第二章

第一話 神殺しの予言――


 年老いた神父は、その少女が教会の敷地に入ってきたことに気づくなり「みんな、建物のなかへ……建物のなかへ戻りなさい!」と普段の口調からは想像もつかない強い言葉で子どもたちに指示を出した。

 五名の子どもたちはボールや本を手に、急いで教会のなかへ逃げ込んだ。

 エグレ神父は身に着けている黒いカソックやローブのなかに武器となるものはないか探ったが、頼りになるものは見当たらなかった。

 子どもたちが残していった庭仕事用の小さなシャベルをゆっくりと拾い上げ、よろよろと敷地を横断してくる少女をじっと見据えた。

 色白な肌をした『少女』は、蒼白と言ってもよい顔色でよろよろと腰をふらつかせながら歩いている。大きな荷物に押しつぶされそうになっているのか、もっと別の理由なのかはわからないが――大きな杖に体重を乗せて「ふひー、ひいいー」と呼吸なのか喘ぎなのかわからない『音』を発していた。

 ただの浮浪者ならば、神父のエグレは警戒などしなかった。

 彼女は『少女』の見た目ではありながら、ひどく神父の胸をかき乱す違和感があった。

 身長は百三十センチほどでありながら、髪が長い。腰ほどまで伸びている。それでいてふんわりとしたカールの癖がついていて『オトナっぽい』ところがある。毛先は赤く、髪の内側が明るい紫色をしていた。それは変色というよりは自然な髪質に見えた。

 ふっくらとした丸顔が「いひいー、いひいー」と苦悶に歪んでいる。

 教会で保護している女の子と同じぐらいの背格好の少女――。それなのに、髪の毛は大人っぽく特殊な色合いをしている。この違和感だけなら、まだ許容できた……が。


「なんて、大きなおっぱいなんだ」


 少女の胸は、もはや少女とは呼べない豊かなものだった。

 胸元は大きく開いていて、それを強調するかのような刺繍入りのコルセットが締められている。胸元に輝く黒曜石のネックレスと首元の紋章――。肩は剥き出しでありながら、肘から先は長いレースのついた袖になっている。変態趣味のドレスかと思ったが、冷静に考えれば……あれは魔術師の特徴だ。

 ドレスの裾には大きなスリットが入っており、ぷっくらとした太腿が歩くたびに見える。その足をすっぽりと覆う黒くて厚手のホーズが、エグレ神父の男性的な興奮を掻き立てた。

 子どもたちを避難させて正解だった。

 こんな得体のしれない小娘を前にしたら、男の子たちの性癖が歪み、女の子たちの『かっこいいお姉ちゃん像』がブチ壊しになってしまう。

 ときどき街には中年男性を惑わせる小娘がいる。まさに、この小娘もその類だとエグレ神父は痛感していた。奇妙な魔力を発する魔術師然とした気配は、問題ではない。この娘は、なんかえっちで……少年少女の性癖を歪ませるかもしれない。それが最大の懸念だった。

 奇妙な小娘はエグレ神父と距離を置いて立ち止まるなり、ゆっくりと口を開いた。


「あ、あの……来訪も目的はある。ただ、そのまえに、うぐうっ……裏手に、その、ご案内していただけませんか」

「――裏手? あァ、便所ですか」


 ふうん、とエグレ神父は彼女が顔面蒼白である理由を察した。


「裏手は雑木林です。あまりお勧めはできません」


 そう返答すると少女はハッとして、意図が通じていないのかもしれないと誤解したようだった。


「あ、あのね……。ここんとこ、トカゲにハマってて――ちょーっと食べすぎちゃったていうか。あ、あの、こっちの地方のトカゲは、なんて言うか、活きがイイって言うか」

「ははあーん。ちゃんと火を通しませんでしたね。こちらの地域では大ぶりなものが多いですから」

「そうそう、そうなの! だから、ちょーっとつらいって言うか――ひぐうっ!」


 瞬間――ぎゅるるるる、という苦しそうな音が腹から響いた。

 エグレ神父は中年を惑わす背格好の奇妙な小娘――魔術師っぽい――が、腹痛に表情をゆがめる姿をゆったりと堪能した。もちろん、表情を変えずに。


「あ、あのっ、ちょっとそろそろ限界で」

「どういうことです?」

「だから、その、おなかが痛くて――お花を摘みたいんです」

「ですから、裏は雑木林ですので、お花は――」

「出ちゃうから! いますぐ出ちゃうから、御便所を貸してくださいって!」


 エグレ神父を貫いた奇妙な魔力の波が、突風となって教会の裏にある雑木林をざわざわと揺らした。これほどまでの魔力を瞬発的に放出できる小娘は――やはりただものではない。しかも本域でないことは確かだ。

