第12話 近くて遠い

「センパイってホントなんでも一人でやっちゃうし、できちゃうっすよね。だから『かなめ』とか言われちゃうんすよ」


「ならお前は『はしら』だ、もう少し自覚しろ」


「へーい」


 裕樹ひろきは本来ならしなくてもいい業務まで念入りにチェックし、若いスタッフに丁寧に指示を与える。そういうところが当時の原沢には好ましく映っていた。


「しっかし損な癖っすね。もっと任せないと、下が育たないっすよ?」


「ううん、まあなあ……」


 ナスとみょうがの冷たいみそ汁をすすりながらぼんやりと返す裕樹ひろき。一方で彩佳あやかは気が気ではなかった。近い。近すぎる。うちでだってこんなに近い時はそうそうなかった。それに匂い。牧草やわらや馬糞や堆肥の臭いに混じって強い汗の匂いがする。やや細いが力強い腕が触れそうだ。彩佳はそれを妙に意識してしまい、心臓の鼓動が早くなってきているのにも気づかなかった。義父に章太や克也かつやにはない何かを強く感じる。平静を装うのが精いっぱいだった。


「彩佳」


「へっ?」


 突然話しかけられ、彩佳の喉から変な声が出てしまう。


「午後はもういいぞ。学校の課題だってあるんだろ? 夏休みの宿題もあるんだし」


「う、うん、そうだね、そう課題がね…… ありがとうお父さん。でもできる限りお手伝いしたいんだ」


 この人といられる時間が、ただ嬉しいから。


「ほんとにいいのよ。学校の勉強だって遅れてるからの補講なんじゃない。心配なの」


「……放っといてよ。自分のことは、自分で決める」


 隣で心配そうな様子を見せる芸大卒の母の言葉にいら立った彩佳は、ぶっきらぼうに返事をすると、最後の一切れにタルタルソースをいっぱいつけて食らいつく。


「んー、まあ元気なのが一番だ。勉強判らないことがあったら何でも聞いてくれ。憶えてるか判らないけど」


 と裕樹が笑顔で彩佳に言う。優しくされると逆になんだか子ども扱いされたみたいで癪に障る。


「判ってる」


 また不愛想に答えると、冷たいみそ汁を飲み干して完食した彩佳は、勢い良く立ち上がって食器の返却台に向かう。


「エイールのとこ行ってくる」


 三人の大人はそんな彩佳の背中を見送った。空が小さなため息を吐く。


「まあ、ちょっとした反抗期っすかねえ」


 少し意地悪な笑みを浮かべて空に視線をやる原沢。


「あたしもちょうどあの頃あんなんだったっすよ」


「私、反抗期がなかったからよく判らなくて……」


 と、お代わりの丼を持ったまま空は視線を落とす。


「自然にしていれば大丈夫。それに彩佳は、ああ見えてちゃんと考えてる。困ったら助ければいい、それだけだよ。『僕たちの』娘なんだ。信じてやろう」


 原沢がにやにやしながら裕樹を冷やかす。


「いやあ、よくできたお義父さんっすね。かっこいいー」


「からかうな。食べ終わったんなら油売ってないで行くぞ」


「へーい。もっと涼んでいきたかったなあ。あんたはいいっすね。いちんち中エアコンの効いたアトリエにいればいいんすから。あー、肉体労働者はツラいツラい」


 ちょっと棘のある笑みを空に向けると、白いつなぎを着た身体をひるがえして、原沢は返却口へ向かっていった。


「なんか、ごめんなさいね」


 すまなそうな顔の空に裕樹は笑顔で答えた。


「気にしないで。僕だって原沢だって好きでやってることなんだから」


「そうね。ありがとう。私も後でシエロのところに行くわ」


「そうだね。きっと待ってると思う。じゃ」


「じゃ」


 裕樹と空は声と視線で言葉を交わす。裕樹が食器を返却する時には空は三杯目をお代わりしていた。


【次回】

第13話 いまだ風を掴めず

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