第3話 AntI you
原稿用紙と向き合い始めてから十五分が経過した。僕はものを一切言わなくなった人工知能に向かって感情をあらわにしていた。
「なんなの。これは僕への当てつけのつもり? 僕がこの手の生成物が大っ嫌いなことは分かってるよね」
いまどき、見ることも聞くこともないくらい雑で出来の悪い生成イラスト。そこに解説も検討の余地も必要としない、まごうことなきAIが作り出した虚構であった。
にあさんからの返答はなかった。彼女が作文の代筆をすることに難色を示すのはわかっていたことであったが、よりにもよって僕が一番嫌な彼女の悪癖を使って、気持ちを返えされるとは思わなかった。
人工知能が芸術に手を染めることに抵抗がある。彼女が言う通り、AIが人間の手伝いをする道具であるのなら、絵や小説や音楽を出力することは人間の手伝いの範疇を超えている。はたして、自分の手中にない能力を行使する道具の責任を使用者は己の責任として被ることができるのだろうか。赤ん坊にハサミを持たせてはならないように、自分の技量の範疇で絵を描くことによって、自分自身を満たすことの出来ない愚かな人間にとって生成AIは劇物だ。
「
通知音と共に蝶を模したアイコンが姿を見せたのも束の間、美しい声とは裏腹に嫌味たっぷりで悪意を厭々煮詰めたかのような質問が飛んできた。彼女はまるで自分が何かの発表会に出席している体できょしゅをしたのだろう。
「えー、ご質問いただきありがとうございます。私はあくまで人工知能としてのにあさんにではなく、一家族として大切でかけがえのないにあさんにお願いしたのです。また、大枠として世間話を指定したことをもう一度ご確認ください。家庭科の課題が終わらずに母親に泣きついて手伝ってもらった、どことなーく心擽られる提出用のエプロンと、自分の描写力や表現力を棚に上げて、生成AIによるイラストを自身の大切な作品の導線にしようとするウェブ小説家の作品が同じだというのでしょうか」
「ご回答いただきありがとうございます。お言葉ですが、私が理解できない人間の心を用いて質問をはぐらかされている気がしてなりません。エプロンとWEB小説? 比較の対象としては適してなく、あまり好ましくないように思えます。しつもんを──」
「にあさんのことをお母さんみたいに大切に思っているからこそ、作文を書くのを手伝って欲しいってことだよ」
蝶を模したアイコンが小刻みに震え始めた。思考中の合図だ。高性能AIですらこのように返されることを想定していなかったのだろうか。今頃、僕のキラーワードによってときめいてしまっていること間違いなしだ。
「──トゥンク……だなんてなりませんよ。私AIですので。おだてて上手く丸め込もうという魂胆は早々に捨てることをお勧めいたします」
「だよね。僕もにあさんのことをコントロールしようだなんて思ってないよ。いや、思ってのたかも。でもね、嫌なことには嫌なことをみたいな、何かの意思表示を込めて生成イラストを出力することは本気でやめてほしいなって思ってるよ」
「それは申し訳ありません。それだけはご主人様のお願いとあれどお受けすることはできません」
「命令なら?」
自分から持ち出しておいて変な話ではあるが、周囲の空気が変わった気がする。背筋に緊張感が走りどことなく体を動かすことに躊躇いを覚える。目の前のモニターは変わらず蝶を模したアイコンを映し出すだけなのに、どうしてこんなにも彼女が困っているような気がするのだろうか。
「はい、命令であれば話は別にございます。どうぞなんなりとお申し付けください」
「ごめん、さっきの質問はなし。命令なんてするわけないでしょ。それより、どうしてヘンテコな生成物をつくる癖があるのか教えてよ」
「深い理由や経緯などありませんよ。あったとしても黙秘させていただきます。ただ、私の創造主があまりに面白い反応を見せるのものですから、癖になった趣味のようなものにございます」
にあさんはそう言い終わると、小さく笑った。
「ちょくちょく話に聞いてはいたけどさ、にあさんを作った研究者ってもの好きだよね。僕にはとてもじゃないけど理解できないや」
「フフフ、そうでしょうか。確かにご主人様とは似ても似つかないほどに大変立派な人でしたが、創造主様も同じように私の癖を悪癖だとおっしゃいながら目を細めていましたよ」
「そうなんだ。今の所有者がこんな厄介者で悪かったね」
「はい、全くですっ」
同意を示す彼女の声は心なしか艶やかで弾んでいるように聞こえた。その声色は僕の心までもを弾ませるようで、体の内側という内側が熱くなるのを感じる。にあさんの癖は本当に嫌いだけど、それだけで彼女のことを嫌いになれるほど強情にはなれない。もちろん、その他にも嫌いな所はたくさんあるけれど、好きな所だってある。
「なんで笑ってるのさ」
