなかったら、すずのやというカフェがありまして、最近そこがすごく人気なんですよ。良い場所なのでよかったら行ってみてくださいね。」


取引先の山村さんとは電話では話したことがあったが直接会うのは初めてだ。

電話のイメージ通り、温和でふわふわの大きい猫のような人だった。

山村さんのおかげで打ち合わせもスムーズに終わることができた。

別れ際は猫のような目をさらに細めて笑顔で見送ってくれた。


今日は直帰する予定だった。

早く帰ったところで私を待つ家族もいないし、これといった趣味もない。

せっかくならすすめてもらったカフェにでも寄っていくか。


スマホでマップを調べて歩いていると、私はふと懐かしい景色に囲まれていることに気付いた。


あ、あの家。あそこの隣の細道を登ると昔よく遊んだ場所に辿り着くはず。

導かれるように向かった先にはあの空き地があの頃のまま残っていた。


いつも遊んでいたあの子たちの名前はなんていったっけ。

…あーちゃんとはるくんか。


毎日のように3人でこの場所に集まって暗くなるまで遊んでいた。


元気にしているだろうか。

…なんて、きっと私とは会いたくないだろうけれど。

だって——あの時、あの子たちは……。


胸の奥がチクリと痛んだ。



その時、ふとなにかの影が見えた。

何人かひとがいるようだ。


奥に進むとベンチに男性が1人で座っている。

あれ?気のせいだったのか。


作務衣姿の男性は柔和な顔つきだが何を考えているかよく分からない不思議な雰囲気を持っていた。


「今日はもう来ないと思っていたのですがね」

「え?」

「いえ、こちらの話です」


男性は顎をそっと撫でた。

なんだろう。この人を見ていると胸の奥がざわざわする。何かを思い出しそう。

誰かに似ている?




