自転する六畳一間と公転する人間関係

天ノ箱船

第一話 『遊星からの物体と惑星での邂逅』


エッセイ並びに自己啓発。

私が心の底から侮蔑ぶべつし、嫌悪している散文である。

己の人生というのは文字に起こし他人にひけらかすものではない。

というか、自分語りをして他人に受け入れられようとする魂胆が気に入らない。己の価値は己が知っていれば個人として満足だろうに。

富める者が愛まで求めては強欲というものだ。


……などと言いつつ。そんな、自分が最もいとわったものを私はつづっている。

動機は明瞭めいりょう。今後数十年続くであろう生活苦がためである。いや、生存苦。というべきかもしれない。一切皆苦と言ってもいい。

そんな私の現実に即した問題として、金がないのだ。気力もない。


このまま静かに朽ちていくことも明ける空を見ながら考えたが、想像するだけでかなり恐ろしいし絶対苦しい。苦しみから逃れるために苦しむなど本末転倒だ。


死に至る過程を考えると死ぬ気が無くなるのは、なにも苦しみに耐えられないからという軟弱な理由だけではなく、その過程が持つ醜悪しゅうあくさに耐えられないからなのだ。

畳に横になり、月と太陽が惑星を廻る間に私は飢えに悶えるだろう。その工程を終え、心臓が活動を止めれば肉体の苦悶も終わる。しかし、腐りシミになることが、私には醜悪だと感じざるを得ない。

生きることに対する執着と生きていたという執念が死を濁らせている。


生命体の死は醜いものではなく、むしろ死に抗うことこそが醜いのだ。


と、私はそこで筆を止めた。

エッセイにせよ自己啓発にせよ、こんなことをしている自分があまりにもみじめに思えたからだ。

これでは自己啓発というより自己陶酔といった方が正しいかもしれない。


要約すれば神経質な無職の成人男性でしかない私の言葉には致死量の羞恥しゅうちが含まれている。

この文章は世に出る前に処分してしまおう。

裏にびっしりと悪文が書かれたチラシを丸めて捨てようとすると、部屋の中全体が強い光で照らされた。

窓から入り込んできた光が狭い部屋の中を反射し、その空虚を満たしていく。

車のハイビームでもこんな光り方はしない。

異常を感じ、私は窓に近づいた。

目を開けていられない程の光は一体何から発せられているのか、単純な好奇心もあった。


窓を開けると強烈な風が部屋に流れ込み、その奔流ほんりゅうに押し出されるようにして、私は六畳一間を縦断した。

壁に打ち付けた頭を擦りながら窓の方に顔を向けると、今度は影が出来ていた。それは逆光の影である。

そしてその影は人影である。人の面影持っているのだ。


仁王立ちの影は可愛らしい声で尋ねた。

「 ────オマエはチキュウジンか?」

愚問。反射的にそう答えそうになったが、声になる前に口を閉ざした。今はもっと聞くべきこと、問い質すべきことがあるからだ。

「こ、ここで何をしている。ここは私の部屋だぞ……!」

あまりにもオドオドした声に自分でも驚いたんだよね。


「質問してるのはコッチだぞ。まぁ、形式的なものだから別に答えなくてもイイが」

人影が言い終わると部屋を満たしていた光が消え、風も収まった。私の部屋はいつも通りの様相をていす。

「……お前は、なんだ。宇宙人とでもいうのか」

何とか虚勢を張って声を絞り出した。

すると、私の声とは反対に堂々とした声で人影は答える。


「ああ。ワタシは宇宙人だ。私からすればお前こそ宇宙人だがな」

宇宙人はそう言いながら、我が物顔で部屋を物色している。終いには「よいしょ」とか言って卓袱台ちゃぶだいの前に座り出した。

光が落ち着いて、ようやく直視できるようになった宇宙人の姿はナメクジのようでもリトルグレイのようでもなく、地球人が着る宇宙服のような姿だった。妙にポップでかわいいところを除けば普通の宇宙服だ。


