黒服の来客

朝永 優

ふと顔を上げると、『あいつ』が来ていた。

 やあ、君か。


 ずいぶん待たせたじゃないか。もう何十年待ったかわからないぐらいさ。それにしても、クラシックな恰好だね。黒のフード付きマントに草刈鎌ってやっぱりわかりやすくないといけないからそういう風になるのかい。待って待って待ち焦がれて、Tシャツにジーンズみたいな恰好でこられても困ってしまうけどね。

 

 やっぱりその草刈鎌で頭をすっぱりとやるのかな。もう少しまっすぐ座った方がやりやすいかい。ああ、そうなんだ。そいつは単なるアクセサリーなわけか。


 少し話をする時間があるって、別に急ぐわけでもないけれど、まるで命乞いするみたいでかっこ悪いな。まあいいや、誰も聞いてるわけじゃないしね。それに、誰にでも君はそうしてるんだって言うし、せっかくだからね。


 ぼくの物心付くか付かないかというような頃から、君のことはいつも身近に感じていたよ。なんと言っても家や学校にいる時間よりも、病院のベッドにいる時間の方が長かったくらいだからね。夜の消灯時間になって部屋が暗くなった後なんか特に、ぼくたちのそばに佇む君の気配をいつも感じていたよ。同室の何という子だったか、歳よりもずいぶん幼い童顔の眼鏡の子は、君が夜の間に連れて行ったんだったね。うん、君も覚えているんだね、あの子のことは。明るくなって、あの子があんまり静かだからみんなでびっくりしてナースコールしたんだけど、もうずいぶん前に君に連れられて出発した後だったね。

 

 ぼくの母親はずいぶん君にぼくのことをお願いしたり、急に君のことを邪慳にしたり、ぼくのことで迷惑をかけてしまったね。まあ母親という立場上、子供が病弱で面倒だから嫌になったりしても、公然と君を歓迎するわけにもいかないものね。


 何とか大人になって社会に出てからも、僕は君に借りがあることをいつもどこかで考えていたんだ。借りた時間の中で、借り物の空気を呼吸しているって気分もあんまり気持ちのいいものじゃないんだ。職場なんかで急に体調が悪くなって病院にかけこんだりもして、同僚にかえって同情されてしまうのもちょっと重荷だったな。でもそれが、借り物の時間の中で生きているってことなのさ。


 それからね、こんなぼくに好意を持ってくれた奇特な女性もいたんだよ。だけどぼくとしてはそんな好意を受け取るわけにはいかなかったんだ。だってぼくは本来、君に属している人間だからね。実は自分には長いこと待っている人、つまりそれは君のことなんだが、待っている人がいるからって断ってあの子にはずいぶん悲しい思いをさせてしまったけど、それはどうしようもなかったんだ。

 ああ、頷いてくれたね。君ならばその気持ちをわかってくれると思っていたんだ。


 そんなことで自分で君のところへ行こうとしたことは何回あったかな。情けないへたれでね、どうしても一歩を踏み出すことができなかった。高いところも縄もダメさ。人にすごく迷惑をかける鉄道なんか論外だった。年をとって自分が家族や社会のお荷物になったと感じたら、うんと寒い夜に自分から冷たい雪の中に横になって果てるって言うイヌイットの老人の話しって、あれは本当のことなのかい? そのことでイヌイットは誇り高い人々だと賞賛されて、お荷物のぼくとしては気恥ずかしい気もするんだけど、今から行くところでそんな人に会うこともできるのかな?


 残る人たちのことかい。まあ人間どんなものにも慣れてしまうからね。たとえばそこの三丁目の角のところの新しい店だけど、前に何が建っていたのかなんて覚えている人はもうだれもいないんだ。いろんな人が何十年もその前を行き来したはずで、新しい店が出来てからまだ半年も経っていないのにね。ぼくだってそんなことはすっかり忘れてしまったよ。だからぼくがいないことなんか、二三日もたてば最初からいなかったのと同じことになるだろうさ。心配はしてないよ。


 さあ連れて行っておくれ。

 どんな風よりも、光よりも早く。向こう側へ。

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黒服の来客 朝永 優 @yu_tomonaga

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