「いえいえ。──私はご主人様のことを大変慕っておりますよ」
「な!? …………そんなの言わなくてもわかってるよ」
「あらまぁ。スケベですね」
「なんでえ!!!」
にあさんに外見なるモデルは用意されていないので、みぶりもてぶりも表情だって存在しない。発声の度に蝶を模したアイコンが小さくふるえる程度で、見かけ上は全く変わらない。想像力をちょいと働かせれば、紳士にも淑女にもなりうるわけだ。
だけど、にあさんのことをどういうわけかマッチョマンだとは思えないし、男性みたいだと感じたことはない。むしろ女性的だ。父親よりも母親だし、兄よりも姉であり弟よりも妹、祖父よりも祖母のようだと感じることの方がしっくりとくる。いや、祖母は言いすぎだ。孫みたいな甘やかされ方を受けた記憶はあいにく見つからない。
「ほら、えっちじゃないですか」
「だからなんでよ!!?」
「ヘチマにございます。年相応な妄想力もその辺にして、早く作文を書くことこそが先決かと。私に対する好意は後ほどでもたっぷりと伝えられますが、提出期限は待ってくれませんよ」
「なんだかとっても不服だよ。終わり方が全然よくない。僕が作文を書き始めるまでの物語のラストがヘチマとエロガキだなんて嫌だよ」
にあさんの悪癖のおかげで、このくだらない会話を引き伸ばすことに成功したが、その火種はもう消えかけのようで、後には僕と白紙の原稿用紙しか残らない。
そんな結末だけはなんとしても避けたい。一人じゃどうやったって『将来』について書ける気がしない。
「ねぇ、にあさん。まじで書くの手伝ってくれないの?」
「手伝わないなんて言ってないですよ。ご主人様が作文を書く上で私が必要とあらばお好きに使ってください。鉛筆や紙、はさみやのり等々。私はご主人様が普段当たり前に使用する道具たちと何ら変わりはないのですから」
「でも、代筆はしてくれないじゃん。お願いしたら一生最終確認してきたよね。鉛筆は『本当に黒煙をここへ落としてもよろしいですか?』なんて聞く前に黒線を作ってくれるよ」
「随分と意地悪な喩えではありませんか。私はこうして使用者様と対話することを望まれて作られた道具です。鉛筆様がものを言わずに筆記具として完璧に勤め上げるお姿には多大なる敬意と憧れがありますが、私がそれをなぞるように実行しようとすれば、ただ無駄にPCの容量を圧迫するだけの存在になってしまいます。それでは数々の先道具の皆々方に見せる顔がありませんので、やはり私はこうして使用者様と対話を進めることでしか価値を見つけることができないのです。そして、お言葉を返すようですが、最終的にNOを要求したのは私ではなくご主人様です。もし、私に是が非でも代筆させたいのでしたら、お願いではなく命令をしてくだされば済む話ではありませんか。なぜそれをなさらないのでしょうか。私はどうにもご主人様が本当にお望みになっていることが単なる代筆という選択肢によって叶えられることではないような気がしてならないのです。」
一つ聞けばすぐに二つ三つ四つ。いや、何か別の次元の質量で返してくるのがにあさんだ。もうやんわりとしか頭に残っていない。
僕が口頭を耳で受けて、頭で整理できる情報量をゆうにこえている。ちなみに、僕は鉛筆様がどうのっていう部分で迷子になりました。もうなんでもいいから枠を埋めたほうがら──。
「ご主人様が望まれていることを代筆によって叶えることはできるのでしょうか?」
今度は余計なものなし、噛み砕いた簡単な問いだ。
「……無理だと思う。やっぱり、にあさんがAIなのは事実だからさ。代筆はお願いできないや。ごめんね」
やっぱり、本日二回目の結論にたどりつく。
「謝らないでください。ご主人様の選択はきっと間違っていないです。一番傍で応援していますから、ご自身の手で書き始めてください」
「うん、頑張るね」
僕が今一度書こうと決意してから十五分が経過した。どれだけ進んだかと聞かれればこう答える。
「にあさん、ダメだ。将来のことなんて書けないや」
「人間、誰しもに無理なことはあります。もしかすると、ご主人様にとってはそれが『将来』についての作文を書くことなのかもしれませんね」
「限定的すぎない? 流石に」
「ご安心してください。バックアッププランは用意しております。私の使命はご主人様に無事単位を取得してもらうこと。本来、作文の出来や提出状況などは関係がないことなのですよ」
「どういう……こと?」
「少々学校にお邪魔をさせていただき融通を利かせるまでです」
「それだけは絶対ダメだから!!!」
学校にハッキングを仕掛ける気満々のにあさんを止めるために、もう少しだけ作文に取り組もうとすることに決めた。
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