 エグレ神父は教会の脇にある小屋を指さして。


「そこで、うんこしてきなさい」

「ありがとう、恩に着るわ!」


 彼女はからんからんと杖を放り投げ、背負っていた荷物を降ろして「うひいー、漏れるぅ、漏れるぅっ!」と清楚な少女からかけ離れた下品な言葉をまき散らしながら駆け去って行った。

 その後、魔物でもいるのではないかと思うような下劣な音がしばらく響き渡ったが――美しくて愛嬌のある少女が「ふひー」と再び姿を見せたことに、妙な興奮が身体の奥底の小さくて硬い部分をひどく刺激した。

 礼儀正しくぺこりとエグレ神父に頭を下げてから、すっきりした表情で彼女は言った。


「助かりましたわ、神父さま」


 妙に気取った口調の小娘にエグレ神父は言い返す。


「くそたらしの小娘なんだから、そんなキレイな言葉を使わんでいい。くさいもんはくさい」


 すると小娘は表情こそ変えなかったが、ムッとした様子で。


「あんたこそ、小娘を囲って聖職者気取りしてるんじゃないわよ。この外道のくされ神父」

「ふん。子どもたちが成長する姿を個人的に楽しむぐらい、許されていいはずだ。街中の孤児を眺めながら温かいスープを飲んでいる連中よりは、よほど慈愛があるってもんだ」

「まァそうだけど。ここの子たちが、あんたのお下劣な正体を知ったら、どう思うかしらね」

「その正体を知られないように死ぬことが、わたしの願いだ」

「ええ、是非ともそうしてほしいものね」


 そこまで言ってから彼女は教会からエグレ神父に視線を戻す。


「人を探してるの。魔力を追って来た。あんたのところにいるんでしょ」

「あァ……いる、が。いまはいない」

「いまはいない……?」


 そう言って彼女は教会の敷地を指さして「ここに、魔力の残滓が漂ってるけど……嘘つくってわけ? ははあん、いい度胸ね」とエグレに威圧的な態度をとった。胸を抱えると彼女の大きな胸がさらに強調されて、ちょっとエグレはどきどきした。

 エグレはじろじろと彼女のおっぱいを見て。


「おっぱい見んな。そんな堂々と!」


 そう指摘されて、軽く咳払いをしてから言った。


「たしかに負の魔力を持つ子がひとりいた。ただ、彼は騎士見習いとして騎士団の宿舎だ」

「うそつかないでよ。ここに居る。こんなに魔力が残ってるんだから、ここで魔法を使ったんでしょ?」


 今度はエグレ神父が腕を組んで考え込む番だった。


「それが、そうとも言えん。あの子は素養はあったが、魔法を使えんように施されている。一部の高級神官が、ずっとずっと昔にやってきて聖痕を刻んだんだ」

「なんで止めなかったの」

「止める……? なあに。彼自身、知らなかったのだ。自分にそんな『負の魔力』が備わっている事を。事情がある少年だとは理解していたが、まァ、暴れられても困るので、その封印には同意したのだ。昔はちょっとした悪ガキだったから、丁度良かったのさ」

「スケベ神父のくせに、魔法の知識はあるようね。狡猾な男だってこともわかる」


 エグレ神父は軽く肩を寄せて「スケベじゃない。慈善的なスケベだ。それ以外の考察は当たってると思うよ」と返答したが、少女はまともに受け取らなかった。


「で、その子は騎士団の宿舎にいるわけ?」


 エグレはどう答えようか迷った。

 迷った末に「これは想像だがね」と前置いて答えた。


「彼は騎士になれなかった。一方的で身勝手な『ご加護』の秩序に、殺されかけたんだと思う」

「そりゃあ、イゼル・ア・ムーナの加護なんて、わたし達は受けないし、受けるつもりもない」


 うむぅ、とエグレは頷いてから。


「逃げたんだろう。騎士団の宿舎から。で、追われた。追われて、追いつかれて、ここで小競り合いがあった。ほれ、そこだろ。あんたが言うように残滓があるってのは。わたしにもわかるよ、それぐらい」