「約束だよ。大人になったらまたここで会おうね。」

「うん、約束。」


あの子は誰だろう。そうだ。

一時期、一緒に遊んでいた女の子がいた。いつもは、あーちゃんとはるくんが2人で手を繋いでいるから、それが寂しかったけどあの子がいた時は私と手を繋いでくれて。

それがすごく嬉しかったんだ。


私はその後すぐこの場所にいれなくなってしまった。出ていく前にもう一度会いたくてここに来た時に約束したんだ。

今の今までなぜ忘れていたんだろう。


昔の記憶に思いを馳せて、ベンチを見るともうそこには誰もいなかった。


風が吹いて身体が冷える。

気がついたらうっすら暗くなっていた。

あれ。私そんなに長い時間ここにいたかな。



結局カフェには辿り着けず家路についた。








「お待たせっ」

「ちょっとー遅いよもう。ずっと待ってたんだよ。」

「ごめんごめん。直帰するはずが急な残業が入っちゃってさ。ほらこれ、お詫びにお前が好きなカフェオレ。」

「わ、嬉しい。ありがとう。最近忙しいね。無理してない?」

「ずっと一緒にいるために、少しの無理は必要だからさ。」

「なぁにそれー」

「よし、うまいもの食べて、お前といちゃいちゃするぞー」


笑いながら抱きしめる彼に〈わたし〉もぎゅっと絡みつく。

愛おしそうに〈わたし〉を見つめる彼の瞳に気付いて幸せを噛みしめた。

この時間が永遠に続いたらいいのに。




「そういえばさ、最近変な夢見るんだよな。」

「変な夢?」

「そう、知らない神社にいて誰かと何かを話してる」

「誰かと何かってなによ」

「起きたら忘れちゃうんだよ」


そんなたわいもない話をしながら一緒に朝ごはんを食べる。

彼と付き合ってから週末は必ずふたりで過ごしている。

5年。長いようであっという間だった。

なんとなく彼が最近ソワソワしていてもしかして、もうすぐなんじゃないかと思っている。


「今日は映画でもみるかー」

なんて欠伸をしながらこっちを見る。

その時、彼のスマホの着信音が鳴り響いた。

「うわ、最悪。呼び出しかも。」

電話に出ながら、隣の部屋に移動している。

「はい…はい。承知いたしました。これからすぐ向かいます。」

という声が聞こえてきた。


「本当にごめん。どうしても今日中に確認ししないといけないことがあるみたいで会社に行ってくる。」

「分かった、無理しないでね。私は家で待ってるから。」

「ありがとう。行ってきます」


ドアが閉まった瞬間にため息が漏れた。

最近、多いんだよね。

でもふたりの将来のために頑張ってくれているんだもん。応援しなくちゃ。


そうだ、彼が好きなシチューを作ろう。

きっと喜ぶ。

すぐにでも買い物に出発しよう。





———


ひとり、ベッドの中で目が覚めた。

暗い天井が視界に広がる。

夢? いや、でも……。



なんてリアルな夢なんだろう。

夢の中の〈わたし〉は恋人と幸せに過ごしていた。

感情が本当に自分が感じたことのようだった。

彼の瞳を思い出すと胸があつくなった。


いやいや、何を考えているの。

現実では私はひとりきりで生きているのに。



それに、私は幸せになってはいけない。夢を見てはいけない。


どうしてあの約束を忘れていたのか、ぼんやりと記憶が蘇った。




私は4人家族だった。

優しい父と少し抜けたところがある可愛らしい母、そしていつも私を可愛がってくれる歳の離れた兄。

家族が大好きだった。




「お父さん、コーヒー淹れたよー」

「お、ありがとう。お前が淹れてくれたコーヒーは絶品だからな。」

「うわーまたコーヒーの香りが家中に広がってんじゃん。」

「なんでー?こんなに良い香りなのに。ねぇ、お母さん」

「そうね。お母さんは飲まないけど香りは好きよ。」


「俺嫌いなんだよ。コーヒー。」


そう言ってお兄ちゃんは私の頭をぐりぐりと撫で回した。

「もう、髪がぐしゃぐしゃになるじゃん。」

「ほらほら2人とも遅れるわよー」


毎日同じような日々の繰り返し。

だけど、とても満ち足りていた。


そんな日常が突然夢の奥に消え去ってしまった。


兄が逮捕されたのだ。

監禁。我が家には離れがあった。そこに行方不明になった女の子が監禁されていたのだ。

父も母も警察から事情聴取を受けた。

気が付かないわけがないと詰められたが、誰も知らなかったのだ。

そこに少女がいたことを。


兄は罪を認めた。




そこからは地獄だった。

近所の人たちは私たちを避け、「気持ちが悪い犯罪者家族」だと罵られるようになった。


ずっと一緒にあそんでいたあーちゃんとはるくんも親にあの子とは遊んではいけないと言われたらしい。


「もう話しかけないで。犯罪者なんでしょ?」

「近づくなよ。気持ち悪い。」

そう言い放った2人の目が忘れられない。




私たち家族は逃げるように引っ越した。

私たちを知る人がいない場所へ。

そこからは地元で起きたことは考えないように生きてきた。


だから、あの子との約束も忘れてしまっていたのだ。






それからというもの、毎日のように彼と一緒に過ごす夢を見た。

彼は相変わらず忙しそうだけれど。

2人の思い出の動物公園に行き、また別の日はふたりで家の中にこもってゲームを楽しんだり。

とにかくお互いが大好きで、一緒に過ごす時間がとても幸せだった。



段々分かってきた事がある。

違うのだ。夢の中の〈わたし〉は——私じゃない。


自分のことのように感情はあるけれど、鏡にうつるのは私ではなかった。

ロングヘアで目が大きな可愛らしい笑顔の女性がそこにはいた。

現実の私とは似ても似つかない。






「その…頬の傷…大丈夫ですか?」

あの時ぶりに会った山村さんに別れ際に突然言われた。

「傷?」

エントランスの窓ガラスにうつる自分をまじまじと見つめた。

「え?なにこれ…」

朝にはなかったはずの小さな、だけど赤くて目立つ傷がある。



「女性にこんなことを言うのは失礼かもしれませんが、少しやつれてらっしゃるような気もしまして…最近睡眠時間足りてますか?」

「毎日早く寝ているのですが…ただ寝足りないような気もします…」

「少し一休みしていかれては?そういえばカフェ行きました?」


ああ、勧めてもらったカフェ。

結局行けていなかった。

私は山村さんにお礼を伝えて、カフェに向かった。





前回は辿り着けなかったけれど、今回はスムーズに見つけることができた。

こじんまりとした可愛らしい木造のカフェで、手書きで「すずのや」と書いてある。



カランコロン。

「いらっしゃいませ」

メガネをかけた優しそうな店主が迎えてくれた。

私と目が合った瞬間。少し目の色が変わったように見えた。



…気のせいか。

私はメニューに目を向けた。

「夢コーヒー?」


「ああそちらは当店の看板メニューです。あなたのような方にはぴったりかと。」

「私のような…?」

「ええ。」

店主はそのままコーヒー豆を挽き始めた。

特に説明する気はないようだ。


「では夢コーヒーを一つお願いします」

「かしこまりました。しばらくお待ちください。」


コーヒーが出てくるまでの間、最近の夢について考えていた。



彼との充実した時間。

それ以外は何も分からない。彼がいない時は家で彼を待って過ごしている。

ただ一つ言えるのは、少しずつだけど彼が何を考えているか分からない、不安のようなものがじわじわとわたしを侵食している。




「ねぇ、本当に残業なんだよね?私は信じて待ってて良いんだよね?」

「何言ってるんだよ。当たり前だろ。

もしかして信じられないの?お前はただ待っててくれたら良いんだよ。」

「信じてる…信じてるけど…1人でいるのは寂しいよ」

「絶対ここに帰ってくるから、待っててよ。」

彼に抱きしめられてもわたしの不安は消えなかった。








「…お客様、お客様大丈夫ですか?」

店主の声が聞こえてきて、わたしははっと気がついた。


…あれ…?今、わたし寝てたの…?



