【三題噺】夕焼け通りの彼女へ

本日の三題:夕焼け、約束の場所、消えた友達


 夕焼け通り。そう呼ばれていたのは、商店街の裏手にある、今ではもう誰も通らない坂道だった。

 誰に名付けられたのかは分からない。でも、毎日、放課後のこの時間になると、オレンジ色の光が坂道を染める。その美しさを初めて教えてくれたのは——ミナだった。

 彼女は、3年前に消えた。

 転校したという話も、親の都合だという噂もあった。でも、連絡先も、住所も、SNSのアカウントも、すべてが消えていた。まるで最初から「存在しなかった」かのように。

 それでも、俺は覚えている。

「アキ、ちゃんと来てね。あの場所で、3年後の今日、また会おう」

 ミナがそう言ったのは、中学の最後の夏。期末テストの打ち上げのあと、二人きりで歩いた夕焼け通りだった。

「いいよ。じゃあ、7月17日。夕方5時。約束だ」

 ——そう言って、俺は指切りをした。彼女の指は、少し冷たかった。

 あれから3年。高校2年の夏休み前、俺はその約束を覚えている唯一の人間になっていた。

 クラスメイトに話しても、「そんな子、いたっけ?」と首をかしげられる。担任の先生すら、「お前の勘違いじゃないか」と苦笑いを浮かべた。

 それでも、俺は覚えてる。忘れるわけがない。

 ミナは確かに、俺の隣にいた。


 7月17日。天気は快晴。気温は34度。

 俺は学校の帰り、制服のまま夕焼け通りを歩いた。

 セミの声が響く。誰もいない坂道を、ゆっくりと登っていく。

 そして——坂の頂上。あの「約束の場所」。

 朽ちかけたベンチがひとつ。誰もいない。

「……やっぱり、もういないよな」

 そう呟いて、ふと振り返ったときだった。

「遅いよ、アキ」

 聞き覚えのある声が、背後からした。

 そこには、姿が立っていた。


「……ミナ?」

 目を疑った。髪型も、背丈も、声も、そのままだ。あの夏のまま、時間が止まったかのように。

「来てくれて、嬉しい。ずっと待ってたよ」

 ミナはにっこりと笑った。

 俺はゆっくりと近づき、ベンチの隣に座る。言葉が出てこなかった。

「みんな、私のこと忘れちゃったでしょ?」

 ミナは静かに言った。「でも、アキだけは忘れなかった。だから、こうして会えたんだよ」

「……どういうことだよ。それって……」

 ミナは笑って首を振った。

「私ね、3年前に“こっちの世界”から消えちゃったの。ほんとのこと言うと、もう“この世界”にはいられないんだ」

「そんな、わけ……」

「約束って、すごい力があるんだよ。誰かの心に強く残った想いは、時々、時間や場所を越えるの。私は“その力”で、ここに来られたの。たった一日だけ、今日だけ」

 ——何を言ってるのか、頭では理解できなかった。

 でも、心は、知っていた。

 これは現実じゃない。でも、なんだと。


 ミナと他愛ない話をした。中学の思い出、放課後の寄り道、好きな音楽、好きだった人。

 笑って、笑って、少し泣いた。

「アキはさ、この先も、ちゃんと生きてね」

「当たり前だろ。……お前に、もう一回会えたんだ。もう、逃げないよ」

 ミナはうなずいて、ベンチから立ち上がった。

「そろそろ時間だ」

「ミナ……」

「最後に、もう一回だけ、指切りしよっか」

 俺たちは小指を絡めた。あのときと同じ、少し冷たい感触。

「次は、約束しない。だって、次はもう会えないから」

 ミナはそう言って、俺の手をそっと離した。

 夕焼けの光が強くなった瞬間、彼女の姿は、夕日の中に溶けるように——消えていった。


 夏の風が吹く。

 俺はしばらく、夕焼け通りの坂の上に立っていた。

 涙は、なぜか出なかった。

 その代わり、心にぽっかり空いていた穴に、少しだけ、暖かい何かが灯った気がした。

 ——ミナは、確かにここにいた。

 記憶じゃない。夢でもない。

 約束が繋いだ、奇跡の一日だったんだ。


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