第20話 章太
翌日、
彩佳が収牧(放牧した馬を馬房に戻すこと)を手伝い、エイールの手入れを終えた時刻は午後六時半を回っていた。誰もいない厩舎でエイールと戯れる彩佳の背後から固い声が聞こえる。
「彩佳」
振り向くとらしくない生真面目な表情をした章太がいた。
「来てたんだ。柔道の稽古? なんだよ。やけに真面目な顔してさ」
エイールを構いながらいつも軽い調子で話しかける彩佳。だが章太の固さは一向に変わらない。
「ん、ちょっと…… いがべが?」
「ああ、いいけど何?」
「いがらっ」
彩佳は少しびくっとした。こんな強い口調の章太は見たことがない。しかし、それに
「なんだよ、しょうがないなあ。何の用だよ。ここで聞くよ」
章太は周りを見回して誰もいないことを確認してから声を潜めて彩佳に話しかける。
「俺、守っから。熊だろうがなんだろうが、ぜっておめのごど、守ってやっからな」
「は? 言ってることわかんないんだけど」
熊と聞いて不安が湧き上がり、章太のただならぬ様子にさらに不安感がいや増す。彩佳の声も少し上ずる。
「で、柔道の稽古してるってこと?」
章太はゆっくりと深くうなずく。
「なんで?」
「俺、俺な……」
何か言いかけて言葉につまる。彩佳には章太が何をそんなに思いつめているのかよくわからなかったが、不穏な何かを感じた。
「やめろよ章太、私聞きたく――」
「おめのごど、好き、だがら……」
真夏の熱気冷めやらぬ夕べ、凍り付いたような沈黙が流れる。彩佳は唇を震わせながらようやく一言発した。
「…………うそだ」
「ほんとだ」
章太は幼馴染だ。お互い物心ついた時からの友達だ。友達だと思っていた。なのに、自分がまだ大人でも子供でもないままふわふわとしている間に、こいつはすっかり「男」になっていたというのか。彩佳は章太の真剣なまなざしにぞっとした。「守る」だなんて、まるで自分が所有物にされたようで嫌だった。その気持ちがそのまま言葉に出てしまう。
「やだ。そんなのやだ」
そう言うと同時に彩佳は章太を置いたまま駆け出す。心臓が恐怖や悔しさで激しく脈打つ。足がもつれそうになって口や喉が渇く。握った手がかすかに震えた。夕空はゆっくりと藍色に染まりつつあった。
【次回】
第21話 芦原・裕樹
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