第一章

第一話 再会と逃走の選択



 ギシギシと床鳴りのする宿舎に駆け込んで、ヴァルターは私物をサドルバッグに詰めていく。馬の鞍につける鞄であるが、紐を通して背負えるようにして使っていた。

 宿舎に持ち込んでいた私物はそこまで多くないと思っていたが、意外とたくさんあった。

 革製の水筒は腰につけて、手袋と靴下をいくつか鞄に詰めた。砥石と布を鞄に詰め込もうとして、やめた。武器や鎧の手入れで使っていた大切なものだが、もう使うことはないはずだ。

 数本のろうそくと石鹸を洗濯袋に入れて、羊皮紙といくつかの書籍を鞄に詰めた。それから誰にも見せたくない散文の詩と日記をぎゅうぎゅうとサドルバッグに押し込んだ。寝床の毛布と敷物をぐるぐるとロールにしてひもで縛る。

 荷物を背負って、試験試合でしんとしている宿舎から逃げるように立ち去った。

 学舎では剣術や魔法を学んだ。

 座学と実技――。

 魔法は魔力を根源とした神の御業――。

 この王国は守護天使『イゼル・ア・ムーナ』によって建国され、その加護によって繁栄を続けてきた。

 魔法は神様や天使様が人間に与えてくれたキセキのチカラ――。

 王国騎士は、その奇跡を自在に操り、国家のために身を捧げる神聖な存在なのだ。

 魔法もうまく使いこなせず、剣術もパッとしない。

 なによりも大事な試験試合で散々な結果となって戦意喪失・意気消沈してしまったヴァルターには、もう王国騎士の道は閉ざされてしまったも同然だった。

 助けてくれたセレナは、午前の試合で勝利をおさめ――彼女も晴れて王国騎士になるのだろう。ヴァルターと違って成績優秀で、誰とでも仲良くできて、明るくて、可愛くて……。


「ううっ……」


 やめよう。

 これ以上、セレナの事を考えたら、また涙が止まらなくなってしまう。

 悔しい。本当に悔しい。

 でも、どうしようもない。

 自分自身が弱いのだ。

 セレナに救ってもらった。

 なのに「ありがとう」の一言もいえずに逃げ出してしまった。

 そう、逃げ出してしまうのだ。

 怖くて、苦しくて、つらくて、しんどくて――自分自身が情けない!

 ヴァルターはごしごしと目元を腕で拭いながら、学舎の敷地をあとにした。

 王都の街を抜け、城下のはずれにある教会――。

 ゆったりとした石畳の坂道をくだりながら「あーあー、小さい頃はもっと魔法の才能があったのになァ……」とボヤいてしまう。


「昔はセレナより成績がよかったのに……なーんで、こんなことになっちゃったんだろうか」


 つま先で石を蹴り蹴り、昼下がりの柔らかい陽射しのなかをとぼとぼと歩いて帰った。



* *



 どことなく城下町を横切るのが嫌で、ヴァルターは裏道から雑木林に足を踏み入れた。獣道とは言えないが、往来の少ない『秘密の通路』だ。

 ヴァルターが週末に帰宅する街はずれの教会と学舎に通じる近道で、先を急ぐ行商人や山菜を摘みに来た娘ぐらいしか使わないひっそりとした道――。

 草木を踏み、枝を折りながらヴァルターは先を急ぐ。

 逃げ出したかった。


 学舎から。街から。現実から――。


 ぐにゃりと曲がる坂道から、少しゆったりとした直線の道が現れる。

 そこはヴァルターのお気に入りの場所だった。

 歩調を緩めて道のまんなかで足を止めた。向かって右手側に向き直ると真っ青な池が現れた。

 森のなかにひっそりと横たわっている神秘的な蒼色の湖は、木々の合間から注がれる陽射しが強ければ強いほど青色が増す。まるで神様が立ち去ったあとのような神秘的な世界がある。