 そう言って彼はポケットから一枚の置手紙を取り出した。

 ちょっとくしゃっとなっている置手紙。

 それを受け取った少女は「西のランスへ?」と小首をかしげる。


「正義感が強くて、世話好きな幼馴染の女の子がいてな。その子が、ヴァルターを救いたい一心で、こんな見え透いた嘘を書いて――なにも知らないヴァルターの腕を引っ張って行ったんだろう。もしかしたら、神官どもの封魔を破ったのかもしれん。ここに、負の魔力が漂っているという事は、なんらかの『目覚め』があったんだろう」


 来訪者の少女はむっつりと黙ったまま、置手紙をエグレ神父に戻した。


「神父、あんたはこれからどうなると思う?」

「王国は大騒ぎ。でも、真実は公表されない。ヴァルターは身に覚えのない罪をかぶせられて、大罪人として追われるだろう。不幸なことだ。ただ、ヴァルターの運命はそういう星のめぐり合わせなのだろう。……んで、キミはどうしてヴァルターを?」


 逆に質問を受けた少女は、しばし逡巡して――ウソをつこうか、真実を述べようか迷うような間を置いて――から答えた。


「神殺しの予言に基づいて」

「ほぅ……」


 不意の言葉にエグレ神父は驚いた……が、仰天はしなかった。


 神殺しの予言――。


「なるほど。大きく出たな。その予言はどこで?」

「たくさんの人々の命を奪う、地の獄で。長い時間をかけて、天啓となって現れた。ヴァルターこそが、神殺しのカギを握っている、と。それから……」

「それから――?」


 小娘は妙に腰をくねくねさせて「んもおー」と鼻にかけるような嬌声を発した。子どもたちには聞かせたくないメスの声だ。


「あたしの、運命のひとなんだって! 強くて、責任感も強くて、それでいて一途な、格好いい子なの! そんな子が、必死に頑張って神殺しをやって……イゼル・ア・ムーナの加護を打ち破る。もー、最高じゃない!」


 ふむぅーとエグレは唸り、これまで座っていた揺り椅子に腰かけた。

 この娘はエグレを殺そうとはしないと確信を得たからだ。

 ヴァルターも変な小娘に嗅ぎ付けられたものだな、と呆れながら。


「なら、急いだほうがいい。彼らは東に向かった。まだ走れば追いつけるだろう。あんたみたいなクソ垂らしのババアなら、すぐにでも出発したほうがいい」


 下劣な言葉の連打を受け、少女は「ンなっ!」と顔を真っ赤にして。


「あ、あたしは――!!!」

「クソ垂らしだろ。んでもって、ババアだ。いい年して運命とか言っちゃう夢見がちな」


 エグレ神父の指摘に彼女は「そ、そうだけどさ……」と唇を尖らせた。

 そうしてから。


「リリス――。リリス・ヴェイル」

「エグレだ」

「本名を言って。わたしも本名を名乗った」

「んなもん、神父になった時に忘れたよ」


 そう言ってエグレは足を組みなおし、ポケットに忍ばせていた煙草を口にくわえた。器用に指の間から火の魔法を使って火種を作り、胸いっぱいに煙を吸い「ふぅー」っと長く吐き出した。

 その様子をじっと見つめていたリリスは「ふん」と踵を返してから。


「あんた、錬金術師の方が似合ってるよ。教会の神父なんてやってないで、小娘をかっ喰らう錬金術師やってた方が、よっぽどしっくりくる」

「ちんぽ蹴られて、懲りたんだよ」

「最低なエピソード」

「ありがとう。求めていた賛辞だ」


 ふたりは視線を合わせることなく「ご武運を」「幸福たらんことを」と言葉を結んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る