「この家はお茶も出ないのか」

何という図々しさだろうか……

「ここは京都だぞ。客人に出すお茶などない」

「ん、座標がズレたか?」


宇宙人は宇宙服の左腕に着いている装置を操作している。やがて得心いったという風に顔を上げた。

「いや、ズレているのはお前のアタマか」

「おかしい。私は初対面の人間にバカにされているのか……?」

こんな得体の知れない自称宇宙人に? いや。まずは不法侵入を咎めるべきだろうか。


「もう忘れたのか。ワタシは人間ではない。別の惑星からやってきた宇宙人だ」

「……もし仮にお前が宇宙人だとして、なぜ私の部屋にいる。まさか地球侵略の前哨基地とか言わないだろうな」

「侵略などしない。ワタシはあくまで調査員。この星、及び地球人を調査するのが仕事だ」


「では何故私の部屋に来た。調査に相応しい環境なら他にもっとあるだろう」

「お前のヨウに人間関係が希薄で社会的地位も低く、就業以外に精力的な活動をしていない人間が消えたところで誰も気にしない。……或イは、入れ替わったトコロで気がつかないだろうな」


「 ──── 」

驚きのあまり、私は声を出すことができなかった。暗くなった部屋が光の作用以外の心理的な作用によって一層暗くなる錯覚を覚えた。それは劇場の灯りが徐々に弱まる様にである。しかし、この現実はスクリーンに映る見世物ではない。この暗転は物語の始まりを意味するものではなく、寧ろその逆。終わりを意味しているのだ。

──── 恐怖が身体を支配する。或いは命がありとあらゆる生命活動を初めて意識して行うかのような、ぎこちなさを呈する。


『生命体の死は醜いものではなく、寧ろ死に抗うことこそが醜いのだ』


そんな持論をこの期に及んで思い出した。

数分前の私より少しだけ進歩した私に言わせれば、この持論はカスだ。現在進行形で命の危機に瀕している私は様々な論理も累積した知識体系も無視して、風に吹かれるままの風鈴のように戦慄いている。


宇宙服越しに呼気が聞こえる。声を発する前の事前動作だ。

どのような言の葉が紡がれるにせよ、その後に放たれる光線銃、その凶弾に私は倒れることを覚悟した。

「冗談だ。少しオドカシタだけだ」

「……」

……冗談じゃない。


「ナントカ言え。それとも、少しショックだったかな。事実をそのまま口にするのはザンコクだからな」

「……てない」

「ン?」

「……就業はしてない」

「アルバイトだって立派な労働だろう。あまり卑下するな」

「違う。今はバイトもしてないんだ」


宇宙人は初めて沈黙した。僅かな時間であったが、それが困惑を伴っていることは容易に理解できた。

「そんなはずはない。オマエは本屋でアルバイトをしているはずだ。ワタシの事前調査が間違っているはずが……」


「……あぁ、間違ってはいない。しかし情報が古いな」

「何だと!?」

宇宙人は卓袱台に両の手をつき、身を乗り出して抗議の声を上げた。

「私のバイト先の本屋はなぁ……本日をもって閉店する運びとなったんだよ!!」

「……!」


宇宙人はおそらく、ただでさえ大きな目を丸くしていることだろう。いや、彼女がグレイである確証はないけれど。というか、女性である確証もないけれど。

「で、デハ、オマエは今、正真正銘無職の成人男性ということか……!」

「わざわざ言葉にしなくていい!」

宇宙人はヘルメット越しに額に手を当て、天を仰いだ。故郷に思いでもせているのだろうか。


「……そういう現実逃避ばかりしているから、こんな状況ナンジャないのか?」

「お前……私の考えを読んだのか!」

「オマエの思考パターンから予想しただけだ」

「……そういえば調査とか言ってたが、お前に私の何がわかるというのだ!」

「夢見がちで臆病で高慢ちき。現状を憂いてはイタいポエムを綴り、部屋に閉じこもっている無職の成人男性だ」

「……!……!」

「ハッハッハ。何も言えないな!」

宇宙人は愉快に笑い、地球人は無様に泣いた。


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