 世界はこれほどまでに美しいのに……。

 どうして自分の人生はこうまで息苦しいのだろうか。

 ヴァルターが「ハァ……」と深いため息をついたとき、元来た道から妙なうめき声のようなものが聞こえた。


「ぬうおおおおおっっッッ!!!」

「えっ……?」

「みいいいつぅうううけええええたあああァァァァァ!!!」


 手のひらをシュッと開いて全力疾走してくるセレナ・ファルゴの姿にヴァルターは「うぇっ、うぇえっ!?」と情けない声を漏らしてしまった。

 彼女は獣道を疾走して、ヴァルターのもとへやってきた。

 ザザザザーッ……!!! と土煙をたてながら立ち止まった彼女は、玉の汗をかきながら肩を激しく上下させていた。


「ここだと思った!」


 ぜえぜえと荒く息を吐きながら、彼女は断言して。


「帰る!? それとも逃げる!?」


 言っている意味が分からない。

 薄い蜜柑色のチュニックに白色のガンベゾンを着ている。いつも剣術の稽古を終えて宿舎でセレナがしている格好に他ならない。下半身はズボンではなくホーズで、これも宿舎でリラックスするときの格好だ。

 ほかの子はズボンを履くことが多いのに、彼女は長いタイツのようなホーズを履く。太腿の高い位置で終わっているホーズは、色白でむっちりとしたセレナの太腿をひどく強調するように見えた。チュニックの裾が長いおかげで、太腿が剥き出しと言うわけではないが……いろいろな所作のたびにちらりと見えるセレナの太腿に、ヴァルターはどきどきしてしまう。

 限りなく白に近い淡い金髪が、日の光と汗の艶によって輝いているように見えた。長い金髪をポニーテールのようにまとめた姿は――いつもの見慣れた、強くて格好良くて、誰からも好かれる彼女にほかならない。

 若くて瑞々しい頬が全力疾走で赤く上気している。

 昔はよく二人きりで面と向かって話し合ったものだけれども、ここ最近はセレナから距離をとっていた。ヴァルターは自分の劣等感から、彼女と言葉を交わすことを控えていた。

 ぶんぶんとヴァルターは顔を振って。


「意味が分からないよ。どうしてセレナまで学舎から出てきちゃったんだよ」


 キミは王国騎士になるんだよ。僕と違ってちゃんと騎士さまになれる人物なんだよ。どうして勝手なことをしたんだ――。

 言いたいことはたくさんあった。

 けれどもセレナは笑みを浮かべて――うわっ、めっちゃ可愛い――ヴァルターに言った。


「使徒として、神様の御使いだけが人生じゃない。わたしはヴァルターの事を信じてるから、追って来た!」

「お、追って来たって……」


 ちょっとだけ俯いたヴァルターは、ちゃんと伝えなきゃと決意して顔をあげる。


「いまからでも遅くないから、セレナは学舎に戻って。立派な騎士になって!」


 しかしセレナは顔を振り、腰に帯びている剣に触れる。


「とにかく前に進もう。教会に帰るところだったんでしょ?」

「そ、そうだけど……なんで僕のところに来ちゃったんだよ。意味がわから――!!!」


 ぐいとセレナは人差し指をヴァルターの唇に押し付けて、にっこりとほほえむ。


「いろいろと説明したいけど、いまは時間がないの。さ、教会に寄って荷物をまとめて、逃げる支度をするよ」

「えっ、えぇ……!?」


 会話の内容は不穏だ。

 それなのに、胸は高鳴るような鼓動を繰り返している。

 ライベンと相対したときとは全く違う、心地よい胸の高鳴り――。

 子どものころ、よくセレナとふたりで森で遊んだ。花を摘んだり、鳥たちを観察したり、山犬を探したり、河で水遊びをしたり……。

 あの頃からセレナは可愛かったし、頼りになった。

 そう、あの頃のヴァルターは……未来に希望を抱く、勇敢な少年だった。

 ぐいと手を引っ張られて「ほら、ぼーっとしてない! 時間が惜しいんだから!」とセレナは歩き出した。


「うわっ、あっ、ちょ、ちょっと待ってよ!」


 あいまいな言葉をたくさん漏らしながらも、彼女の力強さと優しい手の質感と温かさに、小さな幸福感を覚えていた。

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