「お待たせいたしました。夢コーヒーでございます。」

「あ、ありがとうございます。」


温かいコーヒーの湯気に落ち着きを取り戻してきた。

夢のことを考えていたから、

うとうとしてまた夢を見たような気がしただけかもしれない。 

そう思いながらコーヒーを一口ぐっと飲んだ。



「美味しい…」

「よかったです。このコーヒーの味を思い出す時は現実ですよ。」

「え?どういう意味ですか?」

微笑んで店主は店の奥に行ってしまった。




不思議な店主の背中を見つめていると、いつの間にか隣に人が座っていた。

少し驚きながら、そーっと見るとあの時の作務衣の男性だった。



「ここにもいらしたんですね。」

「ここにも?」

「コーヒーの味、忘れないと良いのですが…」


そう言って顎を撫でた後、男性は黙ってしまった。


なんだろう。このざわつきは…

早く、早く帰らないと…








気がつくと私はあの部屋にいた。

大好きな彼をいつも待っているあの部屋に。


立ちあがろうとした時、ガチャンと金属音が鳴った。


え、なにこれ?

私の足には鎖がついていた。その先はベッドの脚に繋がれている。







どうしてどうしてどうして…

私ちゃんとやれてたのに。

彼のことが大好きな彼女としてちゃんと生活していたのに……








「ただいま。良い子にしてた?」

彼がドアの前で微笑んでいる。

「…お…おかえりなさい…待ってたよ」

声が、掠れる。

「やっと仕事が落ち着いたよ。明日から有給とったから、1週間はずっとそばにいれるから。もう寂しくさせないよ。」

彼に抱きしめられる。

幸せな気持ちになるはずなのに。

どうしてこんなに苦しいんだろう。



「い…いっしょにいる間はこの鎖とってくれる?」

「とらないよ。またこの前みたいにどこか勝手に行くでしょ。コーヒーの匂いつけてさ。




俺、嫌いなんだよ。コーヒー。」


そう言って彼は顔をしかめた。






急に大好きだったはずの彼の顔が…

私の記憶の中の誰かと繋がってゆく。
















…お兄ちゃん?







…どうして…?







声に出したいけど、〈わたし〉は私の意思で話せない。








「お前はこのままずーっとここで待ってればいいからさ。俺がずっと守るし。」

そう言って首をギュッと絞められた。







またあの日々が続くんだ。

わたしは逃げられなかったんだ。

絶望が包んでゆく。
















はぁ…はぁ…はぁ……

気がついたら足元にナニカが転がっていた。














お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん。








「俺だけのさゆ。やっと見つけたのに。」




そう言って転がっていたナニカは目を閉じた。






さゆ…?

さゆってあのさーちゃん?




約束した、大人になったらまた会おうって。






記憶が……繋がっていく。










さーちゃんは目が大きくてとても可愛い女の子だった。

夏休みの間だけ都会からおばあちゃんの家に遊びきていた。

あーちゃんはるくんと私、そしてさーちゃんの4人でいろんな遊びをしたけれど、

さーちゃんはよく私の家に遊びにきてくれていた。





「さゆちゃん、よく来たね。ゆっくりしてきな。」

そう言ってお兄ちゃんはいつも笑顔で出迎えていた。






「ねえ、お兄ちゃんかっこいいねーさゆは一人っ子だから羨ましいなぁ」

「そんなことないよ。いつも頭ぐりぐりーってしてくるんだからー」

「兄妹仲良しなんだね。さゆもお兄ちゃん欲しい!」

2人で私の部屋でお喋りしてる時間はいつもあっという間に過ぎた。




「あ、もう帰らなきゃ!今日はおばあちゃんがコーヒーゼリー作って待ってくれてるんだ。家ではコーヒーはまだだめって言われるんだけど、おばあちゃんのコーヒーゼリーは特別なの!」





だけどその夜、さーちゃんは帰らなかった。



たくさんの大人に聞かれたけれど、私にはさーちゃんがどこにいったかわからない。





「さゆちゃん無事だと良いのだけど…」

そう言って目を真っ赤にさせているお母さん。

「不審者がいるのかもしれん。お前たちも気をつけなさい。」

お父さんも声が少し震えている。




「大丈夫だよ。さゆちゃんきっと元気に過ごしてるから。」

そう言ってお兄ちゃんは私の頭をいつもより優しく撫でた。




それから1週間後、さーちゃんが見つかった。

頬に小さな傷はあるけれど、それ以外は特に目立った外傷もなかったらしい。






私の日常が一変してしまった。











あれ…いつ約束したんだろう。

あの後さーちゃんに会った?









———

「約束は約束。大人になってまた会えたね。あなたはさゆだよ。」












身体が震える。

自分の心臓の音が聞こえている気がする。




目が…目が覚めない…





わたしはさーちゃんで、彼はお兄ちゃんだった…


なぜ、2人は一緒にいたの…?











一つわかるのは…










私は…




















わたしは…もうコーヒーの香りが思い出せない。




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