第7話 シェアトの朝

 東の空が明るくなり始めた八月初旬の盛岡郊外。早朝とはいえ空気はすでにじっとりと湿り気を帯び、無風のせいでじんわりと汗がにじむ。馬房では、馬たちがすでに目を覚ましつつあり、鼻息やいななきが聞こえてくる。


 裕樹ひろきは、いつも通り夜明け前に起き、黙々と乾し草と配合飼料を馬房へ運んでいく。


彩佳あやか、ちゃんと起きてるか?」


 馬房から顔を出して声をかけると、少し離れた場所でエイールのたてがみを撫でていた少女が振り向いた。


「んー…… 起きてる……」


 寝起きなのか、まだ少しぼんやりした顔で答える。ポニーテールも雑に束ねた感じだ。朝の水やりを任された彩佳は、桶に水を汲んで各馬房へと運んでいた。


「今日は早かったな」


「昨日、早く寝たから……」


 エイールが水を飲む様子を見ながら、彩佳は大きく伸びをする。夜の間に少しだけ冷えた水が、馬たちの喉を潤していく。


 そこへ、原沢がタオルとポットを持ってやってきた。


「おはよ。あれ? 彩佳がこんなに早く起きてるなんて、珍しいじゃん」


「いつも起きてるよ」


「いや、いつもギリギリじゃない?」


 原沢が肩をすくめると、彩佳は「そんなことない」とむくれる。その様子を見て、近くで馬房の扉を整備していた裕樹が笑った。


「今日はいぬいさんもいるし、作業は早く終わるかもな」


「えっ? 乾さん?」


 彩佳がきょとんとしていると、ちょうど納屋の方から乾が姿を見せた。


「おはよう」


「……なんでいるの?」


 彩佳が怪訝けげんそうに眉をひそめる。


「せっかく朝早く手伝いに来てやったのに、随分な言いようだな」


 乾はあいかわらず何を考えているかわからない顔で、原沢が持っていたポットを見て「今日はいいコーヒーにありつけたな」と呟く。


「はいはい、ちゃんと働くなら飲んでいいっすよ。せっかく珍しく早起きしたんですからサボらないで下さいね」


 原沢がコーヒーポットを持ってきて、乾はさっそく一杯もらう。


「乾さんが率先して手伝うなんて、今日は嵐になる……」


「かもな」


 驚愕する彩佳の言葉に無表情でそう返した乾がコーヒーをすすっていると、また別の来訪者が現れた。


「おはようございます」


 静かに、少し息を切らしながら、照れくさそうに現れたのは克也かつやだった。


「……克也くん?」


「どうした、こんな朝早く」


 裕樹ひろきと乾が意外そうに声をかけると、克也は少しだけ視線を逸らし、「え、いや、その…… せっかくなんで、朝の牧場を見たくて」とつぶやいた。


「へぇ……」


 原沢が意味ありげに彩佳の方を見るが、本人は気づかない。原沢が「頑張って早起きしたね」と言うと、少し困ったような顔をして「まあ、ちょっとだけです」と克也は答える。いつも表情に乏しい乾ですら「それはまた随分と熱心だな」とうっすら笑みを見せる。


「せっかくだし、仕事手伝っていってよ」


 裕樹ひろきがバケツを差し出すと、克也は「えっ」と一瞬驚くが、「……わかりました」と言っておずおずと受け取った。


「じゃ、水やりお願いね」


 彩佳がすかさず指示し、克也は言われるがまま水桶を運び始める。


「あの…… 僕がこんなことして大丈夫なんでしょうか」


「何事も経験だ」


 乾が適当に流す。


「さあて、私も馬のチェックするかね」


 原沢が軍手をはめながら馬の足元を見て回る。

 一方で裕樹ひろきと彩佳は一緒に馬に異常がないか一頭一頭見て回っていく。その二人を見て、「……仲がいいですね」と克也がポツリとつぶやいた。乾はそれを聞いて、目を細める。


「そうだな」


 その何気ない一言で、牧場の静かな朝がふっと涼やかになった気がした。


【次回】

第8話 水飛沫みずしぶきとのたわむ

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