『またね!』

はろ

『またね!』

 この街の冬はとても長い。


 十一月の末から雪がちらつき始めて、十二月の中頃には辺り一面真っ白になるほどに降り積もる。そしてその雪が少しも嵩を減らさないほどに、気温もぐんぐん冷え込んでいく。

 一月、二月にも積雪量は増え続け、冬の間は街中が除雪作業に追われることになる。三月になるとやっと寒さもゆるみ始め、雪も溶けていくが、それでも四月の半ば辺りまでは冬の名残りのようなものが執念深く居座り続ける。草木が芽吹き、いよいよ春だなと思える気候になるのは、せいぜい四月の末か五月の頭頃の話だ。

 すべてのものがしんと死に絶え、氷の中で身を縮こまらせながら、春になれば溶けるはずのものを必死に搔いて捨てるという不毛な労働に囚われる季節。

 俺は、そんなこの季節と、この街が嫌いだった。


「あたしはこの季節がいちばん好きだな」


 冬の終わり。三月の残雪の雪原を、寒々しくも素足に履いた下駄で駆け回りながら雪子は言う。

 俺は早く家に入りたいなあと思いながら、呆れたようにため息をついた。まるで春や夏や秋のことをよく知っているかのような口ぶりだったので。


「好きも何も冬しか知らないだろうが」

「えー、そんなこと言う?確かに知らないけどさぁ、絶対今が一番いいって」


 クスクスと笑いながら、雪子は素手で握った雪玉を投げつけてくる。白い着物をひらひらさせながら。不意の攻撃を避けられなかった俺の右頬のあたりにそれはぶち当たり、雪子はそれを見てさらに笑い始めた。

 雪子は雪合戦が得意だ。そして、この時期の溶けかけの雪で作った雪玉は硬くて痛い。だから出来れば張り合いたくはないけれど、腹が立ったので、俺も雪玉を握ると彼女に投げつけた。


「冬にだって色々あるんだもん。冬の始まりも好きだけど、冬の終わりも好き」


 俺が投げた雪玉をひらりと避けながら、雪子はさらに言う。そしてまた、雪玉を握って投げてくる。

 笑っているけど不機嫌なのが伝わってくる。俺がさっき、今年の豪雪に嫌気が差して『早く冬が終わらねぇかなぁ』と呟いたのが気に食わなかったのかもしれない。

 雪子が不機嫌になったら、この晩冬に大雪が降ってしまうかもしれない。そう思って、俺は早めに白旗を揚げた。


「悪かったよ、冬が早く終わってほしいなんて言って」


 謝る俺に、雪子は目を丸くして驚いたような顔をする。それから先ほどとは種類の違うにやけ顔に変わると、いつの間にか俺の目の前まで近づき、そして頬に唇を押し当ててきた。


「つめてっ」

「ふふっ、素直でよろしい」


 雪子の唇は真っ赤なくせに氷のように冷たく、俺の平熱の肌に触れるとそこから奇妙に水が滴った。


「雪が全部溶けちゃう前にね、クィーンアイスのトリプルをもう一回食べたいし、スノボにも行きたい。ハヤテ商店街のイルミネーションももう一回見に行きたいし……。付き合ってくれるでしょ?」


 途端に上機嫌になって、甘えたように言ってくる雪子に、俺はしぶしぶでも頷くしかない。この時期の雪子のわがままは、とにかく全部聞いてやらなければならないという気持ちになってしまうのだ。


 雪子と出会ったのは、もう覚えていないくらい前のこと。物心がついたかどうかという時期、俺が三歳や四歳の頃だったのだろうか。

 冬の初めの庭先にたたずむ、抜けるように白い肌をした髪の長い着物の女を初めてみた時の衝撃を、俺はいちおう今も覚えている。一番大きかったのは恐怖だったような気もするけれど、しかしどうにも目を離せないような、ずっと見つめていたくなるような魅力が彼女にはあった。

 彼女は確か、幼児だった俺を見るなり言ったのだ、「好き。一目惚れしました。付き合ってくれる?」と。

 あれからもう十年以上が過ぎたことになるわけだが、雪子の見てくれは出会った頃からほとんど変化していない。ずっと年上の謎めいたお姉さんだと思っていたはずが、気付けば近頃は同年代のように見え始めてきた。


「ねえ、なんでこの季節が一番好きか、聞かないの?」


 気付けば手袋をはめた俺の手に手を絡ませて、彼女が聞いてくる。さっぱりわからなかったから、素直に「なんで?」と聞くと、くすぐったそうに笑って「翔也が優しくなるからだよ」と囁いた。

 何を馬鹿なことを。しかし雪子は――この雪女は、始終この調子なのだ。彼女の言うところによれば、雪女というのはおしなべて恋に生きる生き物らしい。

 雪が溶けない気温でなければ実体化していられないらしい彼女たちは、冬以外の季節には深い眠りについて、冬になると全力で恋をするのだそうだ。

 そして俺は、それにずっと付き合わされている。冬の長いこの街から俺が出ていけないのも、すべてはこの雪女のせいだ。


「まぁ、とりあえず、新しいスノボのウェア買いに行くか」

「えー、今のでまだ大丈夫だよ。っていうか翔也照れてる?耳赤くなってるよ」

「……」


 恥ずかしいことをぐちゃぐちゃと言い続ける彼女の手を黙って引きながら、ザクザクと音を立てて二人で雪原を歩く。この冬もまた、まだまだ思い出を作ってやらなくちゃならないなと思いながら。

 彼女が『またね!』と明るく言って、消えてしまう春までに。

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『またね!』 はろ @Halo_0303

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